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第42話・1963年 『立教大学が伝えた「7人制」の魅力』

スポーツイベント・ハンドボール2022年8月号(7月20日発行号)で特集の通り、日本のハンドボールは7月24日、「伝来100年」を迎え、新たな発展に向け力強く踏み出しました。
積み重ねられた100年はつねに激しく揺れ続け、厳しい局面にも見舞われましたが、愛好者のいつに変わらぬ情熱で乗り切り、多くの人に親しまれるスポーツとしてこの日を迎えています。
ここでは、記念すべき日からWeb版特別企画で「1話1年」による日本のハンドボールのその刻々の姿を連続100日間お伝えします。
テーマは直面した動きの背景を中心とし、すでに語り継がれている大会の足跡やチームの栄光ストーリーの話題は少なく限られます。あらかじめご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。随所で編集部OB、OG、常連寄稿者の協力を得る予定です。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」

日本協会が「4月1日から公式戦をすべて室内・7人制に」と歴史的決定をしたのは2月9日東京での全国評議員会だ。重大テーマでありながら、異論、激論もなく承認となったのは、1961年の国際オリンピック委員会(IOC)総会(ギリシャ、アテネ)で、東京オリンピック~男子11人制~の希望が絶たれたあとから急速に7人制一本化論が進んでいた経緯によった。1つの競技団体が伝統の競技に別れを告げ新たな競技に全面移行するのは、極めて異例であった。

タイミングを計ったように前年末からヨーロッパへ遠征、1月2日からスウェーデンで開幕した第1回世界学生(男子)選手権に出場の全日本学生選抜が、学生らしい感性と吸収力で最新とも思えるヨーロッパの室内戦術、技術を持ち帰り、4月の第3回西日本学生選手権(大阪)を最初の機会に、5月の東・西学生春季リーグ戦などで次々に披露された。

とくに3人の選手を送っていた立教大学(東京)は春の合宿(3月)でしっかりとチームに伝達し、春の関東学生リーグを総得点138、同失点79の好内容で7戦全勝、1951年秋季以来となる優勝へ実らせた。
 
セットOFでの緩急をつけた長短自在のパス攻撃で両サイドを広げ、多彩なポイントからシュートへ持ち込む展開は、速攻主体のこれまでの7人制の様相を大きく塗り替えるインパクトがあった。
 
初の7人制採用となった第6回全日本学生選手権(東京・千代田区外濠公園)でも立教大学の好調は続き、有力候補の芝浦工業大学を準決勝で、日本体育大学を決勝で破り初優勝、さらに第15回全日本総合選手権(新潟・柏崎市)で頂点へ駆け登る。シーズン後半は強豪チームが立教大学の戦略を研究して挑み、見応えのある攻防で新時代は華やかに発進した。
 
高校男子にも関心が集まったが、前年11人制最後の勝者となった桜台高校(愛知)が7人制の初大会でも見事に勝ち抜いて最初の勝者となったのは称賛される。この年から各スポーツの全日本高校選手権は「全国高校総合体育大会」として開かれるようになる。
 
日本協会は、東京都に駒沢公園の一角に7人制専用コートの新設を要請、各都道府県協会にも同様の動きを積極化することを望んだが、理解を得るには時間がかかる。11人制から7人制、ではなく戸外スポーツから室内スポーツへの大変革のアピールは、充分とは言えなかった。夏の全日本総合選手権と年末の全日本総合室内選手権を統合する判断も鈍った。

10月、IOCは1968年の夏季オリンピック開催地にメキシコシティーを決めた。東京のように実施競技を巡っての混乱をなくすため、前日「18競技」と決めたあとで投票を行ない、ハンドボールは選にもれた。

第43回は9月4日公開です。


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