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第66話・1987年 『男子、オリンピック出場権守る』

「ハンドボール伝来100年」を記念した1話1年の企画も後半に入ります。オリンピック競技への定着で日本ハンドボール界に国際シーンの激しい波風が吹き込み、国内のトピックスを押しのける年も増え始めます。世界の中の日本ハンドボールが主題となる内容は各大会の足跡やチームの栄光ストーリーをごく限られたものとします。あらかじめご了承ください。
(取材・本誌編集部。文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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上昇軌道へ“復活”のスタートと位置づけたソウル・オリンピックアジア予選が8月アンマン(ヨルダン)で、アジア選手権の男子第4回、初の女子を兼ねて行なわれた。
 
アジアタイトルがかかるとあってオリンピックに開催国枠で出場が決まっている韓国も参加、日本は男女とも中国戦がヤマだった。
 
男子(参加11ヵ国)はいきなり中国と顔合わせ(=1次リーグ)、27-21と完勝して勢いづき、続く中東勢とのカードも順当勝ち、韓国、クウェートとの決勝リーグへ進んだ。オリンピック4大会連続出場(モスクワを除く)には最終日(8月29日)のクウェート戦の必勝が条件。

クウェートの強引な個人技に日本は押し込まれる場面もあったが、粘りを見せ残り3分22-22。引き分けでは参考となる韓国戦のスコアでクウェートが1点上回る。苦しい戦況を攻撃陣の気力にあふれた3点連取で鮮やかに突破、25-23でオリンピックチケットを手中にした。
 
女子(参加6ヵ国)は1次リーグ2組の各1、2位で決勝トーナメント。準決勝(8月25日)の第1試合で韓国がシリアを破り、日本-中国戦の勝者がオリンピック代表となる展開。
 
日本は前半11-12を後半すぐに互角へ戻し、そのあとは互いに主導権を握れず進んだ。日本に惜しまれるのは残り46秒23-23から1点リード、あと14秒守り切ればのラストシーンで放たれた相手のシュートがDFの手にかすかに触れてコースが変わり同点(24-24)とされたプレーだ。
 
そのあと第1延長は6-6(30-30)、第2延長に力尽き31-34で敗れた。アジア選手権は男女とも韓国が握った。
 
5月、東京での「ジャパンカップ87」の男子・ユーゴスラビア-西ドイツ戦はロサンゼルス・オリンピック決勝の“再現”で沸いた。
 
国体が1巡目最後を飾って沖縄で開かれ、少年は男女とも地元・沖縄選抜が優勝。
 
日本協会は2月2日、創立50回目の記念祝賀会を東京で開いた。事業として初めて「日本ハンドボール史」の編さんが3年がかりで進められ完成した。当初は「日本協会50周年記念誌」のタイトルが予定されたが、パイオニアの1人、入江信太郎を委員長とする特別編成の編集委員会は「2度とない機会」として1938年以降の中央・地方を問わずすべての歩みを網羅しようと試み、半世紀にわたる内外主要大会の試合記録、ブロック大会の勝者リストなども可能な限り集め、刊行へこぎつけた。
 
ハンドボールが日本に伝来した日を特定する作業も同委員会の大きなテーマの1つだった(第1話参照)。

第67回は9月28日公開です。


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