思春期の苦い思い出〜洋楽添え〜

 私が中学2年生の頃、遠い遠い遠いとお〜い親戚の子だという男の子が、カリフォルニアから日本に突然遊びにやってきた。アメリカと日本のクオーターで、年は1〜2歳くらい上だったと思う。私の祖父母の家に宿まっていたけれど、子どもは子どもで遊んだ方がたのしいでしょう、と、うちにも1泊くらいしていった。

 ただ、私は結局最後までひとことも話すことができなかった。思春期真っ只中で自意識過剰な上、そもそもかなりの人見知りだったので、言葉の通じない同世代の異性が家にいること自体がパニックだったのだ。

 彼が祖父母の家に帰った後、母親からCDを3枚手渡された。
「同い年くらいの女の子がいるって聞いてたから、彼、仲良くなりたいって思ってくれてたみたいよ」
 なんで話さなかったのよ、みたいなちょっと責めるようなことも言われたような気がしたけれど、とにかく私は相手に悪いことをしたなというショックで、母の言葉はあんまり覚えていない。

 というようなことを、Jimmy eat worldのアルバム『Bleed American』を聴くと思い出して、青くてほろ苦い気持ちになる。あの頃の自分に会えたら、「大丈夫だよ」と頭を撫でてあげたい。
 もらった3枚CDのうち、あと1枚はKlaxonsだったと記憶しているけれど、どのアルバムなのかが思い出せない。時期的なことを考えると、たぶん『Myths of Near Future』かなぁ。残りの1枚は不明だ(うーん、もらったのは2枚だった気もしてきた)。

 あの頃、ちゃんと仲良くなれていたら、洋楽に詳しくなれていたかもしれないのにな。アメリカのトレンドを、定期的にメールなんかで聞けていたかもしれないのにな。私も日本のすてきな音楽を教えられたかもしれないのにな。そんなことを時々思う。


 私は彼に対してなにもできなかったけれど、私の3つ下の弟はかなり懐いて、ふたりではしゃいでいた。向こうは英語で、こちらは日本語で話していて、本来であれば通じていないはずなのに、なぜか会話していた。もちろん表情やジェスチャーで伝わっている部分も大きいだろうけれど、ある一定の年齢の男の子たちは、使う言語が違っても話ができるのかもしれない(西加奈子の小説・『サラバ!』みたいな現象だ)。

 あと、私にはアメリカの血は一滴も流れていない。たまに「外国人なの?」と聞かれることがあるけれど、「スミス」は名字をもじった、ただのあだ名。典型的な日本人顔の日本人です。ややこしくてごめんね(笑)

最後まで読んでくれて、ありがとうございます!