いまこそ力を抜くとき

 気づけばTwitterのタイムラインに並ぶ「つかれた」、「なにも考えたくない」のつぶやき。「だれだよ、そんなにつかれ切った人」と思っていたら自分だった。本当に、心身ともにつかれている。くたくただ。

 幼い頃はずっと不思議に思っていた。「癒し」、「リラックス」、「リフレッシュ」、「深呼吸」、「セラピー」……。これらのワードが、なぜ大人の中でそんなに流行っているのか。どうして大人はいつもつかれているのか、癒しを求めているのか。大人になってからよくわかった。大人はつかれるものなのだ。

 いや、子どもだってつかれるし、ストレスや不快感を覚える時だってある。でもその時のものとは種類がちがう。自由と引き換えにのしかかってくる責任。自分の手で自分の人生を拓いていかねばならないプレッシャー。別に大それた人間になりたいわけでは決してないんだけどな。自分でごはんを食べていくということはそれなりに大変だ。

 頭痛がつづいたり、わけもなくイライラしたり、だから「もうつかれた」なんてつぶやいてしまったり。たぶん少しずつなにかが蓄積していった結果こうなっているんだろうけれど、私はいつも途中でそれに気づけない。はた、と立ち止まったら崖っぷちにいることが多い。あぁ、またやっちゃったな。崖から下を見下ろして、いつも思う。そして途方に暮れる。あれ、こういう時、どうやって戻ってたっけ?

 「どうしよう」と思っていたところ、あることを思い出した。「ストレスにさらされている時は呼吸が浅くなっていることが多い。一旦立ち止まって深呼吸をすることが大切」という、おそらくいろんな人の知見が混じった言葉を。「いや、たかが深呼吸やん。そんなにすぐに、この数日間に渡る心のピリつきがおさまるわけないやん」。「でも、背に腹は変えられんな、、、」。

 オフィスでこっそり、深呼吸をした。
 ゆっくり、吸って、吐いて、を繰り返した。

 嘘じゃなかった。先人というのはいつも正しい。なんだか久しぶりに、「ちゃんと呼吸した」と思った。別に広い草原の上でも、深い森の中でも、壮大な海辺の脇でもないのに、深く大きく呼吸をすることが、こんなにも自分を変えるなんて。のしかかる様々なものに溺れていたのだ。

 大人は「力を抜くこと」を意識してやらないと、そのまま深い深いところまで知らない間に潜り込んでしまう生き物らしい。だからいまこそ、肩の力を抜くのだ。そのことに、集中するのだ。

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質問箱設置してみました。


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