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別に劇的なことはなくても、恋ははじまり、そして終わる。 映画・『花束みたいな恋をした』


ネタバレありなので、まだ観ていない人、ネタバレNGの人はリターンしてくださいね。


『花束みたいな恋をした』を観てきました。
自分語りにならない自信がないので、そういうの苦手な人も戻るボタン押してほしい。

山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)の、出会いから別れまでの5年間を描いた物語。2015年・21歳の頃に付き合いはじめ、2019年・25歳で互いの関係に終止符を打つ。大学生だったふたりは就活を経て同棲し、社会人として働いていく中で、徐々にすれ違っていく。

これ、別にそうしたくなくても、自分のかつての恋愛と重ねられずにはいられなかった。というか自然とそうなってた。だって、主人公のふたりは私のひとつ下で同世代だし、大学生の頃に付き合いはじめて、社会人になって数年経ってから別れていて。境遇が同じすぎるんだもん。交際期間もほぼ同じで笑う。


別に劇的な出会いをしたわけでも、燃え上がるような恋をしたわけでもなく。共通点の多いふたりが出会い、互いの時間を慈しみつつ、でも一緒に過ごすうちに少しずつ、大事なものがすれ違って別れていく話。

同じお笑いライブに行く予定だったり、好きな小説家がかぶっていたり、同じ漫画で泣いたり、似たようなカルチャーが好きだった麦と絹。働きはじめてからも、そこに割く時間を大切にしていた絹ちゃん。「いつか仕事に」と願っていたイラストの道を閉ざし、彼女との大切な共通言語も手放し、ビジネス本を読み漁る麦。

セリフに頻出する固有名詞の数々に、私は正直鼻白んでしまったけれど。あれらってきっと、「二人だけにはわかる」魔法のコトバだったんだよね。かつて私と、当時付き合っていた人との間にも存在していたもの。だんだんうすれて、なくなってしまったもの。そうなると一気に相手のことがわからなくなる。かけがえないけれど、頼りないもの。


しかしクライマックスのあのファミレスのシーンはすごかった。
絹ちゃんが嗚咽を漏らしながら店を出て行くとき、私の頬にもまた涙がすっと伝った。憎み合っているわけでもないけれど、もう心が動かなくなってしまったふたりは、かつての自分たちの特等席に座る、自分たちのような存在と遭遇する。互いを知りはじめるわくわく感。それに溢れるフレッシュな恋人たちの姿を見て、互いの重ねてきた時間の長さと、もう決定的に取り返せないもの改めて気づくんだよね。共通言語を紡ぐ努力ができなかった。覚悟がなかった。取り戻そうとも思えなかった。あぁ、なんだか遠いところに来てしまったなって。羽田ちゃん(清原果耶)と水埜くん(細田佳央太)が本当にきらきらしていて、せつなかった。


正直、もっと泣くかと思っていた。思っていたよりは泣かなかった。ファミレスのシーンで、すっと涙が落ちただけ。2年くらい前に観ていたらわんわん泣いていたかもしれない。
昔の恋愛を完全に思い出として距離を取れるようになったから、自分の過去を追体験しているような感じだった。結構客観的になれていたのではと思う。ディテールはもちろん自分の経験とは違っていたけれど、なんだかすべてが「わかる」なって思った。ああならない結末を望んでも、どうすればそうならなかったのかがわからない、ってこととか。なんでなんだろうな、どういう道をたどったとしてもそうなっちゃう、ってことが。


でも、お別れは新しいスタートラインでもある。
麦と絹が互いの背後で手を振るシーンは、とてもうつくしかった。なんてさわやかなラスト。私はさみしさなんて感じなかった。なんて言ったら強がりかな。あぁ、なんかさみしい気もしてきた。でも、これから先も当たり前のように続いて行くふたりの、それぞれの未来が見えたから。あの時間がなくなったわけじゃなくて、あの時間の上に成り立っている彼らの姿が見えたから。すてきなラストだって思ったんだ。


いや、ツッコミたいところはたくさんあったのだけれど(笑)。
これ書いている間になんだかじ〜んとしてしまったので、これで終わっておきます。

それでは。



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