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ふとしたきっかけで行った先とは

書こうと思って書けていない旅行記

ずっと書こうと思っては断念し続けている旅行記が二つほどあります。
一つはマイカーで巡った北東北3泊4日
そしてもう一つは今回の福岡、広島、愛媛弾丸ツアーです。
どちらも行ったのは1年前になります。記事寝かせすぎ。
書きたい事も、上げたい写真もありすぎて記事がまとまらず、恐らくこのまま寝かせたままになってアップされることは無いでしょう…
でもせめて、この記事だけは公開しておこうと思います。

高校の修学旅行以来の広島

実は広島に行くのは高校の修学旅行以来でした。10年くらい経つのかな…?
その時は平和記念資料館で平和学習をした後に、お好み村に行ってお好み焼きを食べたのみ。
もっと広島を知りたいなとずっと思っていて、今回福岡から新幹線に乗って広島まで足を運ぶことにしました。
実は自分、Perfumeの大ファンだという事もあり、広島については聖地巡りも含めて行きたいところが沢山あったってのも理由です。

「絶対行った方がいいよ。」

さて、広島に着いたらどこに行こうか…
歴史好きなので広島城にも行きたい。宮島もちょっと観光できたらいいな。夜は八丁堀か最近元気な「エキニシ」に行ってみるのも良いかな、お好み焼きはやっぱり「あとむ」に寄らねば…
などと仕事の休憩中に情報収集に勤しんでいると、それを見ていた職場の先輩が一言。

「お前、原爆資料館には行かんの?絶対行った方がいいよ。」

…いや、確かに思っていました。行かなければならないなと。

義務教育で必ず学ぶ「第二次世界大戦」。
満州事変をきっかけに満州国を建国し、日中戦争が勃発。更に真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争に発展。
アメリカやイギリスの大国の前で次第に劣勢となっていき、ポツダム宣言を受け入れ降伏。

自分の知識はこれくらいしかありませんでした。
高校の修学旅行で平和記念資料館に行きましたが、展示物のリアルさと生々しさに夜のお好み焼きが全く食べれず、寝る時も展示物がフラッシュバックしてきて全く眠れず、いつしか「広島は怖い」と思ってしまうようになりました。
今回も職場の先輩が言ってくれなかったら、恐らく寄ることは無かったでしょう。
でも日本人として、知っておかなければならない。戦後70年以上が経とうとしている今、過去を知るから未来がある。今行けるときに行かないと。
ただあの展示物を目の前にして、ちゃんと受け止められるのだろうか…またフラッシュバックで寝られなくなるのでは…と広島に行く前日まで足を運ぶか迷っていました。

船に乗り遅れたの…?

広島に着いて一日目。広島城に行き、お好み焼きをたらふく食べ、宮島でふらふらし、夜またお好み焼きを食べ、たらふく飲み歩いて。
かなりふらふらになりながら1日目が終わりました。
そして2日目。広島港を朝9時に出る船で愛媛に行く予定でした。
しかし、こういう時に限って二日酔いで朝起きられず、船を簡単に乗り過ごしてしまいます
うーん、困った。前日調子に乗って飲み過ぎたのが良くなかった。
予定では愛媛に早く入ってゆっくりする予定でしたが、ここは大幅に予定を変更して、午前中広島でゆっくり過ごして、午後から船旅を楽しみながら愛媛に向かうことにしました。
午前中、時間が空いたので何しようかな…と考えているときに、ふと、平和記念資料館の事を思い出し、足を運ぶことにしました。
船に乗り遅れたからという理由で…本当にごめんなさい。

実際に見て思ったこと

思った事を正直に書いておこうと思います。

展示物がすべてを語っている気がしました。
あの日、広島で何があったのか。一瞬にして沢山の人を「消し去ってしまう」常人では考えられないあの兵器によって、広島がどう変わってしまったのか。
自分の想像力では、その時の人の気持ちになることはできませんでした。
自分の想像力をはるかに超える、思いもよらないことがそこで起きていたのですから。
展示されている一枚一枚の写真に写る人々の顔が、今でも脳裏に焼き付いています。
被爆後、カメラに向けるその眼差しが、カメラ越しに「早く助けて…」と言っているようで
でもその場に行って助けてあげられない思いに胸が締め付けられるばかりでした。

当時広島で生活していた人の中には、「戦争が終わったら旅行に行くんだ」とか「戦争が終わったらこの人と結婚するんだ」とか
沢山の夢や希望を抱きながら、その時を頑張って生きている人々が沢山いたと思うと
その人たちの夢や希望をも一瞬で消し去ってしまう戦争って、残酷すぎますよね。

銀行の開店前に入口の石段に座って休んでいた人が強烈な熱波によって焼き付いた痕が残っている石段が展示されていますが、ここに座っていた人はどんな思いであの時座っていたのだろうか。あの時、一瞬でしたが何があったのか。自分の想像力をはるかに超える現実がそこにはあって、正直に言うと「怖い」と恐怖感に飲み込まれそうになりました。

また原爆投下後も放射能によってさまざまな病気に苦しみ、亡くなられた方も沢山います。家族の手記などを見ることができますが、自分だったらどうするのか、何ができるのか全く分からず、手記などを読みながら無力感と共に胸が苦しくなるだけでした。
当時は病名も何もわからず、ただただ体調が悪化していく現実に「この先自分は死んでしまうのか」という恐怖に苛まれていたと思うと、果たして自分は耐えられるのか、その時そうなっていたらどう思うのかと考えると、ただただ怖かったです。

自分事として考える

平和記念資料館には沢山の展示物があります。それぞれを見て、人それぞれ思うことはあると思います。一人一人受け止め方も違うだろうと思います。
今回自分が訪れるにあたって意識したことは、この現実をしっかり受け止めることと、あの日起きたことを自分事として捉えることでした。
正直に言って、直視できないような展示物もありました。目を背けたくなるような辛い現実が、そこにはあります。
でもあの日、あの時自分が広島にいたらどう思うのか、どうなっていたのか、ポンコツでちっぽけな奴ですが、出来る限り考えて、考えて、考えて、「平和」について考えていく事が重要なのではと個人的には思います。

平和」ってとっても難しい問題だなと思います。今もこの瞬間、世界のどこかでは武器を持って戦っている人たちがいます。
人は何故か、時に憎しみを抱き、時に武力を以て制圧しようとします。
相手より強くなければ、と思うのもわかります。ただ、憎しみの先には何も生まれず、憎しみの連鎖の先に何があるのか、これだけは日本でしか知ることのできない現実だと思います。
人間である以上、世界全員が仲良く平和に生きていく事は非常に難しい問題なのかもしれませんが、どうにか武力で相手を制圧するようなことはやめてほしい。その先にあるのは今よりも残酷な世界しかないと思います。
今の世界情勢を原爆投下当時の人々が見たらどう思うのか。そう考えると、どうにかならないのかと思うばかりです。

平和ボケしているのではないのか

今、とても平和な現代を過ごしていても、時には残酷な事件が後を絶たず、時には心を痛めることの多いこの頃。
あの日、原爆によって亡くなられた方々からすると、今、この瞬間生きている自分たちはとっても幸せ者で、この先一時も、一瞬すらも大切に生きてほしいと思っているに違いないと思います。
とても平和で、とても幸せで、多様性にあふれ、一人一人好きな人生を歩める現代を生きている自分たちが、何故残酷な事件を引き起こしてしまうのか。
とっても幸せな時を生きていられる自分たちが、もしかすると、平和ボケしているが故に小さなことで腹を立て、事件を起こしてしまうのではないのかと思います。
もっと今この現状を、自分の人生を大切にしなければと思いました。今この瞬間、生きられることに感謝を、周りの人にも感謝を。
人である以上、憎しみが全くなくなることは無いのかもしれませんが、残酷な事件が起きることだけはもう無くなってほしい。今生きていられることがとても幸せな事だと思うから。

沢山の事を考えさせられました。

結果、平和記念資料館を訪れて良かったと思いました。
戦争についても、原爆について、平和についても考えることが出来ましたが、その先にある「生きる」という事を考えるきっかけになりました。
様々な展示物を見て、思う事や考えることは様々です。だからこそ、展示物から「生きること」の大切さ、難しさについて考えることもいいきっかけになるのではと思います。
あの場所には、様々な思いが込められています。そこから何を汲み取るのかは人それぞれですが、どれを汲み取ったとしても間違いではなく、これから生きていくうえで大切な「何か」を持ち帰ってこれるはずです
日本人として知っておきたい真実を知るために、一度訪れることをお勧めします。
自分はまた広島に行ったとき、また平和記念資料館に行きます。風化させないように、繰り返し行くことも知識を深める上で大切なことだと思います。
また今度は長崎の原爆資料館にも足を運びたいと思うきっかけになりました。

あとがき

今日で投下から75年が経ちました。
原爆投下の時刻、自分はまた寝ていました…本当に不謹慎な奴で、申し訳ないです。
ただ、このように平和な日常を過ごせることにまた感謝しながら生きなければと思います。
今回、このような記事を書くにあたって、読む方によっては気分を害される表現などがあると思います。
あくまで一個人として思ったことを書いているだけです。勉強不足や知識不足で足りない部分があることに関してはお詫びします。
ただ「俺はこう思うのになぜそう考えないのか」等の自分の思いを押し付けるようなコメントだけはお控えいただきますようお願いいたします。
あの展示物を見て、思うことは人それぞれです。「私はこう考えました」等のコメントは、自分の視野視点を広げる為にもぜひお聞かせいただければと思っておりますが、自分の意志思想の押し付けは宜しくないのでは?と思ってしまいます。
自分の持てる知識で、少ないボキャブラリーの中ではありますが、出来る限り思ったことを素直に書かせていただいたつもりではありますので、どうか広い心で読んでいただけると幸いです。

最後に宣伝

この時の旅行で訪れた先を貼れるだけ貼っておきます。広島、是非行ってみてほしい…


・広島平和記念資料館(9月1日入場分からインターネットでの予約が必要になるみたいですので要注意です)

・広島城(城好きにはたまりません。実はお城大好きです)

・みっちゃん(広島でお好み焼きを広めた第一人者が立ち上げたお店です)

・JR西日本宮島フェリー(片道180円、各種ICカードも使えて便利)

・厳島神社(この時のおみくじで恋愛運はめちゃ良かったのですが未だに彼女できないのは何故なのか)

・あとむ(著名人も多数訪れる有名店。Perfumeの聖地でもあります。混んでいるので一本電話してから行った方がいいかも…?)

・バルタン食堂(タイ風装飾でちょっとノスタルジー?当時いた新人バイトの女の子は今も元気だろうか…)

・SUNNY DAY BAR(お店の雰囲気が個人的に好み。「エキニシ唐揚げ」はとってもジューシーで絶品!)

・尾道ラーメン三公(非常に美味でした!この時隣の人に唐揚げを分けていただいた話を記事にしようと頑張りましたが、あまりの嬉しさに記事がまとまりませんでした。あの時隣の若造に唐揚げを分けていただいた方、お元気だろうか…ちなみに訪問当時は駅ビルにありました。)

・広島電鉄(広島には日本最大の路面電車網があります。路面電車の渋滞が見所です。3両編成の電車には車掌さんが乗っていて、発車するとき合図で「ぎっぎっ」って音が面白いです。「ピー」とかじゃダメなのか)

・JR西日本(山陽新幹線に、宮島への移動の際にお世話になりました。広島近郊の電車は「Red Wing」と愛称のついたカッコいい電車が走ってます。北海道にも欲しい。)

・ネストホテル広島八丁堀(八丁堀にもアクセスの良いホテル。とてもスタイリッシュでキレイなホテルです)


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