フォトグラファーはもっと自由でいいと思う

note始めてみました。既に趣味のブログはあるんですが、写真は写真で独立しようかと。
まずは私のカメラ歴を。コンデジで遊んでいた頃を含めば多分4年くらいになります。KAGAYA先生などに憧れ入門用一眼レフで星景撮影を始めるものの、好条件の日になかなか休みが取れない上に天候がめまぐるしく変わる北陸在住のため今まで星空を収めた撮影日数は二桁届くかどうかくらいです。多分枚数は300枚いってると思うけど。
そして先月、偶然見つけた私だけが知るロケーションで遂に、ずっと目標にしていた綺麗な天の川の撮影に成功しました。(と言っても慣れた人から見るとまだまだ拙いですが)
私(接客業)が担当させて頂いているお客様に10年ほど活動されているシニアフォトグラファーの方がいらっしゃいます。はじめて撮った天の川をお見せしたところ上達したと褒めてくださいました。大人が子供を褒めるようなものですが、モチベーションを維持する要素としてはこれ以上のものはありません。また自分だけのロケーションが出来たなら一人前だとも。

と、まあ4年も経って未だビギナーレベルの腕前なのですが、4年もあれば様々なプロの話を目にし、本を読み、フォトグラファーとしての自分の考えもある程度まとまってくるものでして。

フォトグラファーの定義とは

皆さんはフォトグラファーと聞くとどういった人たちを連想するでしょうか?
コスプレモデルにエロスを求めるカメコ、撮影のために無秩序克つ横暴に振る舞う者といったネガティブなものもあれば、モデルを美しく表現したり、雄大な景色で感動を与えてくれるポジティブなイメージもあるでしょう。

フォトグラファーの新時代

フォトグラファー2.0という話があります。
SNSと撮影機材の普及により、フォトグラファーの定義が変わった旨の話です。
本格的なカメラを持っていなくとも近年スマホの普及により様々な人がカメラを持ち歩いています。そしてセルフィなどで手軽に表現を行っています。
活躍の場も不特定多数の人が目にしやすいSNSに移ってきています。
これについてはプロの保井先生や高橋先生(お二人ともスマホフォトグラファーとしても知られています)も言及されており、多くの人がフォトグラファーを名乗れる時代です。昔はカメラで撮影する人を言っていたようですが機材の普及で定義が曖昧になってきているんですね。
しかも最近は撮影に特化したスマホまであります。
Twitterではまだスマホ撮影を「スマホ撮影の自称フォトグラファーw」と否定するツイートが散見されますがそのうち嘲笑が的外れになるのかもしれません。

うつろうフォトグラファーのスタイル

先ほど記述しましたフォトグラファーで連想するイメージ。勤勉で機材や撮影に関する知識を貪欲に取り込みプロに迫らんとするストイックと言うイメージが私には強く、私も基礎知識だけでも、とそこそこには勉強しています。
しかし生来勉強嫌いの私はすぐ耐えられなくなりました。機材の知識を身につけた人達は次は実際に定番のロケ地に赴いて構図なり勉強するのでしょう。
私にはそれは「面白い」と思えることではありませんでした。
有名な場所で同じ構図なんてつまらない。もっといろんなところに行っていろんなものを撮りたい。知識、技術はその都度覚えればいい。
ええ、分かってるんです。自分の考えが如何に生意気かと。大した腕前でもないのに口だけは一丁前です。だから未だにビギナーレベルなんですが。

しかし冒頭のお客様は私の主張に「それでいいんだよ」と頷いてくださいました。

「みんな難しく考えすぎなんです。職人のように美を追究する人もいれば、あなたのように自由な旅人のような人もいていいんです。ケータイ(スマホ)で誰でも写真が撮れるのでしょう?だったらこれからもっといろんなタイプのカメラマンが現れるはずです。楽しみじゃありませんか!」

旅人と言われて自分のスタイルについて腑に落ちました。
そう。目標はあれども私はカメラをきっかけに旅行(遠征)するのが好きだったんです。そしてその先で感動を収めたい。
思えば手持ちの機材で天の川を撮影するために様々なところに行き、天の川を撮れなくとも自分が感動したものを撮ってきました。
天候の急変で遠征がダメになった時は楽しみにしていた遠足が雨天で中止になった子供のような落ち込みようです。
自分のやっていることはマイナーな場所中心とは言え観光旅行者と変わらないな、とは思っていましたがよもやそれがスタイルのひとつだとは。
一億人総フォトグラファー。理解しているようで理解していませんでした。
大切なのはスマホ撮影のように新しいスタイルであっても否定しないこと。仲間が増えればその分勉強にもなります。セルフィだって自分を表現するという点ではバカに出来ません。まあ事故の危険性があるものは除きますが。

もっと自由に

フォトグラファー2.0などの話により、私のフォトグラファーという肩書きは普遍的なものへと認識が変わりました。そして前まで自分がフォトグラファーを名乗るのは烏滸がましいと思っていましたが、今は平気で口にしています。
フォトグラファーには様々なスタイルが今後現れるでしょう。
しっかり勉強した正統派(?)フォトグラファーの方の中にはそう言った新参者を見て面白くない人も多いかと思いますが、どうか私を含め暖かく見てあげてください。
スタイルは違っても写真を撮る者、その共通点は感動を伝える、残すことではないかと思っています。
私たちはもっと自由であってよいかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?