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ばってん少女隊「BAIKA」と万葉集

お久しぶりです。たいようです。
 
筆者が最近よく聴いているばってん少女隊の曲に「BAIKA」があります。「あんたがたどこさ~甘口しょうゆ仕立て~」のカップリング曲です。バイカとは梅の花のことです。ある日、何となくBAIKAの歌詞を眺めていたところ、一つの考えが頭に浮かびました。

梅の花といえば万葉集。ひょっとしてBAIKAの歌詞は、万葉集の和歌をモチーフに作詞されたのではないだろうか?

ということでこの記事は、ばってん少女隊「BAIKA」について書いたものです。


梅と万葉集の関係について

上の「梅の花といえば万葉集」に関してなぜ?と思われた方も少なくないでしょう。日本の花といえば桜のイメージが強いですが、万葉集が編纂された奈良時代にはむしろ梅のほうが愛されていました。当時の日本は中国の影響を強く受けており、中国から輸入された梅にも強い関心が持たれていたためです。
実際、万葉集内には「梅花の歌」という項目があり、その序文「初春のれいげつにして、気く風やわらぎ~」⁽¹⁾は元号「令和」の出典になったことで知られています。この序文は歌人・おおとものたびの屋敷で開かれた宴会の様子が記されたものであり、「梅花の歌」にはこの宴に出席した歌人たちが詠んだ和歌32首が収録されています。曲名が「BAIKA」であることから、この32首の和歌たちが歌詞のモチーフになった可能性は高そうです。

(註1)初春のよき月にして、空気はよく風は爽やかで~

歌詞の意味を掘り下げる

ここからは、BAIKAの歌詞をフレーズごとに分け、モチーフになったと考えられる和歌とその現代語訳、そしてそこから歌詞にはどのような意味が含まれているのか想像したことを書いていきます。現代語訳は「万葉集入門」さんのものを使いました。

梅の花の輝きは、今も昔も同じ

【歌詞】
絶ゆることなく咲きわたる

きらりとおもしろし⁽²⁾心躍る
昔のことも昨日みたいだ
悲しみも喜びもずっとShining Days

(註2)趣がある

【和歌】
よろずに年はとも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし えきのびと

【現代語訳】
万年の年を経るとも梅の花は絶えることなく咲き続けるがよい。

【解説】
BAIKA最初のフレーズのモチーフになったのはこの和歌です。冒頭の「絶ゆることなく咲きわたる」はそのまま和歌からの引用になっていますね。
和歌末尾で使われている助動詞「べし」には6つの意味があり、現代語訳を見ると「適当(~するのがよい)」の意味で使われているように思いますが、BAIKA歌詞と照らし合わせてみると「絶えることなく咲き続けるはずだ」、つまり「当然」の意味で使われていると作詞者は解釈したのかな、と思ったりもしました。高校の古文の授業を思い出しましょう。
いつの時代も変わらず風流に咲いている梅の花。そんな梅の花からすれば、遠い昔の思い出もつい昨日の思い出と変わらず、どれも輝きに満ちたものなのです。

目、鼻、耳で感じる春の訪れ

【歌詞】
花びら 散るらむ⁽³⁾ 絶えず芽吹いて
たりら 歌えば 鶯も Shake it up !
今年も庭に梅が咲きました
えもいわぬ⁽⁴⁾匂いについておいで

(註3)今ごろ散ってしまっているだろう
(註4)言いようもないほどすばらしい

【和歌】
春さればぬえ隠れて鶯そ鳴きてぬなる梅がづえに やまぐちのわか

【現代語訳】
春になれば梢に隠れて鶯が鳴き移るようです。梅の下枝のほうに。

【解説】
ウグイスについて詠まれた歌は「梅花の歌」中5首あるのですが、春が訪れる→ウグイスが鳴き始めるという順序がはっきりとイメージできるこの歌が最もモチーフに近いでしょう。
「花びら散るらむ~」の1行は、一見梅の花が散る様子を指しているように感じますが、そうではなく春に次々に咲いては散っていくその他大勢の草花のことであると筆者は考えます。梅の花が散ることは春の終わりを感じさせる事象であり、それが散ったのにウグイスが鳴き始めるのは辻褄が合わないからです。
春の訪れに合わせて多くの草花がせわしく咲いては散っていくのに合わせて、ウグイスも急いでさえずりを始める。目では咲き誇る梅の花を、鼻では草花の匂いを、耳ではウグイスの声から感じる春の訪れを歓迎している気持ちが思い浮かびます。

大切なものが壊れても気にしない

【歌詞】
夢みたい この舞台 輝いてて美しい
死ぬまで 学びたい この景色を抱いて
めでたし めでたし 君も僕もめでたし⁽⁵⁾
憎まない 恨まない 溢れるほど愛を

(註5)愛したい

【和歌】
青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし まんせい

【現代語訳】
青柳を折り梅をかざして酒を飲んだその後はもう散ってしまっても満足だ。

【解説】
ファンの方の考察によると、BAIKAの「憎まない、恨まない~」のフレーズは、同じくばっしょーの楽曲「Happy」の一節と酷似しているそうです。そこから考えられるこのフレーズの意味は、大切なものが壊されたとしても憎まないし、恨まないということ。その考えに最も近いのが上の和歌です。「大切な人」と梅の花(=大切なもの)を見ながら酒を飲み交わした後は、それが散って(=壊れて)しまってもかまわない。
大切な人と作り上げた景色は美しい。しかしその思い出は儚いものであり、たとえそれが壊れたとしても誰かを憎んではいけないのですね。

日々を彩るスポットライト

【歌詞】
そびえ立つビルに 埋もれそうな日も
君と踊れば Fly high Fly high
こくはく通りを 徒然⁽⁶⁾歩く
頭に浮かぶ 白く色付く スポットライト

(註6)することがなく退屈に

【和歌】
妹がに雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも ののくにかた

【現代語訳】
恋しい人の家に雪が降っているのかと見えるほどに散り乱れる梅の花だなあ。

【解説】
和歌の作者が、恋人のもとへ通う場面。梅の花が、まるで雪が降るかのように激しく散り乱れ、彩りを添えてくれている、そのような情景が詠まれています。
歌詞はその現代版です。1つ前のフレーズでも登場した「大切な人」は、息苦しい世の中で生きる自分を楽しませてくれる。それを彩るのは梅の花びらではなく白いスポットライトです。
なお、「国博通り」とは太宰府天満宮の前を通る道のことで、もしかするとこの歌詞は菅原道真とも何か関係があるのかと思いましたが、最終的には歌詞中で特に大きな意味は持っていないと判断しました。歌詞に九州成分を含ませたかったのかもしれません。⁽⁷⁾俺北海道民だからこの通りのこと何も知らないし…

(註7)「国博」と「告白」をかけているのかもしれません。筆者も曲を初めて聴いたときは「告白通り」に聴こえました。

梅の花のように楽しい毎日

【歌詞】
最愛の日々に髪飾りを
春夏秋冬も煌めくよう
年中無休 咲いて
かなしからん⁽⁸⁾Giri’s life
梅花みたいに
楽しみ尽くそう

(註8)しみじみと愛しいような 

【和歌】
梅の花折りてかざせる諸人は今日の間は楽しくあるべし あらうじのいなしき

【現代語訳】
梅の花を折りかざして遊ぶ人々は今日一日が楽しいことでしょう。

【解説】
現代語訳では省略されていますが、折りかざした梅の花は最終的に頭に挿して髪飾りにしています。梅の花の髪飾りを挿して遊ぶ人が楽しむ様子を詠んだ和歌ですが、歌詞ではそこからさらに想像を膨らませています。梅の花と言えば春ですが、歌詞からは季節関係なく毎日を楽しもうとする気持ちが伝わってきますね。
女の子として生きている愛しき日々を、満開に咲く梅の花のように華やかなものにしたい。筆者は男の子ですが、このマインドを見習って日々明るく生きたいです。

困難の先には、次の輝きが待っている

【歌詞】
風が吹き荒んでも
強く強く立ち並ぶのさ
進め進め光さす空
咲いた 咲いた いと清らなり⁽⁹⁾

(註9)とても気品があって美しい

【和歌】
梅の花咲きて散りなば桜花継ぎてさくべくなりにてあらず ちょうしのふく

【現代語訳】
梅の花が咲いて散ってしまったなら桜の花が次いで咲きそうになっているではないか。

【解説】
前フレーズの続きです。たとえ困難が待ち受けていようとも、光を目指して強く突き進もう。そうすれば、輝いて美しい日々が待っているから。―歌詞からはこのような決意が伝わってきます。
この歌詞のモチーフになったのが上の和歌です。梅の花が散る様子を困難になぞらえ、梅の花が散ってしまっても、その後は桜が開花するように新たな輝きに満ちた出来事が待っている。このような思いを歌詞に込めたと考えられます。

みんなで一緒に踊りたい

【歌詞】
行き交う 人たち 我が心で照らしたい
折りく⁽¹⁰⁾ 波間も 共に乗り越えよう
おしてる おしてる 君も僕も押し照る⁽¹¹⁾
踊りたい 歌いたい 身を合はして⁽¹²⁾表明

(註10)しきりに寄せる。「折り懸く」はカ行下二段活用動詞なので「折り懸くる波間」が文法的に正しいのではないですかね…
(註11)一面に照りわたる
(註12)一心同体となって

【和歌】
春さらば逢はむと思ひし梅の花今日の遊びにあひ見つるかも こうしのつう

【現代語訳】
春になったなら逢おうと思っていた梅の花に今日の宴の席で逢えたことだなあ。

【解説】
春になったら逢いたいと思っていた梅の花に、今日こうしてみんなと一緒に宴の席で逢えている。その喜びを詠んだ和歌です。重要なのはこの歌が宴の席で詠まれたという事実で、「踊りたい、歌いたい~」という一文は宴というワードから連想されたものなのでしょう。
作詞者にとっては、行き交う人々も宴に興じる仲間と同じ大切な人であり、名も知らない苦しむ人々をも光で照らし、享楽も困難もともに分かち合いたいのです。

今を生きる証を未来へ

【歌詞】
移ろふ未来に咲き誇る
しゃなりと⁽¹³⁾音なる方へ
誰かのために 自分のために
伝えたいいつまでもずっとThank you

(註13)生え出してくる

【和歌】
鶯の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため かどべのいそたり

【現代語訳】
鶯が開花を待ちわびていた梅の花は散らずにあってほしいものだ。恋い慕う子らのため。

【解説】
最後に見ていくフレーズです。和歌の中に出てくる「思ふ子」とはウグイスのことで、美しい梅の開花を待ちわびていたウグイスのために花がまだ散らないでほしい、というのが歌の大意なのですが、歌詞中ではそれを拡大解釈し、梅の花(のように美しい自分が生きた証)を未来に生きる人にまでも伝えていきたい、という意味で用いているようです。
その梅の花は「音なる方へ咲き誇る」ようですが、ここでいう「音」とは音そのものではなく、光り輝くにぎやかな未来のことを挿していると思われます。花は音ではなく光に向かって咲きますものね。「しゃなり」という擬音に合わせて「音」というワードを使っているのでしょう。
変わりゆく世の中にあっても、梅の花は変わらず凛として咲いている。そのように自分が強く生きた証を、そして自分が生きていることへの感謝を未来に伝えていくことが大切ですね。

全体に込められたメッセージ

BAIKAの歌詞をフレーズごとに区切って意味を考えてきましたが、これらをまとめるとどのようなストーリーが浮かび上がってくるか。筆者は、この曲に明確なストーリーというものはないと考えています。各フレーズはそれぞれ別の和歌がモチーフになっており、それらは梅の花について詠まれている以外の共通点が存在しないからです。無理やりまとめるなら「悲しみも喜びも、自分も他人もみんな受け入れて、美しく咲く梅の花のように力強く生きよう」というメッセージを伝えている―といった感じかな?

あとがき

今回、この記事を執筆しようと思ったのは、僕の万葉集に対する興味が高くなっていたことが理由です。僕が最近読んだ本は万葉集がモチーフの短編小説集で⁽¹⁴⁾、万葉集は想像以上に日本人の心に根付いているものなのだと感じました。そしてこれは調べていくうちに知ったことですが、春乃きいなさんも万葉集が好きだというじゃないですか。こんなの、書かないわけにはいかないでしょ?
元々、僕の万葉集に関する知識は皆無に等しかったわけなのですが、調べていくうちに太古の日本人の心に触れることができたような気がして大変勉強になりました。高校卒業後すっかり忘れていた古文の知識も少しだけ思い出しましたよ。高校生のときにこんな機会があれば、もう少し古文を楽しく勉強できてたかもなぁ…
正直、僕は近年のテクノポップ一辺倒の曲たちはあまり好きではないのですが、不思議とBAIKAだけはその中ですっと入ってきたのです。切なげな曲調と、その中にわずかに感じる人間味に惹かれたのかもしれません。テクノポップがあまり得意ではない方にも一度聴いてほしいです。他の曲とは一味違いますから。
 
最後まで読んでくださりありがとうございました。週末のライブに行かれる方は楽しんでくださいね。僕は田舎から応援しています。
それでは、おやすみなさい。

(註14)宮田愛萌『きらきらし』新潮社、2023年

参考文献

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