ほぼセリフゼロの映画 「裸の島」(新藤兼人監督)
新藤兼人監督の「裸の島」を観た。と言うか、今観ている途中だが、大変感心したので、居てもたってもいられず、これを書いている。
なにに感心したかというと、ほぼセリフなしでも、ちゃんと映画が成立することを改めて認識させられたことが、まず一点。
もう一つは、ほとんど説明もなく、島で暮らす4人家族の生活をたんたんと追うだけ、というシンプルなストーリーなのに、人の営みと言うか、人生の起伏と言うか、なにか深いものを感じさせられたことだ。
この作品を観ながら、三船敏郎が出演した「太平洋の地獄」という映画を思い出した(監督名は忘れた)。島が舞台、セリフが少ない、出演者が少ないといった共通点があるからだ。この作品については、また別の機会に書きたいと思う。
話が脱線した。さっきも書いたが、裸の島には、ほとんど説明がない。4人家族であるかどうかも、定かではない。4人の名前もわからない。なぜ、こんな小さな、なにもない島に住んでいるのか、いつから住んでいるのか、なんの情報もない。
新藤監督は、明らかに、意図的にそういった情報を隠している。映像と自然音、BGMだけで、映画を撮り、なにかを伝えようとしている。そしてそれはちゃんと成功しているように思われる。この映画を観ていると、「セリフなんか無粋だ」と思えてくるから、不思議だ。
ここまで書いたところで、映画が終わったが、やはり最後までセリフらしいセリフはなかった。新藤監督自身は非常に饒舌なイメージがあるが、そういう人間が「無言劇」を撮ったと思えば、味わい深いものがある。
映画後半になって、突然、この家族に不幸が訪れるのだが、その不幸もなんとなく過ぎ去り、再び生活描写に戻り、なんとなくエンディングを迎える。新藤の視線は終始、この家族の生活上の喜怒哀楽に注がれているようだが、もっと深い、本質的ななにかにフォーカスしている、と感じられてならない。
じゃあ、「そのなにかとはなんだ」と言うと、今のところ言葉にならない。すぐわかったつもりになるのも、ツマラナイので、それはそれで良い。何度か観直しながら、じっくり考えたいと思っている。