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平凡な男の非凡 スローシャッター考

紀行文学が陳腐化して久しい。それはもちろん、海外旅行が容易になったことと関係している。
1952年に三島由紀夫が欧米旅行記「アポロの杯」を記したころは観光目的の海外旅行はほとんど認められず、海外旅行は外交官や商社マンなどごく一部の人間の特権だった。それだけに、それを得られた文人は自らの感受性を濫費して異国の体験を味わい尽くし、原稿用紙に向かったものだった。
海外旅行がようやく一般的になった時代に頻繁に海外を訪れた開高健は、アマゾンの奥地やアラスカなどあえてマイナーな地に向かった。そこで、趣味の釣りを軸とする紀行文をつむいだ。職業作家が趣味を極めようとする姿勢と異国情緒のコンビネーションが、傑出した紀行文学が生まれる背景にあった。
では、現代はどうか。もはや日本人が立ち入れない場所は、北朝鮮の地方部などほんのいくつかしかない。たいていの国にはビザなしで入れるし、観光客として歓迎される。身の危険を顧みなければ、シリアやウクライナなど戦火に見舞われている国にすら立ち入ることができる。
現在はインターネットで個人でも発信ができるようになり、SNSには辺地を訪れた旅行者の写真や動画付きの冒険譚があふれている。そういう文章を書いてジャーナリストを名乗るアマチュアも少なくない。
結果としてエギゾチズムの価値は低下し、写真や動画を多用するために総じて文章の力も落ちている傾向にあるのは否めない。「紀行文学は、文学として死んだ」。ある文化人がそんなことを言うのを聞いたことがある。
そんな時代に田所敦嗣氏の「スローシャッター」が世に出たのは、以下の3つの点で意義深いものがある。
第1の点は、著者の経歴の特異性だ。本書は田所氏が水産会社の社員として世界各地に出張した際のエッセイをまとめた内容で、著名な文人が書いてきた紀行文とは大きく異なる。何より田所氏は文筆をなりわいにしてきたわけではない、無名の一社員だ。
ただ、この著者の非凡さは、この平凡な経歴の中にこそある。田所氏は無名ではあっても、国際ビジネスの最前線にいる一流のサラリーマンだ。そして、それこそが職業作家やジャーナリストに立ち入ることが難しかった領域の開拓を可能にした。それは、なりわいを通じた人の信頼の獲得にほかならない。
ジャーナリストや作家は、旅先の取材対象、つまり出会った人々の生活を知ろうとはすれ、それを支えることはない。私もその一員だから多少はわかるが、彼らはずかずかと人の生活に入っては去っていく無責任な存在だ。一方、本書の中で田所氏は、出会った多くの人々の生活にとって不可欠な存在として現れる。
本書を世に出したひろのぶと株式会社の田中泰延社長は紹介文の冒頭に「人と人は、仕事を通じて、仲間となり、友となる」と書き記した。そうだ。人はプロの仕事がなければ真の友人をつくることはできない。そして、その仕事がその人の人生にとって重要なものであるほど、友として心を通わせる密度は高くなっていく。
第2の点は、本書が書かれた環境にある。この本の大半は新型コロナウイルスのパンデミックの中で、海外旅行ができない行動制限の中で書かれた。田所氏は当時、40代前半だった。
海外旅行に関する本が、海外旅行ができない中で書かれる。私はここに全く矛盾を認めない。むしろ必然性すら感じる。
40代のプロのサラリーマンの大半は、エッセイを書くために机に向かうことなんてしない。人生の全き価値を知覚する最良の年代にあって、まして世界を飛び回っていたなら、そんなことに時間を割こうなんて思わないものだ。
19世紀のイギリスの文豪オスカー・ワイルドは「真の芸術家はその生活自体がアートなので、芸術を遺すことはない」という趣旨の箴言を残した。本書を読む限り、感受性が豊富な田所氏のコロナ前の生活、つまり仕事もアート性が高く、幸福であった。だからこそ、それを書き記すには至らなかった。
おそらくコロナによる行動制限こそが、年月を経て熟成された同氏の経験が文章として外に出る環境を整えたのだろう。獄中やペスト渦の中で多くの名著や発見が生まれた歴史をみても明らかだが、文学はなんらかの鬱屈や制約がなければ生まれないという性質を持つ。
肉体の動きが制限された分、精神の働きが活性化され、創造につながるのだ。その意味では、本書はコロナ禍がもたらしたプラスの副産物の一つと位置づけられる。
最後の点は、田所氏の運にある。本書はnoteの田所氏の紀行文を読んで同氏の才能を見いだした先述の田中社長の決断によって刊行に至った。
人を見いだし、白羽の矢を立て、引き上げる。リスクに過敏な昨今の日本社会で、そんなリーダーの姿をみるのは稀になった。文学史をひもとくと、どんな文豪にも、才能を開花させる過程ではリスクを取って推してくれた存在がいた。ドストエフスキーにはベリンスキーが、三島には川端康成が、太宰治には佐藤春夫がいたように。
今の出版不況下で、無名の新人が商業ベースの本を出すことがどれだけ大変なことか。私も一冊の本を上梓した経験から多少なりとも知っている。それは著者にとっては気の遠くなるようなプロセスであるが、出版社にとっては純粋な経営リスクにほかならない。経営的に楽ではない中小の出版社にとってはなおさらだ。
それでも、田中社長は自社の2作目の作品の著者として田所氏に白羽の矢を立てた。圧倒的な気合いと自信、実力がなければできない芸当である。そして、田中社長を引き寄せた田所氏の運の強さも尋常ではない。やはり仕事というのは運と実力、そして運を運命にする意志力がそろわないと成就しないものであると実感させられる。
私が本書で違和感を持ったのは、写真が良すぎるという一点しかない。「アプーは小屋から世界へ旅をする」の29ページの空港ラウンジの写真にみられるように、本書に挿入された映像は極めて雄弁だ。ただ、それは読者の想像力を制限するというデメリットもある。
おそらく私は古いタイプの人間だから、こんな抵抗感を持ったのかもしれない。ただ、私は言葉で言い表せないものを言葉だけで言い表す取り組みを続けるのが、言葉を使うプロの責務ではないかと思っている。
兼業作家として本を出すのは容易ではない。でも、本書を刊行してプロの作家の顔を持った田所氏の次作を、私は気長に待とうと思う。
最後に、田所氏という作家が誕生させたことで、私の人生の楽しみを増やしてくれた出版社の皆様に改めて感謝を申し上げたい。
#スローシャッター

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