ゲンロンカフェ「東浩紀がいま考えていること・5」個人的解釈と感想~ゲンロンカフェによるSF的想像力での現在の揺さぶり~

8月20日配信のゲンロンカフェ「東浩紀がいま考えていること・5」を面白く見ました。
特に頭の3時間は必見ではないかと‥
今回も個人的な解釈に引きつけて感想を書いてみます。

1.東さん指摘の、確定記述、単独性、訂正可能性と、接触、中動態について

今回の配信の中での東さん指摘の以下の3つの要素、
1 確定記述(規則、法) 設計主義
2 単独性(無、超越、正義) 実存主義
3 訂正可能性(家族、類似性、歴史) 保守主義?
は、それぞれ私の「保守・リベラル配置図」で示した
A 積極/秩序(横軸右)
B 離脱/解放(横軸左)
C 寛容/多様性(縦軸上)
の矢印に対応するとも思われました。
(微妙には違うのですが‥)

これは、1 確定記述(規則、法)を求めるのが右派的であり、2 単独性(無、超越、正義)を求めるのが左派的であると考えれば分かりやすいかと‥
右派は規則(秩序)に対して積極的(<積極/秩序>)であり、左派は単独性を求めその規則(秩序)から離脱し解放されたがっている(<離脱/解放>)と考えると、東さんの分類と私の図の相関性も理解出来るのではとは‥

東さんは「接触」の話もされていました。
東さんは「接触」とは「触る」「触られる」の区別が難しい関係性でその一体性の指摘もされていました。

ところでこの「接触」における「触る」「触られる」の一体性の話は、この後の話の(能動/受動で分けられない)「中動態」の話に近いとは思われました。
「触る」は能動であり、「触られる」は受動であると考えれば、その両者が一体化している「接触」は必然的に「中動態」の概念となると思われるからです。

なので、東さんは「接触」の概念を(タブレットなどの)今のメディアの時代の話として肯定的に捉えていたので、「中動態」の概念も肯定的に捉えるかと思って見ていました。
ところが東さんは、「中動態」について、意思の場所そのものが曖昧な「悪の愚かさ」(責任の欠如)を産む概念として否定的に捉えて指摘します。

ここが個人的には面白い、と思われました‥

2.個人的な<秩序><寛容性><離脱>の考え

ところで、個人的にはこの「接触」は、拡張して<身体的な(人対人の)対面>にも広げることが出来ると思われました。

そしてこの<身体的な対面>は必ず【上下関係】を産み出すと思われています。
この【上下関係】の蓄積こそ<秩序>の源泉であるかと‥

ところでこの【上下関係】は一見、能動と受動(あるいは支配と被支配)に明確に分かれそうですが、実際はそんなに明確に分かれたりはしません‥
上の人間はある意味で立場を引き受け下から見られ、下の人間も積極的にその関係性に関わったりしています‥
いわばこの【上下関係】も支配/被支配の面では明確に分けられず、一体性があり「接触」的であり「中動態」の要素も色濃く含んでいると言えます‥

あとなぜ<身体的な対面>が起こるかと言えば、人は【欲望的】になる時に、その欲望を満たすために周りの人と対面することになるからだと‥
その【欲望】の結果、人々は<身体的な対面>が起こり、その【上下関係】の蓄積で<秩序>が形成されて行くと思われます‥

つまりなぜ右派が<秩序>に積極的に映るかと言えば、それはその人が【欲望に積極的】だからと言えます‥
【欲望に積極的】であればあるほど、逆に【上下関係】の<秩序>にぶち当たる矛盾‥

よく行われている右派が持つ<秩序>性に対する(左派的な)批判がほとんど無効なのは、その<秩序>性への深層に【欲望への肯定感】があるからです‥
【欲望への肯定感】の否定は、人々から逆に嫌悪感を持たれます‥
左派の人達の多くがこの【欲望】と<秩序>の矛盾した関係を根本的に理解しておらず、だからこそ左派による右派に対する<秩序>性への批判が人々に届かないのだ、と個人的には思われています‥

ところでこの欲望からの<身体的な対面>で出来る【上下関係】<秩序>で人間関係は完結する訳ではありません‥
その【上下関係】<秩序>を前提に、その中から<寛容性>と<離脱>という2つの別のベクトルが産まれてくると思われます‥

例えば<寛容性>は、<身体的な対面>での【上下関係】の関係性の中から、[共感や許しや別の逆転した上下関係の要素]などが折り重なり産まれると思われます‥
お互いにあいつなら‥との信頼関係が形成され、上下関係とは別の[フラットな関係性]が形成されると思われます‥
これこそが<寛容性>の源泉とも言えるかと‥

もう一つの<離脱>は、それらを含んだ関係性の中から(精神的含めて)離脱する行為です‥

しかしこの<離脱>の概念は、<身体的な対面>で出来る【上下関係】の<秩序>をまず前提としていて、そこから解放される為の<離脱>の概念であるかと‥
なので<離脱>の概念が有効に成り立つのは、【上下関係】<秩序>を前提にしている範囲のみと思われます‥

よく左派の人達に「対案」が求められるのは、左派の人達(の大半)が(<秩序>を前提として<離脱>している経緯を忘却しているので)、<秩序>を無視して理想的<離脱>(解放)を押し進める事が出来ると勘違いしているからだと思われます‥

個人的には、この<身体的な対面>で形成される【上下関係】<秩序>を改善する契機は、この<秩序>を前提にして(共同体の)中に分け入り、その中で湧き上がっている人々の<寛容性>や<離脱>深層を具体的に言語化して見つけ出す他ないと考えています‥

ところが東さんはこの私の考えとは別の改善の方法論を今回の配信で提示しています‥

3.東浩紀さんの「投機/訂正可能性の時間」という、SF的な並行世界的改善の方法論と、ゲンロンカフェの本質

2.で私が提示した<秩序>の改善方法論は、いわば<秩序>(共同体)の中に入って、一旦その<秩序>(共同体)は肯定しながら、その中で人々の<寛容性>や<離脱>深層を具体的に探り、中から改善策を具現化して行うものでした。

というのも「中動態」的な<秩序>は人々の足場になっていて、(左派が既存<秩序>を無視して理想を言う間違いの様な)外からそれを全否定して取り替えることは不可能だからです‥

(例えば、辺野古基地移設消費税の増税「黒い雨」区域拡大見送り、を決めたのは民主党政権でした‥そもそも既存の<秩序>を無視した理想論的な現実全否定の取り替えは不可能なのです‥)

例えるなら、外から人の家に入り込み、床を全部外してリフォームする様なものです‥
当然そこに住んでいる人から(たとえその人が内装の改善を望んでいたとしても)激怒されるのがオチです‥

ところが東さんは、私の様な<秩序>(共同体)の中に入り、一旦その<秩序>(共同体)を肯定してから改善策をその中から見つけて行く方法論は主張していません。

東さんの改善策は、「投機/訂正可能性の時間」という概念を取り入れて、(過去からや未来からの)「破局が起こらなかった世界」(あるいは「破局が起こった世界」)という「別世界」(色んな未来)を想像力で構築して、そこから現在を見るという方法論です‥
いわば並行的な「別世界」を構築して現在を揺さぶるという方法論です。

上のリフォームの例でいうと、新しいリフォームの提案を(バーチャルでも)さっさとそこの住人に示してしまい、人々にそっちの方がいいね‥と思わせてしまうやり方かと‥

この並行的な「別世界」を想像力で構築するやり方は、凡庸な言い方で言えば具体的「対案」を示すやり方ですが、この(複数の)並行世界で現在を揺さぶる方法論はどこかSFめいています‥
つまりゲンロンカフェの面白さの本質は、この並行的な世界で現在を揺さぶるというSF的な方法論にあるのではと今回思われました‥

東さんは「接触」を肯定しながら「中動態」に批判的という興味深い指摘をし、共同体(<秩序>)を暗に否定しながら、外から、共同体(<秩序>)中の人々にも伝わる<秩序>改善策の方法論を提示していると今回思われました‥
これは他では見当たらない新しい方法論なのではと‥

望むべくは、東さん以外のゲンロンカフェ登壇者も、ゲンロンカフェとは《現在を揺さぶる並行世界を提示する場所》と意識化して登場することになれば、一般の人々にとっても広く深く望まれる現在的な有効な場所に更になるのではと‥

(余談ですが、この共同体(<秩序>)の中からと外からとの具体的「訂正可能性」改善策を探る違いが、私と東さんとの新型コロナに対する考えの違いでもあると今回思われましたが‥)

日本の多くの左派が、改善策としては無効である<秩序>(共同体)の中身を具体的には無視して批判を続けている不毛の中で、個人的には「訂正可能性」左派(私の言葉では<寛容性ある左派>)は出現出来るはずだと思ってはいます‥

そして(私の様な共同体の中からの「訂正可能性」左派の出現を望むだけでなく)、並行世界で現在を揺さぶるという、共同体の外からの「訂正可能性」左派の場所を構築しようとしている東浩紀さんとゲンロンのことも今回感じて、今回も大変面白く見ました‥
ありがとうございました‥

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