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大きな障害は大きな恵みでもある。

なんでこんな辛い目に合わなきゃいけないんだろう。

私の人生の浮き沈みは、体調の波にほぼ左右されていたと言っても過言ではありません。

物心つく頃には、私は手のひらにアトピーが出ていました。当時のお医者さんには、小学校に入るころには治るよ。と言われていましたが、全く変化もなく。処方されたステロイド外用薬を塗る毎日。

それでも、医者の思ったように治っていないと、ちゃんと塗りなさい!と母は医者に怒られていたようです。

母も医者に通う以外の方法を色々と調べてくれ、健康食品や療法など本当にいろんな種類を試しました。それでも特に変化もせず、手のひらはひび割れしたり、浸出液が出てきたり、皮むけしたり。授業中には、浮いてきた皮をむしったり、浸出液の出た痒い部分を掻いたりで、気を散らす先には困らない学生時代でした。

特に小学生くらいというのは残酷で、手から血が滲んでいたり、赤くなって皮がむけたりという様子を見て、うつる!触るな!って言われたこともありました。

「伝染病じゃないんだから、うつるわけないじゃない。馬鹿なの?」と思っていたので、心にはそれほどダメージでもなかったのですが、言葉は自分の中に残ってるもんですね。

その間もステロイド外用薬を使い続け、大変強い薬を使っても、抑えきれないという状況が続いたのは二十歳ころまで。


それは大学4年の頃でした。ステロイド外用薬の副作用が世間に知られるようになってきたのです。顔に使い続けて失明したとか、全身ドロドロに肌が溶けたとか?人づてに聞いたので、きちんと調べたもんじゃありませんが、このまま薬を使ってちゃマズいという恐怖だけが私の中に植え付けられました。

そもそも、その頃の情報源と言ったら、パソコン通信でさえ、ごく一部のマニアックな人が使うもので、テレビか新聞か週刊誌、口コミだけだったので、検証のしようもなかったのです。

友達に連れていかれた化粧品メーカーの無料体験の場で、そんな話を聞いてしまいました。これはすぐにでも薬は止めたほうがよさそうだ。となって、突然の脱ステ(とっても危険ですので、医者などの信用できる人の指導のもと、徐々に減らすなどしてくださいね)

すぐにリバウンドがやってきました。手はパンパンに腫れあがり、顔も真っ赤に腫れました。何を触るのにも、血液と浸出液でベタベタになりました。瞼も腫れてたので、目も十分に開かず。二十歳過ぎのきれいな盛りのはずの顔は、目も当てられない状態でした。

長年にわたりステロイド外用薬を使い続けた結果、ステロイドを自前で生産する副腎が、まともに機能しなくなっていたところに、外からの補給をストップした訳ですから、肌を正常に保つ機能が働かないのは当然です。

その後何年かかけて、リバウンドも落ち着いていき、20代後半くらいには軽く化粧もできるようになりました。何で乗り越えられたのか、私にも分からないくらい、振り返ってもひどい状態だったと思います。

それなのに、一度良くなってしまうと、また悪化するのは怖くて、また市販の外用薬を使い始めてしまいます。処方薬でなければそんなに強くないだろうと、勝手に思ったんですよね。そんなこともあり、すごく酷くはないけど、ちょっと不自由。くらいのアトピー状態が、何年か続きました。

次に悪化したのは、息子を妊娠した時。それまでどうにかやり過ごせていたのに、どんどん悪化を始めたのです。妊娠によって、体が活性化したのかもしれません。肌からのデトックスが始まった感じです。

これ以上外用薬を使い続けても、体は排出しようとしているのにそれを外から抑え込むという矛盾したことを続けていくだけだ。と思い込んだ私は、再び脱ステロイドに挑みます。何度も言いますが、自己判断の脱ステは、ほんとーーーうにお勧めしません。それが妊娠中ならなおさら。

これがまた酷かった。全身にリバウンドが出たのです。背中だろうが腕だろうが足だろうが。もちろん顔も出てました。かゆみで眠れない日が続きました。呼吸もできない状態で午前4時ころまで布団の中で体を掻き続け、その時間にふっと痒みが遠のいて寝付くという生活。浸出液は全身から出て、朝起きるころには体にパジャマが張り付いていました。全身の皮が、毎日1枚剥けて、少し肌をなでるだけでもパラパラと皮が落ち、家の床は白い皮の粉粉で汚れました。

この酷い状態を抜けるには、出産後3年くらいかかりました。産後も仕事に復帰していたのですが、帰り道、家に続く坂道を登りながら、初めて本当に悲しくなったのを思い出します。それまでは、子育てや体調のことに必死で、感情のことに目を向ける余裕もなかったんです。

冒頭の、なんでこんな辛い目に合わなきゃいけないんだろう。

というのが、この時初めて意識に上ってきたというくらい、本当に必死だったのです。

一方、この感情を感じられるようになった時から、急激に体調は上向いていきました。辛い!と感じたら、治ってきた。それは私にも衝撃的な出来事でした。

ただ、悲しいことにこれが終わりではありませんでした。二人目の子供を出産した後、体を活性化するサプリメントを取り始めたのが、3回目の引き金を引きました。これがまた見事なくらいの悪化っぷり。頭皮と靴下の中以外、ドロドロになり、何をしても悪くなるという、笑うしかない状態。

そんな時、渡米治療の情報を発見しました。ステロイドは使用するけど、一旦薬でいい状態を作ってから、保湿と肌を守るケアを徹底すること。接触性アレルギーの治療をすること。それにより、強い肌を作ることと、アレルギー症状を克服していくことを両輪で。日本と同じ薬を使っていても、使い方が違う。それだけの差。

費用はかなりかかりましたが、1か月の渡米とその後のケアで、徐々に肌も強くなり、状態は良くなってきました。今は結局、最初からあった、手のひらのアトピーが多少あるくらい。何より、全身に痛み痒みがないというのは、本当にストレスがない。痒みを気にせず眠れるって、なんて幸せなの!?それまでどれだけ体を緊張させてきたことか。


この30年以上の試行錯誤で私が得られたのは、体に対する興味。心に対する興味でした。

感情が出せるようになるだけでも体は変化するのです。まず感じることだけでもとても大事。そして、体の力を抜いて、ちゃんとリラックスできることは、こんなにも貴重だということ。

なんと今の私の仕事にもなってしまっている体のこと。心のこと。

長い時間もお金もかけて、私はこの道に進むように導かれてきたようです。実際この仕事を通して、私は深い満足を得ています。大きな障害は大きな恵みでもある。

そんなことを感じた振り返りでした。


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