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L.V. ベートーベン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP. 61

L.V. ベートーベン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP. 61
Violin:イザベル・ファウスト( Isabelle Faust )
指揮:マーク・エルダー
演奏:ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

2018年2月25日、アムステルダム・コンセルトヘボウの Sunday Morning Concert にて演奏された、ベートーベンのバイオリン協奏曲の映像です。

独奏者は、Isabelle Faust さん。1972年ドイツ生まれの50歳。
 5歳からバイオリンを弾き始め、
 17歳にして International Violin Competition Leopold Mozart, 第一位
 18歳にして Premio Quadrivio Competition(Italy),第一位
 21歳にして Paganini Competition in Genoa, Italy, 第一位・・・そして、
 32歳にして ベルリン芸術大学 バイオリン科の教授に就任。

ものすごい経歴の持ち主。最近は日本での演奏会もありますので是非!

この方のバイオリンは「Sleeping Beauty(眠りの森の美女)」という別名を
持つ ストラディバリウス。良い音が致します。
また、ガット弦を使って演奏されます。高音部に行くときのキュキュという
弦の擦れる音が殆どありません。
両足が床に吸い付いているかのように動かず、見事に下半身が演奏を支えて居られます。感嘆!

さて、ベートーベンでした。

ベートーベンが生涯に一曲だけ書いたバイオリン協奏曲は、私には
「敬虔な愛の調べ」であるように聴こえます。無論、明快な論理的根拠がある訳ではありませんが、そのように聴こえるのです。

ベートーベンは、さてどんな人だったのでしょう。

(エピソード:1)
ベートーベンがゲーテと二人で散歩をしていてオーストリア皇后の一行と遭遇した時、ゲーテが脱帽・敬礼をして一行を見送ったのに対して、ベートーヴェンは昂然と頭を上げ、行列の前を横切ったといいます。

(エピソード:2)
ベートーヴェンはクリスチャンではあったとはいえ、バッハのような敬虔なクリスチャンではなかったようで、実際、純朴なクリスチャンだったハイドンからは「無神論者」呼ばわりされたといいます。

「キリストなどただの磔にされたユダヤ人に過ぎぬ」と、とんでもないことを発言したとか。ダビンチ・コードじゃないですが、ナポレオン共和制のような騒然とした時代だったから無事だったのでしょう。

彼の手記などを読むと、ベートーヴェンは、古代ギリシア思想に共感し、
インド哲学に近づき、結果として汎神論的な考えを持つに至ったようです。
 (心狭い宗教家から見ると、明らかに異端者です)
しかし同様な思想は、同時代の思想家、カントやゲーテ・シラー等にも
共通する特徴です。

ベートーヴェンは政治的には自由主義者、共和主義者であり、このことを
全く隠さなかったため、19世紀に入って敷かれたメッテルニヒによる
ウィーン体制のもとでは「反体制分子」とされ、スパイに監視されていたと言われているそう。

(エピソード:3)
ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、その作品は公式・私的行事のBGMとして作曲されることが多かったと言われますが、ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係を拒否し、むしろ一般大衆に向けた作品を発表する、自立した初めての音楽家でありました。

史上初めて、「音楽家は楽器を操るだけの曲芸師ではなく、芸術家である」、「音楽は、王侯・貴族の慰めでも飾りでもなく、普遍の芸術である」と、
公言したのです。

そのためでしょう、曲を作るときは、依頼されたものであってもその曲想の注文には一切耳を貸さず、自己の思想・表現を追求し、生涯これを貫いた
そうです。


さて、そんなエピソードを聞くと、毅然とし、宮廷文化圏や作曲家仲間にもあまり近づかず、むしろ民衆重視の思想家たちに近く、従って孤高を貫いた生き様が浮かび上がってきます。

その人が、生涯にただ1曲だけ残したバイオリン協奏曲です。

始まりこそ、堂々たるスタイルですが、バイオリンが奏でるメロディは
遠慮深く、切々としています。
心から愛した女性を思って、心を傾けた人を思って書かれたとしか思えないほどに、訥々として敬虔です。

ベートーベンのようなヒューマニティ溢れる思想家が、また彼のような孤高の人生を送った人が、人を愛する時にどのような思索に耽ったのでしょう。

愛を表明するときは、毅然と立ち、滔々と愛する理由を述べるのでしょうネ。

そして同時に、自分には相手を愛する資格が本当にあるのか、愛することにより相手に不測の不幸を与えているのではないか、自分は本当に愛していると言えるのか? それは何ゆえか・・・と、独り、煩悶するのでしょう。

そんな心根は、第2楽章のバイオリンのように、消え入りそうで、上目遣いに、訥々とし、遠慮深く、敬虔で、切々としているものです。
いつの世も、初めて深く女性を愛してしまった男性ほとんどに共通して
見られる心象風景です。

ただ、ベートーベンもきっとそう考えたことでしょうが、報われるかどうかは、問題ではないのですよね。

第3楽章のように、遠く離れて愛する人を見つめながらも、自分が愛した
ことに、誇りと尊厳を失わないことのほうが、何倍も大切なのです。
ジェーン・オースティン作、「高慢と偏見」の主人公、若きダーシー卿のように・・・・


生涯に、ただ1曲だけ書かれたバイオリン協奏曲は、見事な「愛」の音楽だと感じます。

この曲を弾くには、弓を弦に力強く押し付けて野太い音を出しながらも、
消え入りそうなピアニッシモをはっきり聴かせ、揺れる想いをビブラートに込めることができる、そんなフィドラー(弦楽器弾き)が良い。

沢山の候補者の中から、今回はイザベル・ファウストさんを選びました。
いつか皆様も、彼女の生演奏を聴くことがおできになるかもしれませんので (o^―^o)ニコ !!


では、続きまして L.V.ベートーベン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 OP. 73 「皇帝」へご案内いたします。

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