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スピン的哀しみのクラシック音楽史(4):ワーグナー ワルキューレの騎行

この記事は、 スピン的哀しみのクラシック音楽史(3):メンデルスゾーン バイオリン協奏曲 ホ短調 の続きです。

話がそれるかもしれませんが、ゲルマン民族というのは、実に興味深い特徴を持ちます。
世界の神話の中で、唯一、彼らだけが「神々」と戦い、終には殲滅してしまうのです。

「ニーベルンゲンの指輪」は言ってみれば、世界の規律を司っていた神々に対抗して英雄達が戦いを挑み、如何に滅ぼしたか、という物語であります。

「神々を滅ぼした民族は崇高であり、世界の他のどの民族にも勝る「力」を秘めている」という「ドイツ的選民思想」はここから生まれ出ています。

上掲の「ワルキューレの騎行」という曲をお聴きになってみてください。
「英雄」が侵略の行進曲に乗って天高く飛翔しています。

一方、ユダヤの民は、言わずもがなの、強烈な「選民思想」の本家本元。
ですから、ゲルマン民族とユダヤ民族は相容れる筈がありません。
ナチス・ドイツによるユダヤ民族の悲劇は、随分以前に遡り予測できたことです。

ワーグナーはゲルマン民族こそ「最高の”種”」であることを主張しました。

同時代に生きたユダヤ人のメンデルスゾーンは、心に咲き誇る花園をもち、あくまでも美しい音楽を書きましたが、ドイツ的選民思想を高らかに標榜
するワーグナーから見れば、取るに足りない金持ちの馬鹿息子の遊びにしか映らなかったのでありましょう。

メンデルスゾーンの1847年の死去を待っていたかのように、公然と批判が
始まります。
1850年にワーグナーは、その論文「音楽におけるユダヤ性」で、メンデルスゾーンの芸術性を否定し、ユダヤ人という一点で公然と罵倒しました。
「ユダヤの代表として、陳腐極まりない音楽家として、ドイツ民族を愚弄
した」と、メンデルスゾーンを断罪したのです。

これは、メンデルスゾーンの純朴性を逆手にとって、ユダヤ排斥の絶好の
モデルとして利用したものです。
しかも、生前にではなく、死後、反論も出来なくなってから。
卑劣で、罪深い所業です。

しかし、このワーグナーの「戦法」は当時の王侯やドイツ帝国の施政者に
とっては、また、密かに社会主義革命をもくろむ者たちにとっては、好都合なものでありました。

これを発端として、その後 約1世紀にわたり、メンデルスゾーンを凡庸と
みなし、芸術家としての価値を貶める世論が高まりました。

有名な哲学者ニーチェまでもが「メンデルスゾーンはドイツ音楽における「愛すべき間奏(ベートーヴェンとワーグナーの幕間の音楽)である」
という 嘲笑のコメントを残しています。

20世紀に入ると、ナチスの指導者とその音楽検閲機関である帝国音楽院は、メンデルスゾーンがユダヤの出身であることを理由に、その音楽の演奏を
全面禁止にし、作曲家たちに付随音楽「夏の夜の夢」を書き直すことを
指示しています。

さらに、ナチス統治下では「メンデルスゾーンは音楽の歴史における危険な『事故』として出現したもので、彼が決定的に19世紀のドイツ音楽を『退廃的』にした張本人である」とされました。

歴史上、幾度もなく繰り返し行われてきたユダヤの民の排斥運動が、1860年代のドイツで再び始まり、目を覆いたくなる粛清活動は、第2次世界大戦の終焉まで続きました。

悲劇は、行われたのです。

「個人攻撃」という卑劣な手段は、恐るべきイデオロギー専制支配の道具と
され、昏く長い悲劇の時代へと導かれました。

そして以降、ワーグナーはドイツの産んだ天才と謳われ続けました。
その子孫は、現在も、バイロイト祝祭劇場を守り続けています。

この、「変わり行く世界」の行く末を予見し、深く反応した二人の作曲家がいました。

メンデルスゾーン同様に、ワーグナーからの批判を受け、ドイツ帝国では
危うく行き場の無い境遇寸前にまで追い込まれました。
消え去ろうとする「旧き良き時代」を懐かしみ、あこがれ、その終焉を
嘆き、・・・来るべき時代の「恐怖」を予感しました。

ブラームスとブルックナーです。


スピン的驚きのクラシック音楽史(5)ブルックナー交響曲第4番「ロマンティーク」へ続きます。


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