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J. S. バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1-2巻 BWV 846〜893

ピアノ独奏:Sviatoslav Richter( スヴャトスラフ・リヒテル ) 
演奏時間:4時間30分00秒

J. S. バッハの音楽のご紹介で、この曲は外せません。
各巻24曲による48の前奏曲とフーガ曲集。

ベートーヴェンのソナタがピアノの「新約聖書」と称され、このバッハの
平均律クラヴィーア曲集は、ピアノの「旧約聖書」と称されており、音楽史上、最も重要な作品群のひとつと謂われています。

一押しのYoutube映像が、引用させて頂いた スヴャトスラフ・リヒテル
による演奏です。

J. S. バッハの一生を軽く辿ってみましょう。面白いことに気づきます。

1685年3月 ドイツ中央部の小さな町、アイゼナハにて生誕。
1700年 ハンブルクの南東の小さな町リューネブルクの修道院付属学校の
    給費生となり、
1703年 故郷アイゼナハに近いワイマールの宮廷楽団に就職
 同年  アルンシュタットという町の教会のオルガニストに採用
1708年 再びワイマールにて、ザクセン=ヴァイマル公国の
    宮廷オルガニストに転職
1717年 アンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長に転職
1723年 ライプツィヒの聖トーマス教会にキリスト教会音楽の指導者に転職
1736年 ザクセンの宮廷作曲家に任命され、聖トーマス教会の楽長を兼任
1750年 死去

J. S. バッハは、8歳にして神聖ローマ帝国の地方貴族の宮廷で働き始め、死去するまで一度も(公式には)ドイツ国外に出たこともなく、様々な公国の領主様の宮廷に働き、没した人です。

卓越したオルガン奏者でありましたが、決して有名だったわけでもなく、華々しい演奏活動を展開したわけでもなく、社交サロンで貴婦人達から
もてはやされた訳でもない、質素で、真面目な勤め人であったことが
覗われます。

(前に書きましたが)特に目立ったこともない人生であったらしく、死後、その作品は忘れ去られ、没後80年経って、1829年のメンデルスゾーンによるマタイ受難曲のベルリン公演をきっかけに、ようやく、高く再評価されるようになりました。

そんな「高名でもなんでもないオルガン弾きの作品群」は誠に幸いなことに塵となる前に発見されたのです。

そういう生き様を想像しながら、この曲を聴いてみてください。

なんと 豊かな空想に満ちていることか!
なんと 色鮮やかな青春の息吹が込められていることか!
なんと 美しい愛に満ちていることか!
広大な天空の神々との語らいに満ちていることか!!

この曲ほどに人生の機微を深く大切に織り込んでいる曲には、滅多に出会うことが無いでしょう。

バッハの人となりをうかがい知る術はありません。
が、淡々と宮廷や教会の為の曲を作りつつ、独り静かに、自身の中の色鮮やかな音楽の世界を書き留めていた、中世の職業人の姿を見ることができます。


⇒ J. S. バッハ:ゴルトベルグ変奏曲 BWV 988 へ
  まいります。


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