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J.S. バッハ:ミサ曲 ロ短調 BWV 232

指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ (1914年5月9日 - 2005年6月14日)
ニューフィルハーモニア合唱団
フィルハーモニア管弦楽団
収録:1972年 7月 於:ロンドン

「私はスコアとともに生き、スコアは私の一部になり、

その瞬間、私は作曲者の召使になる。

作曲家は天才で、私は何者でもない。

曲を知っているというのは第一段階にすぎない。

第二段階は曲について瞑想すること、

第三段階はそれが血になるまで吸収し、その曲が体の一部になった時、

ようやく指揮台に立つ用意ができる。」

    - カルロ・マリア・ジュリーニ


この演奏しかないと思っています。

ジュリーニへの追悼ーという意味も、心のどこかに引っかかっていますが、

それらの雑念をこえて、この演奏しかないと思うのです。

イタリア南東部の小さな町の出身のジュリーニですから、

本来なら、太陽と青い海とさわやかな風の景色を、原風景としているはず。

しかし彼は、どの録音を聴いても、あくまでも思慮深く真摯でありました。

60歳を間近にして初めて振った、このバッハのミサ曲においても、

荘厳にして敬虔な「祈り」にのみ集中しているのです。

ジュリーニの生きた時間の集積がここには在るのだと思います。

祈りは静かになされるべきものです。

言葉の一言一言をかみしめ、足元に眼を落とし、声に出すともなく呟き、

自らの軌跡を恥じ、不徳の許しを請い、神の救いを願い、永劫の至福を

祈る。

十字架を仰ぎ、ステインに彩られた光さす、冷え切った石床にひざまずき、

ひたすらに、ひたすらに、そして無心に、虚空のかなたの神を見つめ、

祈る。

ジュリーニは恣意的にではなく誠に虚心坦懐に無心にタクトを振りつづけ、

オーケストラと合唱が織り成す、神秘的でポリフォニーな綾の布を、

神への祈り以外の想念の入り込む一部の隙間もなく、織りあげています。

至上のバッハ演奏であり、至上のクラシック名盤であります。



L.V. ベートーベン:ヴァイオリンと管弦楽のための ロマンス 第2番 OP. 50 
へ 参ります。


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