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バチェラーを見るなどした

最近、バチェラーseason4を視聴し、想像以上に面白かったので立て続けにseason5、バチェロレッテ1を視聴した。シリーズ作にも少しずつ手を伸ばし始めていて、にわかではあるが一介のファンとなっている。

得てしてこういうシリーズ作は通常番号順にみるのが筋というものだろうが、時折視聴しているpivotなどのほかのyoutubeメディアでバチェラーとなる黄さんを認識していたために、意図的にseason4から視聴した。

先にも述べたがバチェラー4は自分にとっては想像をはるかに上回る面白さで、1日で全部を完走してしまった。とにかく人間の気持ちの移り変わりが見ていて面白い。
様々な場面でバチェラーあるいは候補者に、一視聴者として感情移入できるシーンも多く、感動的あるいは苦悩を共有できる構図や番組的な見せ方の手腕に首を唸らせられた。
なんとなくバチェラーである黄さんの一部に、八方美人かつ完璧主義的な性格的な共通点が見いだせたのが面白いと感じたポイントの一つとしてはあるかもしれない。
バチェロレッテの最終回やバックグラウンド的な部分に感情移入しすぎて自分でも見ながら心苦しさを覚えるぐらいだった。

season5は4とはかなり異なるベクトルだったなという感想だった。
黄さんと比較すればあまり長谷川さんにバチェラー感はなかったし、そういう編集に仕立て上げられているなという印象だった。
なんというか終盤の流れとしてはちょっとイマイチ盛り上がりに欠けるというか見えてしまった結末だなとは思ったが、これはこれで一つの形なのだろう、という感覚だった。

そこまで恋愛に強いわけではなく、どちらかというと自然発生的なチャンスはことごとく捨ててきた気もするし、元来の自己肯定感の低さや自身のなさが「経験から逃げる」「想像されうるよくない結果から逃げる」ということを引き起こしていたなぁと振り返って感じた次第だった。
自分の弱さがそこそこに恨めしい。自分は感情表現や愛情表現はかなり苦手な部類だし、自己開示も求められれば話すことはできるし表面的な取り繕いこそ幾分うまくなったが、自発的に深層的な思考を話すというのは未だにかなり難儀している。もちろん人により得意不得意や背景的な抵抗の多寡はあると思うが、作品を見ている中で直情的に自身の感情を言葉として他人に直接的に吐露できる人間の多さに少しながらの羨望と嫉妬を覚えないこともなかった。
そういった部分を乗り越えられた先に自身の人間的な成長があるのかもしれない。

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