見出し画像

Novelbrightのライブ、自身の感性

・ライブに行く

Novelbrightのライブに行った。自分自身が出不精なのもあるが、記憶の限りライブの音楽イベントに行くのは2019年末のUMB以来。たまたま地方で直前にチケットが取れた幸運もあるが、自分が気になったものにはできるだけ金を使い足を動かすという方針を自分の中で掲げていたため、情報を見つけた後は早かった。ライブに来いってGADOROも言ってた。単純なパンチラインに弱い。記事とはなんら関係ないが、リスタートは個人的にアルバムとしてめちゃくちゃ名盤だと感じたので気になった人は聞いてほしい。

・竹中雄大という男

Novelbright自体はVo.竹中雄大の存在感がひたすらに強いバンド、という印象を以前から持っていた。男性としてはかなりの高音域を駆使し、音源だとミックスなどの関係で全体的に音量にバランスがかかっていて、力強いフレーズや歌いまわしのシーンでも本人の歌声の柔らかさが残るように感じられていた。だがそれは違った。第一声からその柔らかさは所詮動画やストリーミングのまやかしだと一蹴されることとなった。
声量とスキルの暴力。地声との境界線を感じさせない力強すぎるハイトーン、怪物じみた長さのロングトーン、超高音域の裏声やその正確さ。

ライブハウスという状況だからこそ、その暴力性が強く発露してしまったのは自分にとっては良かったのか悪かったのかは五分といったところで、自分の中での像との乖離はなかなかに凄まじいものだった。なんだかんだでバンドであって、バンドでしかない。上手いしすごいんだけど、ただただ上手いしすごいだけで身に刺さらない。ライブ中に冷静に状況分析している自分と熱狂している現場のファンのテンションの差を感じ、自分に少し辟易さえしてしまった。

・MCとメッセージ性

彼らのMCや歌以外の部分のメッセージ性もあまり個人的に刺さるものではなかった。年齢的なギャップもあるだろう。一部の話の脈絡にはむしろ若干の嫌悪すら覚えてしまった。彼らの伝えたいメッセージは自分の中では既に消化を終えてしまった感情で、そこに再び火が付くことはなかった。そもそも自分自身あまりアーティストのSNSなどを見るタイプではないためそのメッセージ性を事前に感じ取れていない自分が悪いといえば悪いのだが、彼らが出したいメッセージ性と自分が彼らから受け取りたいメッセージ性は異なるのだと肌で感じられたことが若干ショックだった。話のうまさを期待するのも変な話だし勝手に期待して勝手に落胆しているだけなので自分勝手もいいところなのだが、本当に一流のプロが一流のプロたる所以はこういった部分にも出てくるのかなと思った次第で、本人たちもライブ中に話していた通りまだまだ発展途上なのだなと納得した。

・ライブを終えて

総じて、もうしばらくは自分にとっての彼らは音源だけでいいかな、と思ったライブだった。
自分にとっての良し悪し、今欲しいものをひたすらに取捨選択してきたここ数年でいろいろなものを切り捨てたために感性は色々変化しているのだろう。頭ごなしに楽しみ切れなかったのことに対する少しの哀愁と、思い描いていたことと異なる刺激を受け思慮する機会を得た興味深さを感じた一日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?