見出し画像

言葉を気にするモードと気にしないモードの話

現在育休中なので仕事術について書くような状況でもないですが、育児をするようになって整理が進んできた考えもあるので、そのあたりのことを書きます。本記事は下記コンテストへの投稿です。

概要

言葉を気にするモード(以下、モード1)とは、言葉を丁寧に使い、相手にも丁寧さを求める態度のことです。逆に、言葉を気にしないモード(以下、モード2)とは、言葉を単なるツールと捉え、意図が伝わればOK、相手にも丁寧さや厳密さを求めない態度のことを言います。この2つのモードは両方大切で、感情や使い分けが必要であるためにAIにはなかなか真似できない、これからの時代に重要なスキルになってくるという話です。

自分は言葉を重視する人間だった

幼少期は別として、私は元来的にはモード1しか持たない人間でした。というか、そうなるように努めていました。モード1の考え方は、次のようなものです。

「自分が話した(あるいは書いた)言葉を相手が受け取った時に、相手が意訳をせずとも(つまり字面通り解釈するだけで)自分の意図通り伝わるような言葉で話せ(あるいは書け)」

人間は、不完全な言葉を修正する能力を持っています。例えば「アレクサ、エアコンを閉じて」という言葉。これ、先日私が間違えてアレクサに言ったのですが、通じませんでした。アレクサがスマートスピーカーではなく人間であれば「エアコン(の電源)をOFFにして」と修正解釈(つまり意訳)したでしょう。

つまりモード1とは、最初から意訳する必要のない、後者の言い方で話せということです。人はそれぞれ意訳の仕方が異なりますので、もうちょっと複雑な意図を間違った言葉で大勢の人間に伝えようとすると、少しずつ異なる解釈が無数に生まれてしまうことになります。相手が1人だったとしても、致命的な誤解を与えることがあります。

私の社会人経験上、言葉に気をつけない(あるいはそもそも前提となる情報共有をしない)ことで誤解を与え、その誤解を解くというバカバカしい作業にかける時間は、組織が大きくなるほど極めて甚大です。だから私は言葉の使い方に気をつけるようになったし、相手にも比較的、それを求めるようになりました。他愛のない会話でもある程度丁寧さを意識していれば、重要な場面で雑になることはないだろう。そう思っていたし、ある意味それは正解だと今でも思います。

また人間は、自分の意図がいつも必ず明確になった上で話すとは限りません。こういう時でもモード1は使えるのです。とりあえず何か話してみる。聞き手は、「あなたの言っているのはこういうことですか?」と文章を書いて話し手に見せる。話し手は「とりあえずそういうことでいいです」と言う。ここで聞き手はその文章を直訳で解釈し、そこから論理的な操作によって得られる結論を言う。

この結論の的が外れていると話し手が感じる場合、最初の文章が意図を正確に反映していない可能性が高い。話し手は、最初の文章をどう修正すればいいかが何となく分かってくる。修正後の文章を聞き手に見せる。「ファイナルアンサー?」と聞き手は言う。「とりあえずそういうことでいいです」・・・この手順を繰り返すことで、話し手は自分の意図が明確になってきます。

しかしモード1はいいことづくめではありません。次はモード2の必要性を考えるための準備をしていきましょう。

八つ当たりという現象を考えてみる

人が八つ当たりをする際に発せられる言葉は、基本的に支離滅裂です。これをモード1で受けて立つことは意味がありません。だって相手は、八つ当たりをしていることは自分で認識しているのです(認識していなければ、まず聞き手が八つ当たりであることを見抜き、何か嫌なことがあったのか聞くことを通して話し手にも認識させなければなりません)。支離滅裂さを修正するつもりなんか、さらさらない。

愚痴も同様です。これはある意味、情報の共有であって、愚痴を聞いても問題は解決しないが、どのような感情(問題)を抱えているのかという情報は伝わります。モード1しか持たない人はその情報を受け取れないばかりか、自分がピンチの時でも、自分の中で問題が整理されて正しい言葉になるまで人にSOSを伝えることができないのです。耐えているうちに元気がなくなり、どんどん話せない状態に陥っていきます。

また人は、何か言わなければならない場面というものがあります。ある管理職が自分は部下より偉いと思えば、偉い人なりの発言をしなければならないと考えるでしょう。何か言いたいが、厳密には何を言っていいか分からないのであれば、これは八つ当たりのマイルド版とも言うべき現象になります。人間社会は何か言わなければならない場面だらけだということを考えると、モード1で話を聞くのが適さない場面もざらにあると言えます。

赤ちゃんは言葉がなくてもメッセージを伝える

今は子育てをしているからよく分かるのですが、赤ちゃんは言葉を持たないようでいて、ちゃんとメッセージを伝えています。それは大きく快・不快に分かれ、親はまずこの判別をした後に、細かい原因を探ります。不快であるなら、空腹なのか、おむつなのか、眠いのか、寂しいのか、まず直感でヤマを張り、違ったら他の原因だと考えます。

 大人のコミュニケーションも快・不快で考えることができます。話し手が何か快を求めるか、不快を訴える。それに対して聞き手は快に導くか、不快を解消する(手助けをする)ことになります。この時、必ず言葉を伴うのが大人の世界のルールとなっているため、多くの場合に邪魔な情報(ノイズ)が含まれることになり、話し手の意図が分かりにくくなってしまうのです。

従って、話し手の言葉にノイズが含まれるのは前提と考えねばなりません。常にモード1を徹底してくれる相手ばかりではないし、意図を正確に言語化するのは難易度が高い作業であり、大人にはプライドがあるために快・不快という基本情報を隠蔽したい気持ちさえあるからです。ノイズを入れることによって聞き手の注意をノイズのほうへ導こうとします。八つ当たりの言葉を文字通り受け取るのではなく、この場合にはモード2が有効です。

話し手にとっての感情の利用価値

聞き手にとってのモード2は、傾聴という行為に繋がります。八つ当たりや愚痴が一種の情報共有なのであれば、「ひとまず共有を受ける」ために傾聴するのであり、これは分かりやすい話です。一方でモード2は、話し手にとっての態度としても機能します。つまり、言葉を限りなく赤ちゃんのメッセージに近づけることにより、ノイズ(=「邪魔な情報」)を軽減すると同時に感情(=「快・不快という基本情報」)を見えやすくするわけです。

感情が表れた言葉は、子供の世界でも大人の世界でも大変意図が掴みやすいものです。単に感情的になって言葉が支離滅裂になるならそれはそれでノイズになりますが、「私はこうしたい、こういう動機があるから」と言えば、その後の話が劇的に頭に入ってきやすくなります。名スピーチと言われるものは大抵この要素が含まれるでしょう。

どんなに正確な長文を書いても、忙しい相手にプレゼンをして全く伝わらないのはよくあることで、自分でも長文の全体が把握しきれず空中分解してしまうリスクさえあります。それは自分の感情がどこかへ行ってしまったからです。赤ちゃん語は消去法で意図を探っていかなければなりませんでしたが、感情をコアにして、大人の言葉で必要最小限の包装をすれば、一撃で重要部分の意図を相手に伝えることができます。

片方のモードだけで生きることの危険性

 一応、モード2の話し方の危険性も述べておきましょう。私には、こんな経験があります。「もし~なら、こうしたい」という条件付き要求を出した時に、「この人は結局、そうしたいのだな」と思われてしまうことが家庭でも職場でもありました。つまり、この場合の聞き手はモード2を働かせて、相手の意図は「こうしたい」の部分にある、と判断したわけです。

しかし私の意図は、この条件付き要求文全体を二人の間で合意することでした。ある条件ではあることをしたいが、別の条件なら別のことをしたいのです。「もし~なら」と言っているわけですから、少なくともモード1で考える限り、この条件を無視して解釈されるなどということを当時の私は想定していませんから、非常にもどかしい思いをすることになりました。

このように、条件つきの文はモード2では捉えにくい一例です。意図が複雑に入り組んでいる場合には、モード1抜きで正しい解釈をすることは難しくなります。しかし私のほうでも、「ある条件ではあることをしたいが、別の条件なら別のことをしたい」という全体像を最初に提示し損なったことは事実です。一方が「モード1」一辺倒であり、もう一方が「モード2」一辺倒である時に、このようなすれ違いが生じるのでしょう。つまり理想的には、我々は全員、モード1とモード2の両刀使いでなければならないのです。

とはいえ、往々にして人にはデフォルトモードがあります。モード2が使える人でも、普段はモード1にギアを入れておく。またはその逆。普段のギアの位置のことを、デフォルトモードと呼ぶことにします。

デフォルトモードが1の人・Aさんと、同じく2の人・Bさんが、お互いに相手のデフォルトモードを知らず、自分の傾向さえ把握していなかったら、毎回毎回コミュニケーションにすごく時間がかかります。まずは自己分析、次に苦手な相手の分析をして、モードを合わせてから対話に臨みましょう。そして余裕があれば、相手にも自分のモードを伝え、自分に対してどのような心構えで臨めばいいのか、話してみることをお勧めします。

まとめ

言葉のモードという観点から見ると、コミュニケーションの障壁となる2種類のノイズがありました。モード1の障壁は、正確な文章を作ってくれない相手の話を文字通り解釈してしまうことによる混乱。モード2の障壁は、意訳しにくい文章を作ってくる相手の話を意訳してしまうことによる混乱です。

言葉のモードに関する理解は、異なるデフォルトモードを持つ人の話を聞きやすくするだけでなく、論理と感情の配分をうまく調整することで聞き手にフィットした話し方ができるようになります。モードというと少々大げさですが、こうした調整は無意識的にせよ、昔からやってきたことではないでしょうか。

しかしAIが台頭してきた昨今、モード調整は再評価されるべきタイミングに来ていると同時に、もっと大胆に使い込んでいかなければならないと思います。感情とは、生存本能の産物に他なりません。AIには生存本能がない(あっては人間が困る)ので、本物の感情を持つことは難しいでしょう。無意味で矛盾のない数学理論は将来いくらでもAIが作れるようになりそうですが、人間にとって意味のある方向性が何であるかは生存本能なしに考えられません。

その意味で、感情との関連が強いモード2は人間特有のものであり、また生存本能に根ざした推論を行うモード1に関しても同様で、AIに任せられない部分です。これを認識することは、今回応募するコンテストが言うところの「仕事術」とは違うかもしれませんが、あらゆる仕事の重要な基礎部分ではあると思うのです。

ではでは。

ちょび丸(1歳)の応援をよろしくお願い致します~😉