面倒くさがりの私を手帳が生かしてくれた話
「あと5年は買わなくていいし、これにしよう」
私が『ほぼ日5年手帳』を買ったのは、面倒くさがりだったからだ。
それまでは1年ごとにいろいろな手帳を買っていた。持ち運びできる小さなものから、ケースに入った大判なものまで。選ぶことは楽しかった一方、翌年も使い続けたいと思えるものにはなかなか巡り会えなかった。
「ほぼ日刊イトイ新聞(通称『ほぼ日』)」の催事で『ほぼ日5年手帳』と出会った。5年分の日記を書けるなんて、しばらく買わなくてよくなるな。そんな面倒くさがりの思考が、購入の決め手になった。
『ほぼ日5年手帳』の基本構成はシンプルだ。見開きのページの左側には、日付と、5年分の欄がある。1年分は178マス。ページの右側にはフリースペースと、「ほぼ日刊イトイ新聞」の記事から厳選された「日々の言葉」が添えられている。
2020年、28歳で意気揚々と書き始めた日記は、次第に不安が多く綴られていく。ゴールデンウィークの緊急事態宣言期間を経て、初夏には29歳になり「20代最後の年」を思うように過ごせず、苛立ちが募った。当時は地方に住んでおり、海外どころか東京にすら行くことが許されず、フラストレーションが爆発しそうになるのを何度も飲み込んだ。
2021年、30歳を迎えた。10代の頃はあまりに遠い未来に想像が及ばず、このくらいで人生を終えたいなと漠然と思っていた。が、なってしまえば呆気ないもので、人は簡単に死ねないのだと身をもって知ることになった。いつでも終わる覚悟を持って、生きられる限りは生きてみようと今は思えている。手帳には「やれたこと」と「やりたいこと」が並ぶ。
キャリアに悩み続けていた人生は、2022年に転換期を迎える。転職するべきか否かの葛藤を繰り返していたところに、出向のチャンスをもらい、専門分野にしてみたい領域にも出会えた。「すこし変われた」、そんな実感を過去の日記が持たせてくれた。
2023年は本厄で、途中までは順調に過ごしていたつもりが、あまりに傷つく出来事が重なった。外的要因のせいにし続けることはできず、身の振り方を考えさせられた。中途半端な思考を外に出すことは意図の及ばない姿で自身を露呈することになり、余計な因果を生んでしまう。手帳の右側に事象と思考を自由に書き出して、自身と対話することで、心が壊れずにすんだ夜もあった。
今年はページの最下部に書き留めながら、過去4年分も合わせて振り返っている(書く元気がなかった空欄の日もあるけれど)。同じようなことでずっと迷っていたり、「なんでこんなことで悩んでたんだろう?」と不思議になることもあったりする。誕生日を過ぎれば33歳になる。母が私を産んだ年まであと1年。その事実にも苦しんだ時期はあったが、いまは流れに身を任せることにしている。
手帳の右側のフリースペースには、178文字では収まらない想いを連ねる日もあれば、想い出を直接貼り付ける日もある。お店のステッカー、イベントのチケット、プリクラ、御朱印。
忙しなく過ぎていく日々の中で、ひとつひとつの感情を覚えているのは難しい。覚えていなくていいこともある。だけど手帳の中にはたしかに、いつかの自分が居て、多少なりとも成長していることを感じさせてくれる。
今年の12月31日まで書き続ければ、そこには5年分の私の記録が残る。だんだん分厚くなる手帳は、私がたしかに生きた証。
来年からまた5年分を残したい。私は私と、また新たに5年を過ごしてみたい。そんな気持ちで、2025-2029年版の発売を待ち侘びている。
買ったわけは、面倒くさかったから。
買いたいわけは、また5年、生きていきたいから。
面倒くさがりの私は、来年からもう5年、ほぼ日5年手帳に生かしてもらえそうだ。
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