過度なルール・規則がもたらす弊害。
会社に行くのが憂鬱な人が多いですよね。
僕も多分に漏れずその1人でした。
そんな僕が悩んでいたのは、どうやら人では無かった事に気づいたんです。
会社に行くのが憂鬱になるその理由の大半は、コミュニケーションと思われていると思いますし、会いたくない人がいたりするのが理由です。
しかし、そんな会いたくない人も、同時にコミュニケーションに悩んでいたりします。
その歪みを生んでいるのは、『過度なルール』にあるのでは無いかと思うのです。
そもそも 様々な会社のルールは何のために産まれたのか?一つは生産性を上げるためのもの。そしてもう一つは同僚や一緒に働く社内外の人が迷惑にならないようにするもの。
だと考えます。
前者は、生産活動を行うために、重要なルールで、これは共通認識として必要なルールだと思います。
しかし後者は、なかなか人によって捉え方が様々で 快・不快 の基準は恐ろしく千差万別であり、またその人の年齢や価値観によって非常に異なる内容があったりします。
人生経験や、許容量も本当に違いが多いです。
仕事を行う上で、大事なのは その仕事『顧客』に対して 『人の役に立ちたい+熱意』だとおもいます。そのパワーが ルールと規則『社内+内側』に注がれ続ける状況は、個人的には避けなければならないのではとおもいます。
割合的には 顧客に向けてが 7割・8割 社内に向けてが 3割・2割 ぐらいのパワー配分が良いのではとおもいます。
自分の仕事を見直した時に、全時間の5割以上が社内に向いていたりするのであれば
それは大いに見直す必要があるのでは無いかと僕はおもいます。
何故なら、全時間の5割以下しか、顧客へのサービス意識に向いていないということだからです。
そのような状況は、スタッフ同士が息苦しさを感じ、そして顧客は自分の方に向いてくれていない と感じることだとおもいます。
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そもそもルールや規則は、大自然の掟が一番で※自然の摂理や人間の体の生理的な流れ
人間生活の中で出来上がってきた規則は、あくまでここ最近のもがほとんどです。
都市部ではガチガチのルールも、郊外になればなるほど自由です。
それは、当然ながら 人が少なければ迷惑をかける事が無くなるからです。ルールがあっても意味が無いなら、必要ないわけです。
どうぞ、そもそもそのルール・規則は何のためにあるのか?自分と他人にどういった関係があるのか、突き詰めましょう。
結論的には、自分と対峙するその人・その人個人個人それぞれが不快ではない事が一番重要だと気づくはずです。
自信がもった持論を、てにしましょう。
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