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裏表のない人

相手によって態度を変えない。ごまかしたり嘘をついたりしない。それは、他者とのコミュニケーションの基本だと思う。幼稚園で習った。

今となっては、その場面で自分に与えられた役割に相応しい振舞を求められることもあれば、自分の思いを全て他人に説明しているわけでもない。それでも「あなたは誰に対しても同じ態度で接する人だね」と時々人から言われるし、幼いころ学んだそのことを、自分なりに大切にしているつもりだ。

心から疲れてしまうのは、本音がわからない相手とのコミュニケーション。私に対して言った言葉と相手の実際の行動にギャップを見つけた時、そこに何らかの意図があることに思い至る。そんなやり取りが続くと、どんどん疑り深くなっている自分に気づいて、ちょっと悲しい。

自分の想像力が足りなかったのかなと反省したりもするけど、深読みや忖度スキルを磨くことが求められているような気がして、不本意でもある。

ここで客観的に考えてみる。どうせ納得できなかったであろう意図について、たとえ説明されていても私は合意しなかっただろう。つまり、相手にとっては面倒くさいだけのプロセスを省いてしまうのは、ある意味合理的といえる。一方で私は、それでも説明するのが誠実な態度というものと考えているから、不誠実な扱いを受けたと感じて大きなストレスになる。ふむ。

そういうわけで「コミュニケーションコストが高い相手は疲れるんですよ」とぶった切っている勝間和代さんのトークに、私はちょっとすっきり。

自分を相対化して周囲を軸に話を進めるように気遣うことや、どんな相手とも共通の話題を見つけられるように興味の引き出しを増やそうという、コミュニケーションの勘所には、もちろん共感です。


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