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01.声が消えてゆく恐怖の中で(プロローグ)

何も気にせず夜が過ぎ、また夜がくる。何十年と変わらず歌い続けた帰り道の河原でいつかの一言を思い出した。

「その声でよく持つなぁ、、」

私は、十五歳から音楽の道へ進んだ。全てはそこから始まる。
音痴だし歌う事が大っ嫌いで過ごして来た幼少時。そんなに綺麗な声ではなかった気がする。そう、少し痰が絡んだような声だった気がする。
しかし、そんな昔のことなど鮮明に覚えている訳もなく …。
あっ、でも、時折母が私に「んんっ!ってやってから話をしなさい!」と
言ってた記憶がある。(んんっ。とは、喉で痰を切る動作音)
合唱コンクールも歌うのが恥ずかしいのと、高い声は出ないし、出そうとすると声がかすれるし、どうしたら良いのか分からなかった。しかも、歌う曲は文部省系で、歌詞の内容が重い歌が多くて、どうも気乗りしない自分がいた。
もっと楽しい次元で歌をうたえばきっと楽しかったんだと思う。
何事もきっかけは大事である。

中学生の頃に流行していた曲やバンド。私の興味を引くものはなく。
友人が歌っている流行曲も、知ってはいるが口ずさんだりはしなかった。
どれも、歌謡曲ロックに聞こえて、なんかダサイと思ったからだ。
思うことは自由だ。決して私は「それ、ダサくねぇか?」などとは間違っても
口には出さなかったが、正直言うと、本当に嫌だった。
私はやっぱり海外のサウンドに憧れがありました。
自宅のステレオの中には母のレコードが沢山ありました。
特に日本盤シングルEPに興味を持った私は、その中にあったオーティス・レディング「ドック・オブ・ベイ」の口笛。ジミ・ヘンドリックス「紫のけむり」の
脳に絡みつくギターサウンド。ジャケットのデザインからぶっ飛んでて、何か格好良くって、うれしくって、ウキウキしたそれらのレコードを聞くと、いつもいい気分にになれた。

あぁ、俺もいつかはギターでも弾いて、歌いたいなぁ!と思ったのです。
そう!思うのは自由だし誰にも迷惑はかからない!

つづく

※2022/09/08声帯ポリープ手術をしました。今までの道のりを記録

©️2022 Spider Tetsu 

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