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【考え方】他の人と同じアイディアしか出てこない理由【比較・実験・理論を活用すべし】

 こんにちは、山本清流です。


 どこかで見たようなアイディアしか出てこないとき、ありますよね。

 その理由と解決方法について、考えました。


 いまの僕の心の声は以下のとおり。

 他の人と同じアイディアしか出てこないのは、社会に埋没しているからだと思う。社会の思考を、まるで自分の思考のように再生するだけの、再生機械になってしまっている。そこから脱出するには、社会学の方法が有用だと思う。比較・実験・理論。この三つ。うまく使えば、面白いアイディアに辿りつけるはず。

 この考えについて、以下、深掘りします。

 簡潔に書くので、ぜひ。


 【他の人と同じアイディアしか出てこない理由】

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 上記したとおり、社会に埋没しているからです。


 【社会に埋没しているとは?】

 社会通念や社会の判断基準を自分の中に取り入れた状態です。

 社会化された状態、とも言えます。


 たとえば、「真面目に働かなければ」とか、「信号は守らなければ」とか。

 反対に、「真面目に働いてはいけない」とか、「信号なんて無視してもいい」というのも、ある種の、社会化です。


 そのように周りの基準や規範を取り入れた人間は、

 そのとおりにしか思考できなくなっていきます。


 そういう人たちは、べつの考え方をしようとすると、苦痛になるのです。


 【社会から出るのは、苦痛】

 紛れているぶんには、社会はとても居心地がいいところです。

 わざわざ、その中から出ていくのは苦痛です。


 たとえば、「人殺しなんて許せない」という社会基準がありますよね。

 それを口にするのは、とても気持ちがいいし、居心地がいいです。


 反対に、「人殺しを歓迎しよう」というべつの考えと出会うと、

 あなたは不快になりませんか?


 それは、あなたがしっかりと社会化されているから起こることです。

 社会に教わった基準が自分の中で再生されています。


 【人間はコピー機】

 人間に、自由意志があるか否かは難しい問題ですが、

 少なくとも、コピー機のような一面があるのも事実です。


 「人殺しなんて許せない」と口にする人は、

 まず間違いなく、「人殺しなんて許せない」と誰かから教わっています。


 小説やテレビ、教師や親などから、知らず知らずのうちに学んでいます。

 自分の口にする言葉の多くはコピーだと言っても過言じゃありません。


 【コピー機がアイディアを考えると……】

 きっと、どのコピー機も、同じアイディアを出してきます。

 そのようなメカニズムで、同じ、あるいは似たようなアイディアがあふれます。


 では、どうすればいいのか?

 以下、社会学の方法を簡単にご紹介します。


 【比較・実験・理論】

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 比較・実験・理論、です。

 以下、深掘りします。


 例:「わたしが彼女を殺した理由」

 こういうテーマであった場合、どんなアイディアが浮かびますか?


 たとえば、「嫉妬したから」、「お金が欲しかったから」、「意地悪をされていたから」、「殺しに興味があったから」など、あるかもです。

 でも、どれも、ありきたりですね。社会に埋没しています。


 三つの方法を使って、考えてみましょう。


 【比較について】

 ほかのなにかと比較する方法です。

 Aだけを見ていてもわからないので、AとBを比較してみよう、というわけです。


 例:「わたしが彼女を殺した理由」

 「わたしが彼女を救った理由」と比較してみましょう。

 「救った理由」である場合、どんなアイディアが浮かびますか?


 たとえば、「彼女が好きだったから」とか、「見返りを求めていたから」とか、「恩があったから」とか、「周りの目が痛かったから」など、あるかもです。


 どれも、ありきたりですが、「殺した理由」と「救った理由」を比較すると、

 かなり違いがあることに気が付きますね。


 この比較の違いから、全体に、「殺す」=敵意がある、「救う」=好意がある、という固定観念があることを読みとれます。


 その固定観念を排して、「好きすぎて殺してしまった」というアイディアも考えられます。

 好きで、好きで、仕方がなく、胸が苦しくて、刺し殺してしまう。


 ちょっとだけ、斬新な気がしますね。これが比較の威力です。


 【実験について】

 日常を排する思考実験です。

 いわゆる「もしも……だったら」の考え方。


 例:「わたしが彼女を殺した理由」

 「もしも殺人が起こったら」と考えてみます。

 周りの人はきっと驚くでしょう。フィクションだけじゃないんだ、と思うかもです。


 ということは、「殺人」=非日常、という思い込みがあるのがわかります。

 ならば、逆に、「日常的な殺人」というアイディアはどうでしょうか。


 なにか特別な理由があるわけではなく、「ちょっとした苛立ち」などの日常的な感情によって殺人が起こった。

 つまり、「頭に来たので、殺した」というアイディア。


 意外と、盲点でした。


 【理論について】

 ある分野についての一般理論をつくり、その例外を考える方法です。

 そもそも、比較も実験も、理論をつくるための道具です。


 比較によって、「殺人」=敵意がある、という理論をつくれました。

 実験によって、「殺人」=非日常である、という理論をつくれました。


 その一般理論から逸脱することで、アイディアを見つけています。


 ならば、もとより、理論をつくれば、社会的な例外を見つけやすくなります。


 例:「わたしが彼女を殺した理由」

 殺人に関する理論をつくってみましょう。

 殺人はどんなものか、一般理論を考えるのです。


 「殺人」=敵意、非日常、恐怖、事件、野蛮、犯罪、悪事、強引……

 など、一般理論をつくることができます。

 一般理論は、多くの例外を排除したうえで成り立つものです。


 つまり、一般理論の外側には、例外が山のようにあります。

 「恐怖のない楽しげな殺人」、「事件ではない正当な殺人」、「野蛮ではない知性的な殺人」、「犯罪ではない無実の殺人」、「悪事ではない善良な殺人」、「強引ではない了承のもとの殺人」……など。


 いろいろと考える余地がありそうです。

 考えていくと、レパートリーは無限にあるみたいに感じます。


 でも、コピー機のままだと、ありきたりなアイディアしか出てこないのです。


 【いざ、壊れたコピー機へ】

 今回はこれくらいで。

 コピー機のままだと同じアイディアしか出てきません。


 比較・実験・理論の手順を踏めば、ある程度、脱出できます。

 壊れたコピー機になりましょう!


 周りの考えを反芻するのではなく、

たしかに一般的にはそうだけれど、例外として、こういうのもある」みたいな思考が身につくと、アイディア発想においては無敵です。


 だって、大勢の人たちは、コピー機なんですから。

 僕も、そんな思考が身に着くように頑張りますか。みなさんも、よければ、どうぞ。


 以上。山本清流でした。役に立てていれば、幸いです。ありがとうございました。