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○拷問投票42【第一章 〜毒蛇の契約〜】

「当該犯罪の被害者遺族には、投票権が与えられないことはもちろん、投票活動も禁止されていますが、投票活動が禁止されているのは拷問投票の実施が公表されてから投票の期日までの期間だけです」
 それは第三七条に規定されている。その規定された期間において当該犯罪の被害者遺族などが投票活動等を行ったときは、第八七条の規定により、六月以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金となる。
 しかしながら、いままでの六回の投票において、第八七条の規定によって処罰された例はひとつもない。
「そもそも、拷問投票法における諸々の活動の規制は、公職選挙法などと比べるとかなり緩いです。なにが投票活動にあたるのかというポイントも非常に曖昧なままになっておりますから、グレーゾーンがけっこうある。いままでの拷問投票では、実際、公職選挙法では買収に該当するような行為も、公然と行われています。罪刑法定主義――そのうちの明確性――の見地からすれば、よほど極端な活動をしない限り、裁判所も動けないでしょう。どちらにせよ制限がほとんどない中で、しかも、まだ法律上の制限のない段階なら、国民の感情に訴えることを目的とした活動を行ったとしても、それが罪に問われることは絶対にないと考えて間違いありません。ですから、積極的に露出し、裁判が始まる前に国民を味方につけることにより、裁判への注目度を高め、裁判に圧力をかけることも、法に触れることなく可能です」
「つまるところ、露出することに問題はないと……」
 高橋実の一瞬の沈黙のうちに、長瀬は、その一抹の不安を見抜いた。適切にフォローしなければならない。
「そこまで進むともう引き返せませんが、引き返す必要はありません。拷問投票法なんてものが国会を通過したのも、これは異常事態ではなく、正常な民主主義の結果なのです。高橋さんは正しいのです。そして、犯人は間違っているのです」
 至極、真っ当なことを言っているだけの自分について、長瀬は、少しばかり、不安になった。
 思えば、刑事法を研究する中では、こういう世俗的とでも言える正しさについて考える機会はあまりない。学問としての法学において『正しい』というのは、世間的な正しさではなく、倫理的な正しさでもなく、個人的な直観でもなく、なんらかの目的に即した合理的な正しさに過ぎなかった。それはどちらかといえば、文学的な正しさではなく、数学的な正しさと言えるだろう。
「たしかに突き詰めて考えると、なにが正しいのか、わたしもわかりません。ひとつ確かなのは、国民の多くは、それを正しいと判断するだろうことです」
「そうですね。ありがとうございます」
 高橋実は、一度きり、顎を引いた。
「わたしは引き返すつもりはありませんし、すぐにでも引き返せないところまで進みたい気分です。こう見えて、社内でのプレゼンは高く評価されています。国民の同情を誘うことは可能だろうと思っていますし、わたしは日本人の正義感を信じています。ネットメディアに出れる機会があれば、ぜひ出たいですが」
「あてがあります」
 長瀬は、この件について、あらかじめ手を打っておいた。
「知り合いの学者の中にメディアによく露出されている方がいるのですが、彼を通じて、とあるネットテレビ番組のプロデューサーの方に話をつけてもらいました。高橋さんにその気があるのなら……」
「やります」
 即断だった。
「やらせてください。わたしはたとえ世間に叩かれたっていいんです。戦います。戦わなければいけません」
 その言葉の強さに、長瀬は、思わず目頭が熱くなった。丁寧に封印したものを意志の強さで解放したかのような気持ちよさがある。
 それと同時に、なにかストッパーを失ったような恐怖もある。以前に高橋実と墓地へ向かう小道で話したときに感じた恐怖感よりもずっと抽象的で、その恐怖がどこに根付いているのか、より曖昧になっていた。
 気が付けば、我々はまた手を結び、お互いの手を強く握りあっていた。