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【怪談】チャットアプリ

 ふとしたとき、ずっと会っていない過去の人を思い出すことがある。
 いま頃、どうしているだろうか。元気でいるだろうか。ぼんやりと思い浮かべるだけで、実際に再会できることはほとんどない。
 中学のころ仲の良かったある友人も、引っ越しを繰り返しているうちに行方がわからなくなり、ぼんやりと頭に浮かべるだけの存在になっていた。
 その状況が変わったのは、チャットアプリのおかげだ。
 新しいものに疎い私はそれまでSNSに手を伸ばしたことはなかった。周りの友人のほとんどがやっていたので、話を合わせるためにもやってみようかな、という軽い動機で始めた。
 私がアカウントをつくったSNSでは、出身中学を設定することができ、設定された情報を基にして過去の同級生を検索できる機能があった。これは面白い。調べてみると、輝かしい経歴を手に入れた人もいれば、想像通りの穏やかな日常を送る人もいた。そこで私はずっと再会したかった中学のころの友人のアカウントを見つけた。
 フォローすると、フォローを返してくれた。
 個人チャットで、おひさしぶりです、お元気ですか、私のことを覚えていますか、というようなメッセージを送った。ええ、覚えていますとも、と反応があった。こんなに嬉しい気持ちになれたのは、十年ぶりくらいかもしれない。チャットを通して懐かしい思い出を語り合ったりもして、とても充実した時間を過ごすことができた。SNSも捨てたものじゃない、と思えた。
 その友人とは中学のころにペアをつくるくらい仲がよかったので、ふたりでしか共有していない思い出も多かった。
 とくに鮮明に覚えているのは、近所の神社でこっそりと悪さをしたことだ。わたしたちはどちらかという暗い性格で、教室でも浮いていたし、学校生活はとても辛かった。日々の苦しみを忘れるためにも、わたしたちは神社の片隅でカマキリを粉々に砕いて賽銭箱に放ったり、境内の太い木の幹にクマの人形を釘で打ち付けたりした。いま思えば、恐ろしいことをしていた。
 墓場まで持っていくつもりだ。私からは、その記憶には触れようとしなかったし、むこうも、慎重に避けていた。
 そんな、かつての友人とのチャットは、半年ほどしてから唐突に終わりを迎えることになる。
 ある冬のこと、まだ話題が完結していない状態だったのに、急にメッセージが途絶えた。二日待っても、三日待っても、一週間待っても、メッセージが届かない。なにかあったのかもしれない、と心配になった。私は、ほかの同級生ともつながり、チャットの途絶えた友人のことを探った。
 ひとつ、わかったことがあった。
 私がチャットをしているつもりだった友人は、二年前にすでに亡くなっていた。肺の病だったらしい。
 じゃあ、誰?
 その疑問が残り、いまだ答えが出ていない。わたしと友人のふたりでしか共有していない思い出話もあったので、私のことを知っている同級生だったとしても、なりすましをすることはできないはずだった。
 死んだはずの友人のアカウントはいつの間にかなくなってしまい、いまは確認できない。私は壮大なスケールの夢でも見ていたのだろうか。
 わからない。
 ただなんとなく、神社に行くのが怖い。