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【不良品、注意】かわいそうな琴音ちゃんの巻【キャラクター小説】

 よく、生きることってメンドいなと思ってしまう。
 公園のトイレにやっとの思いで駆け込んだのにトイレットペーパーがなかったときとか、友達と和気あいあいとおしゃべりをしているうちに大好きなポトフを食べ終えていることに気付いたときとか、それに、歯に挟まった食べカスを除去するために爪楊枝を取ろうとして爪楊枝の束を床にぶちまけてしまったときとか。とにかく、そういうとき、生きていることが無性にメンドくなってきて、ああ、もう、わたしの人生はここまででいいかな、と思ってしまう。かといって、リストカットをするためにナイフを買うこともメンドいし、首を吊るためにホームセンターでロープを買ってくることもメンドくさくて堪らない。そもそも、死ぬための勇気を持つことって、トイレットペーパーが備えてあるべつのトイレを探すこととか、食べ終えてしまったポトフをもう一度頼むこととか、床にぶちまけてしまった爪楊枝の束を一本一本拾い上げることとかと同じくらいか、それ以上にダルい。生きる力も、死ぬ気力もない。公衆首吊り場、一回百円、とかいう公共施設があったら、ふらりと立ち寄って、「首吊り一回お願いしまーす」と頼めるだろうに。今のわたしは、そんな感じ。
 今日は、わたしの誕生日。エイプリルフールの三日後、四月三日。
 都内のホテルで豪勢なパーティーが開かれることになっていて、そこまでロールスロイスで移動することになっているけど、いったん、ここ、わたしの家の前に集合することになっている。わたしのつるんでいる友達みたいなものたち、四人が。窓から見下ろしたところ、まだ、着てない。
「琴音! 準備できた?」
 階下から、ママの声。
「できたって」
「ホント?」
「もう、準備万端だよ」
 大声を返すと、「なら、降りてきなさい!」とママのきつめな声。
 ホントは、服も着てない。服って、なんか原始的で、嫌い。自室ではずっと裸族なわたしは、急いで、そのへんに散らかっている服を適当に着る。ブランド物の服しか持っていないから、なにも考えずに着るだけでも、なんとなく様になる。
 誕生日ってなにか特別なもの、いるかな。意味もなく部屋を見回して考えてみた。いや、なにもいらない。必要なのは、いろいろな誕生日サプライズにびっくりしてあげる優しさ、というか、びっくりしなさいという、半ば強制的な圧力に屈する覚悟だけだ。 
「あ~あ!」
 大きな欠伸を一つ。
 もう、ホント……。
 生きるつもりはなくても生きてしまうんだなと、ちょっと驚きながら生きている感じ。
 こんなこと言ったら、誰かから説教されそうで、メンドくさい。とくに、芸能プロダクションを経営しているパパとかが、うるさそう。生きているだけ、幸せでしょ、とか。この世の中には生きられない人もいるんだよ、とか。そんなこと、わたしだってすごくよく分かっている。生きているだけで幸せ? 生きたくても生きられない人がいる? まさにその通りじゃん。そんな人たちのことを思うと、すげー自分が情けなくなってきて、こんなわたし、死んだ方がいいかなという結末に至る。死んでしまえば、きっと、わたし自身が、生きたくても生きられない人の称号を手にすることができるから。なんてうっかり皮肉を言っている時点で、もう、わたしは、深く考えることがメンドくさくなってしまっている。
「琴音! 早くしなさい」
 半狂乱に近いママの声がして、うっかり「分かってるって」と言い返しそうになって思いとどまる。ママを鎮めるには、ただちに、階下に降りていくしか手段がない。
「今、行くから!」
 わたしは、ドドド、と階段を駆け下りた。残りの三段をジャンプして、ドシャっと、インドから取り寄せた赤い絨毯に着地する。ふわりとしていて、足の裏が気持ちよくなる絨毯だ。今日も、上手くいった。着地してから、両腕を水平に伸ばして、バランスを取るのが、わたしの癖。
「お嬢様、そんな危険なことをされては困ります」
 階段の横で、執事のおじさんが、しかめっつらで立っている。このおじさん、いちいち、わたしの言動を矯正したがるところがある。
「分かってるよ、おじさん。次からは気を付けるよ。気を付けるだけだけど」
「ちょっと、お嬢様」
 なにか言いたげな執事のおじさんを置いて、わたしは、リビングを抜けて、玄関まで駆ける。ペンギンみたいに腕を振りながら。
 両開きの玄関扉の右側を開けて出ると、清々しい日光と、頼もしい街路樹と、小鳥のさえずりがわたしを出迎えた。あと、イライラしているママも。
「琴音。さあ、車に乗りなさい。もう少しで、みんな、来るわよ」
 ママが、ギリシャ彫刻のようなキレイな顔の眉間に深い皺を刻みながら、玄関の前でたくさんの紙袋を抱えていた。なんの荷物なのか、分からない。パーティーの出席者になにか配るのだろうか。どうでもいいけど。
 「はーい」と返事をした。服以外なにも身に着けていないわたしは、荷物で手が塞がっているママをくすくす笑って、「ちょっと、あんた」と意図的に誘発したママのイライラを聞き流しながら、ロールスロイスに駆け寄る。すでに助手席にパパが、運転席にお抱え運転手の金歯のおじさんが乗っている。
 わたしが近づくと、金歯のおじさんが、運転席から降りてきて、「おはようございます、お嬢様」と、後部座席の扉を開けた。白い手袋が似合う、いい感じの中年男だ。金歯は苦手だけど。
「おはよう、おじさん。今日もよろしくねー」
 わたしが、後部座席に乗り込むと、「なんだ、その言い方は」と、パパが微笑んだ。「まったく、困ったやつだな」と嬉しそうにつぶやく。手がかかる子ほど可愛いんでしょ。可愛くなりなさい、という大好きなパパからのプレッシャーがあるから、結果的にこうなるのが必然。
 背後からパパのふさふさした白髪を見つめていると、さっきメンドくさくなって中断していた考えが復活した。生きるつもりはないのに、生きちゃうって話。その私の状態に対する意見として、生きたくても生きられない人がいるというものがあった。だから、生きろ、と。この論理が急に、遠く遠くの国のものに思えてきて、ひどく現実感がない。
 生きたくても生きられない人がいるから自分は生きるとか、生きているだけ幸せだから今を楽しんで生きるとか、そういう論理ってどうなの? 百パーセントその論理で生きている人はいないだろうけど、そういう論理って、自分の頭で考えたんじゃなくて、使い古されてるからとりあえず使っている感じがある。もっと、単純明快に生きてみたいの。トイレットペッパーのあるトイレを探すのがメンドいから死ぬ、とか、ポトフを食べ終えてしまった喪失感がひどいから死ぬ、とか、歯に挟まったままの食べカスが気持ち悪いし爪楊枝を片付けるもかったるいから死ぬ、とかさ。いや、死んだら生きてないか。だから、トイレを探すために生きる、とか、ポトフを注文するために生きる、とか、爪楊枝を片付けるために生きる、とか、ホント、それだけの論理でいいような気がしてくる。それくらいじゃないと、頭がパンクしちゃって、生きるつもりがない状態に後戻りしてしまう。
 今も、そんなに生きるつもりはないけど、とりあえず、今日のわたしの誕生日で勃発するだろう様々なサプライズにリアクションを取るために、生きてみることにする。
 それだけでいい。それだけがいい。

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