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【不良品、注意】頭の中の中の中の、中【純文学的な小説】


 ※無配慮な表現が多々ありますが、書かれた当時の印象を残すために修正しません。ご了承ください。

  一
 
 
 クリップボードには、『交際経験のない若者の推移』とある。飛ぶ鳥を落とす勢いで下がっているそのグラフの深刻さをまったく加味する気はないらしい、七夕の織姫を意識したような行き過ぎた衣装の、アナウンサーが言った。
「時代の移り変わりと言うのでしょうか、御覧のように、年々大学生の交際経験は減ってきています。この傾向は今後もさらに強くなると想定され、一部の専門家は、さらなる少子化に懸念を示しているようです」
 グラフが言うには、交際経験のある大学生は減ってきている。細かい要因はどうあれ、このような統計データが得られるようになったのは、ゆとり教育が終焉を迎えてからのことであるらしい。
「『さとり世代』ですかね。そんな言葉を聞いたことがありますが」
 コメンテーターの眼鏡男が、政治論争の話題から切り替わったこのタイミングで手抜きのコメントを披露した。アナウンサーが、追加説明する。
「はい。実は、ゆとり教育が終わった世代に、責任のある立場は嫌だ、平凡でいい、というような欲のない若者が急増しているというのです。この若者たちは、『さとり世代』と呼ばれています」
 二千十三年、新語流行語大賞にノミネートされた言葉だった。
「いや、しかしねえ、実際に若者なんか見てると、昔と同じようにちゃらちゃらしてるでしょ? 本当に、このデータは正しいのですかね」
 眼鏡男が、腕を組んで首を傾げた。ちゃらちゃらは女好き、という低級な偏見が垣間見える発言。手抜きも甚だしいが、眼鏡男の言わんとすることは冷静だった。この統計データが示すのは、厳密には『交際経験がありますか?』と聞かれて『あります』と答えた大学生が減っている、ということだけである。
「アンケートに正直に答えているかどうかは、わかりませんよね?」
「いいえ。さとり世代は本当ですよ」
 教育評論家の男が、口を挟んだ。さばさばしたキャラクターでテレビ業界に生き残ってきたような評論家だけど、現に私立高校で教鞭を取っているので、発言の一つ一つにはそれなりの信ぴょう性があった。
「現場で見ていれば分かります。積極性のない子が多くて、異性と付き合って神経をすり減らすよりは、部屋に籠って『youtube』で動画を見ていた方が楽といった感じです。要は、付き合って得れる満足を、代替できる満足がある時代なんです」
 さばさばとした声が眼鏡男を鎮め、付言する。
「楽な方に流れていくというのは、当たり前なんです」
「では」
 アナウンサーが、なぜか割り込んできた。唐突に、何かのミスコンは獲っただろう整ったその顔がクローズアップされる。
「今回は、さとり世代の若者たちについて掘り下げていきたいと思います」
 そして、画面がスタジオから切り替わった。
 「何だ、台本かよ」と声を上げた。納得したようなしてないような感じになった。眼鏡男が問題を真摯に考えてなかったと明らかになった一方、番組全体が劇場だったとはっきりしたからだ。詐欺にあったような気分になり、やりようのない怒りが湧いて、テレビを消した。本来標的のないものだったが、全ては番組に向かっていった。
「ちっ、騙してんじゃえよ、クソが」
 もう、口癖だ。漫画が床を覆ったこの部屋の中で、幾度となく繰り返し呟いてきた『クソ』という言葉。その自分だけを死守しようとする態度が卑怯であること、純度の高い下劣さにも、何となく気付いている。品位の問題もある。けれど、口にせずにはいられない。『クソ』に見合う落ち着く要素がSNSでの中傷発言である限り、部屋での呟きは、むしろ皆のためだった。最大多数の最大幸福である。
 怒りが湧いて、朝から疲れてきた。今日は、怠い数学が二時間もある。それだけを乗り切る体力は、既に尽きているような気がした。
 「あーあ、面倒くせえ」
 自然に零れた。
 けれど、自然な発言というのは真理だと思う。事実、その日の数学の授業は面倒臭すぎて耐えられず、仕方なく友人のY君と共に腹痛を偽証して下校した。生活指導の教師は、腕を組んで睨んできた。一触即発の、命懸けの早退だった。
 まだ陽が頭上に留まり、コンクリートの舗装道は黒光りしていた。
「なあ、どっちだと思う? 遅刻を厳罰化する社会と、黙認する社会で、利益があるのは」
 このY君は、よく哲学的な討論をするのが好きだった。頭が熱を帯びて疲れるので思考時間は避けるようにしているが、Y君との討論は、むしろ愉しかった。
「どうだろう。その厳罰っていうのが、どれくらいの厳罰なのかによる」
「それは、十五分の叱責にしよう。つまりさ、教師が遅刻した生徒に十五分の叱責をすることによって、生じる社会的な利害の問題だよ」
「立って回ったような言い方だな。要するに、遅刻者に叱責する価値はあるかってことね。僕は、ないと思う。単純に、叱責する目的を考えると、それは遅刻をなくすためだけど、遅刻を繰り返す人の回心率はとても低い。十五分が、無駄になる場合が多いってこと」
 実際、自分とY君は、叱責によって遅刻を止めたことはなかった。
「それともう一つ。ルール厳守する人よりも、自主的な行動をする人は、得てして社会を変える人材になる。変わったことをしてるんだからね。言わば、叱責は、進歩の阻害だよ」
 自分は、堪らず笑い出した。変わったことをしているのは腹痛を偽証した自分らであって、社会を変える人材というのは遠回しに自分らのことを指していたからである。
 Y君は、喜んで話に乗った。
「言うと思った。俺らは、阻害されてる、カリスマだな。でも、カリスマ性はいつまでたっても出てこない。何故か?」
「遅刻を叱責されて、カリスマ性が芽生えなくなったからだ」
「そうそう。進歩を阻害する仕組みがある。だから、俺らのカリスマ性を知りたいなら、社会は、一斉に『遅刻黙認令』を施行しないといけない」
「ああ、あと『早退黙認令』もな。最高だね」 
 冗談が通じ合うと無条件に心が繋がった気がする。自分らは、感極まって、互いに拳をつくり強かにぶつけた。ガッと乾いた音がした。
 Y君とは、小学生の頃から付き合いがあり、いわゆる竹馬の友だった。友達が独りもいなかった、というか誰も寄ってこなかった自分に、声をかけてきたのはY君だけだった。校庭の木陰で休んでいた時、「なあ、死んだような顔してるけど、死にたいの?」と気兼ねなく問われた。「生きたくないだけ」と答えたら、選択肢が二つあるときに二つのどちらも選ばないことの損失を、論理立てて説明してくれた。惹かれた。ぐっと、惹かれた。
 小学当時、人生観は悲観的だった。死刑囚は死ぬけど、潔白のおじさんも死んだから、深く考えることになった。人生の長さはどれくらいか。せいぜい八十か九十かだろう。フリーターの人はどうか。心身の疲れで七十だろうか。エリートはどうか。意外にこっちの方が疲れて早死にするかも。でも、結局、アバウトに見ても六十から九十で、大して変わらない。この短い有限の中で、誰もが死という結果に向けて、様々な過程を経験する。ここで気付くのは、万人に共通して短い有限の内に死ぬこと。相違点は、その過程、つまり人生の内容。自分は思った。誰もが50点と決まっているテストがあって、皆はそれぞれの方法でそれぞれの量、勉強する。そんなの、馬鹿げている。皆、死ぬという同一の結果を迎えるなら、そこまでの過程に何があろうと意味がなかった。
 頭から離れなかったそのイメージと考えを、Y君は粉砕してくれそうだった。から、惹かれた。実際、Y君は、この難問にしゃんと答えた。
「死が確かと思ってるようだけど、俺は、死んだことないから、死があるのか知らねえ。もしかしたら続いてるかもしれない、とも考えられる。宗教では、閻魔大王に裁かれて天国と地獄に行くって考える。あの『火の鳥』では、コスモゾーンとか言ってたな。つまり、分からないからどう考えても間違いじゃないわけ。なら、便利な考えを選べばいいだけ。死で途切れると考えると、不便なようだな?」
 天才だった。今まで出会った中で、一番天才だった。人と関わることは無条件の重石を担ぐことだったけど、Y君だけは違った。
 そういう事情があって、自分はY君だけと関わっている。
 しばらく行くと、白いドレスにポツンと泥が跳ねたように、緑の公園があった。周りは住宅街だった。自分らは、公園のベンチに並んで座った。公園内には、ボールを投げ合って遊ぶ親子がいて、それを見つめていると、少子化が浮かび、今朝の台本番組を連想した。
 「誰か好きになったことある?」と聞いた。ほんの思い付きだったが、Y君は深く考えて徐に首を振った。
「誰にも惹かれないんだよな。そもそも、人に興味がないけど、お前もないだろ?」
「今はちょっとあるんだけど、それでも、僕は最低だ」
 自分だけが最低なのだと思っていたけど、今朝のニュースはいささか不可解な事実を示唆していたように思える。皆も最低だったりしてと妄想したい衝動が、湧き水のように染み出てくるのである。動機はどうあれ、今こそ皆に興味がある刹那か、と思うと慌ててしまった。
「『さとり世代』って何を悟ってる?」
「難しいこと言うな。でも、忘れちゃいけないのは、俺らも『さとり世代』ってことだ」
 Y君の言う通り、自分の世代のことを知っているのは、自分であるはずだった。自分において考えると、欲がないのは当たっている。便利で豊かな生活が一般化して、上級がいらなくなっただけだろう。さらに、受動的なサービスが多く能動が衰えたために、挨拶するのも、感謝するのも、あらゆることが一様に面倒臭くなって、素直に生きられなくなった。

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