見出し画像

【怪談】事故

 お盆の夜のことだった。
 地元に帰り、ひさしびりに友人と再会した。高校の頃よく一緒に行った駅前のラーメン屋へ出かけた。そのころ僕はまだ運転免許を持っていなかった。行きも帰りも友人の車にお邪魔した。
 ラーメン屋を出たときには、午後十時を過ぎていた。
 僕は助手席に座った。
 真っすぐ僕の実家まで帰るつもりが、せっかくだからコンビニに寄ろう、ということになった。どちらが言い出したのかは、わからない。僕らの舌は食後のアイスを欲していた。
「俺は、いまでも、クーリッシュ派」
 食べやすくて、うまい。溶けても手が汚れない。それが友人の言い分だ。僕は、どちらかといえばパピコ派だった。
「パピコはふたつに割って分け合う喜びがあるからいいんだよ」
「分け合う人がいなかったら、成立しないじゃん」
「ひとりきりなら、分け合わなくてもいい喜びを味わえる」
「さすが」
 だろ、と僕はそのとき、無意識に後部座席へと振り向いた。そこには誰もいない。ふたりしかいないのだから、当然だった。突然の僕の奇行に、友人は「は?」と気味悪がったが、僕自身も気味悪く感じていた。そっちに振り向いてしまったのは、そこに誰かがいるような気がしたからだ。ふたりきりの車中で他愛のない会話をしていただけなのに、いつからか、背後に話し相手がもうひとりいるような気がしていた。実は、ラーメン屋にいるときから、その漠然とした感覚があり、その感覚は徐々に膨らんできていた。ふたりしかいないのに、三人でいるかのような、よく考えてみれば不可解な感覚。高校時代は三、四人で会話をすることが多かったので、そのときの感覚を思い出していた、ということだろうか。
 いま思えば、それは前兆だったのかもしれない。
 コンビニが見えるところまで来て、赤信号で停まったときだ。
 交差点の先頭で停まったばかりだったのに、急に動き出した。「嘘だろ!」と吐き捨て、友人は目を見開いた。勢いよく加速していく。横断歩道を横切り、交差点を突き抜け、ガードレールの隙間を通り、歩道へ。状況を把握できないまま、三階建てのマンションのベランダに突っ込んでいた。僕はエアバッグに顔面を打ちつけ、鼻から血を流していた。
 思わず、「大丈夫か?」と叫んだ。「ああ、大丈夫みたいだが……」と、掠れた声が応じてくれた。
 どちらも命に別状はなかった。
 巻き込まれた歩行者もいなかったようだ。フロントガラスは氷のように割れ、前のタイヤはどちらも潰れていた。大破したといってよい。一見したところ大きな怪我もないのは、不幸中の幸いだった。
 友人はなにが起こったのかわからない様子で、ぽかんとしていた。とりあえず、僕が警察に通報し、友人の代わりに保険会社にも電話した。友人は、駆けつけてきた警察から事情を聞かれても、「俺はアクセルなんて踏んでないんですけど」と繰りかえすばかりだった。
 僕に対しても事情聴取があった。実際のところ、友人がアクセルを踏み込んだのかどうかについては、わからなかった。そこまで見ていなかった。というか、大事故を経験したばかりで、そのときは頭がほとんど働いていなかった。周りの野次馬や、警察官の交通規制なども、ぼんやりとしか見えていなかった。事情聴取に冷静に対応できるような状態ではなかった。
 いまも、事故直後の記憶はぼんやりとしている。
 午後十一時過ぎ、レッカー車が到着したあとだ。それからの警察官とのやり取りについてはむしろ鮮明に憶えていた。事情聴取を担当していた警察官の男が、きょろきょろと目を動かしながら、近づいてきた。誰かを探しているような動作である。僕の目の前まで来ると、彼は言った。
「もうひとりの同乗者は、どちらに?」
 耳を疑った。僕と友人以外に、同乗者はいなかった。
「ふたりだけですけど」
「嘘でしょう」
 警察官は、怪訝そうな顔をした。
「さきほど、同乗者の、若い女性の方にもお話をお伺いしましたよ。後部座席に座っていて、急に車が暴走していった、って」
 警察官が言うには、事故の目撃者たちも、事故車には三名が乗車していたと報告しているらしい。
 意味がわからなかった。事故が起きたあとは動揺していて周りのことが見えていなかったとはいえ、事故前のことははっきりと憶えている。車にはふたりしかおらず、後部座席には誰もいなかった。正確に言えば、もうひとりいるような感覚はたしかにあったが、現実には誰もいなかった。いるはずのない同乗者に、警察官はしっかりと事情聴取をしていた。その同乗者の若い女性は、「アクセルを踏み込んでいるのを、見ました」と話していたという。
 とても気味が悪く、この事故のことはすぐに忘れたかった。物損だけだったので、事故の詳細が捜査されることはなかった。
 それ以降、友人と会うたびに、僕はこの一件を思い出した。
 誰なんだろうね、いわゆる幽霊だよね、と話を振ってみたこともある。そのとき友人は曖昧にうなずいて黙り込んでしまったのだが、なにか心当たりがあるのだろうか。まだ聞けないままでいる。