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【番外編】厳密な読解力とは【誤解しないようにするためのルール】

 文章は好きなように読んでいいと思います。しかし、誰もが好きなように読んでいくと、コミュニケーション(意味の伝達)がうまくいきません。

 そこで、僕は、厳密に文章を読解するためのルールを三つ、つくりました。

 ①単語や言葉、文、文章を、個人的な経験から読解してはいけない。

 ②汎用性のある単語、言葉、文、文章を読解してはいけない。

 ③沈黙を読解してはいけない。

 以上の三つです。

 ①は、個人的な経験から意味を推測してはいけないことを示します。たとえば、失恋したことのある人にとって、『失恋』という単語は、ある特定の相手から「別れよう」と切り出されたシーンを内包しているはずです。しかし、『失恋』をその意味で使うのはその人だけなので、その意味で読解してはいけません。

 ②は、いかようにも解釈できるものを読解してはいけないことを示します。たとえば、『強い』という単語は、広辞苑の定義でさえ曖昧であり、いかようにも解釈できます。その文章の中で「強いとは~」と定義されているならまだしも、定義されていないなら、その単語を読解してはいけません。誤読になる可能性が高いです。

 ③は、書かれていないことを読解してはいけないことを示します。行間を読んではいけないということです。なにも書かれていないところから、「こういうことだろう」と推測したとき、それは個人的な思い込みや個人的な経験に大きく左右されます。

 以上、厳密な読解力について、でした。

(ある小説を読んだとき、読書メーターの感想を見ると、自分と違いすぎる感想ばかりで、びっくりしました。おそらく、僕が、僕の経験を想起しながら読んだせいだと思います。その意味で、僕はコミュニケーションに失敗していました。文章を介してコミュニケーションができるのは、多かれ少なかれ、書き手と読み手が同じような経験を持っているからだと思いますが、まったく同じ経験を持っている人はいないので、常に誤読は発生します。今回の三つのルールを守ると、ある程度、誤読を防げるかもしれません。※ここでいう「誤読」とは、作者が頭に浮かべたものと読者が頭に浮かべたものの不一致加減が甚だしい場合のことです)


 このルールは、他人の言葉についても応用可能です。とくにルール①。

 他人の言葉を理解する際には、往々にして、言葉の定義よりも、自分の経験をもとにして言葉と言葉の間を脳内で補いながら読解しているため、誤解やすれ違いが頻繁に発生します。


 自分と他人は似たような経験をしていると思いがちですが、実際には、まったく違う経験をしてきています。なにか「嫌だな」という発言をされたときなどに(他人を誤解しそうなとき)、このルールが役立つことも、もしかしたら、あるかもしれません。

 よかったら、ぜひ。