【独自研究】道徳が対立したときになにが起こるか【道徳決定ゲームの解について】

 こんにちは、山本清流です。


 今回は、道徳二元論を応用したいと思います。道徳二元論はこちら。


 内容としては、道徳の強さと道徳の広がりの関係についてです。道徳が対立したとき、その結果はどうなるのか。

 まず、定義を厳密にしていくことは避けられません。


 道徳二元論において不十分だったのは、それぞれの道徳戦略が対立したときにどうなるか、でした。


 これについては、道徳戦略が対立するとつねに公平的道徳が通ると最初に仮定することにします。

 そして、もしも同一の道徳戦略を持っていたら、双方の主張が通ることになります。


 以上のような前提のもと、考えていきましょう。


 まず、どんな道徳を保有するかの意思決定をする人物を、プレイヤーと呼ぶことにします。

 ここでは、単純化のために喧嘩をするべきかどうか、の道徳戦略について考えてみましょう。


 プレイヤーは、「喧嘩をするべきだ」という闘争的道徳か、「喧嘩はするべきではない」という公平的道徳か、そのどちらかを選択することになります。

 前者の戦略をA、後者の戦略をBと呼ぶことにしましょう。


 プレイヤーは、人生の中で、喧嘩をして勝利すると自分の満足度が高まるという状況に遭遇することがあります。もしもプレイヤー同士が喧嘩を選択したときに勝利する確率をPとしましょう。


 このPは、プレイヤーごとに違います。喧嘩の得意なプレイヤーはPが高いですし、喧嘩の苦手なプレイヤーはPが低いでしょう。また、Pは、0<=P<=1の範囲にあります。


 戦略、A、Bを決定するためには、AとBのどちらがより高い満足度を与えるかについて考えなければいけません。


 もしもPが0.5より大きければ、喧嘩を選択したときに半分より高い確率で勝ちます。かりに、喧嘩で勝利したときの満足度が1で、喧嘩で敗北したときの満足度が-1で、喧嘩ができなかったときの満足度が0だとすると、0.5よりもPが大きいプレイヤーは戦略Aを選択したほうがよさそうです。


 これはなにを意味するかというと、喧嘩で勝つ確率が半分より大きければ、戦略A「喧嘩をするべきだ」という道徳を選択するのが合理的に見える、ということです。


 しかし、待ってください。考えるべきことはまだ残っています。

 それは、以上のような論理で考えていくと、同じようにして、Pが0.5より小さいプレイヤーは「喧嘩をするべきではない」という公平的道徳を主張することになります。冒頭で定義した通り、プレイヤーの戦略が違うときは常に公平的道徳が優先されるので、喧嘩は発生しません。

 

 とすると、Pが0.5より小さいプレイヤーのみんなが戦略Bを選択し、残りのプレイヤーが戦略Aを選択します。ちょうどPが0.5のプレイヤーはどちらを選択してもいいということになります。


 このとき、戦略Bを選択したプレイヤーとは喧嘩ができないので、喧嘩の勝率が高い――喧嘩強い――プレイヤーだけが喧嘩をすることになります。


 そうなると、その限られたプレイヤーの中での勝率をいまいちど計算すると、0.5より小さくなるプレイヤーが出てくるわけです。その半分は戦略B-―「喧嘩をするべきではない」という公平的道徳を主張したほうが合理的です。


 以上の思考を繰りかえしていくと、最終的に最後のふたりに行きつくことになります。最後のふたりの負けるほうは戦略Bを選択するのが合理的であるのだし、最後の二人の勝つほうは結局のところどちらを選択しても誰とも喧嘩できないので、戦略を選択する必要がありません。


 以上の思考実験から見えてくるのは、もしも「道徳戦略が対立したときに公平的道徳が勝利する」のであれば、「みんなが公平的道徳を主張することになる」ということです。


 これは逆も然りであり、もしも「道徳戦略が対立したときに闘争的道徳が勝利する」のであれば、「みんなが闘争的道徳を主張することになる」ということです。


 では、それぞれの道徳戦略の強さとはなんでしょうか?

 僕は、これを、数の多さだと考えます。


 つまり、最初において多数派が属する戦略が最も強い戦略であり、それが集団の全員にいきわたる、というように考えます。


 これはどういうことかというと、もしも喧嘩の勝率Pが0.5より小さいプレイヤーが半分以上いれば、公平的道徳が支配的な道徳となり、集団に属する全員が公平的道徳「喧嘩をするべきではない」と主張するようになる、ということです。

 反対に、もしも喧嘩の勝率Pが0.5より大きいプレイヤーが半分以上いれば、闘争的道徳が支配的な道徳となり、集団に属する全員が公平的道徳「喧嘩をするべきだ」と主張するようになる、ということです。


 これは、多数派支配の原則と呼びましょう。

 つまり、いま現在、世界において道徳(公平的道徳)として共有されているものは、おそらく多数派にとっては合理的な選択である、と言えます。


 多数派の戦略のほうが強いので、本来なら反対の道徳戦略を主張したほうが合理的なプレイヤーも右向け右という状況になっているわけです。


 そんなことを思いついたので、書いてみることにしました。

 読んでいただき、ありがとうございます。ゲーム理論の勉強を進めていきたいです。