【反省】自分の小説とプロ作家の小説を比べてみた【かなり違うことに気が付いた】
こんにちは、山本清流です。
小説家を目指しておりますが、
いまだ成果が出ていない段階の者です。
今日は、プロ作家の小説と自分の小説を比べて、どんな違いがあるか、探りました。
とくに、小説の比率について客観的なデータで調べました。
だいぶ違うことに気が付きました。よかったら、覗いていってください。
【プロ作家たちの小説の比率】
僕が調べたプロ作家の「会話の場面の比率=主人公の行動:詳細説明:会話文」は、
辻村深月=2:4:4 綾辻行人=1:5:5 貴志祐介=1:4:5
でした。
※冒頭の一部だけで計算しているため、全体はわかりません。また、会話の場面を取り上げています。参考にしたのは、辻村深月『冷たい校舎の時は止まる』、綾辻行人『十角館の殺人』、貴志祐介『悪の教典』。
※主人公の行動以外の地の文を、詳細説明として数えました。また、会話文は「」のひとつを一文として数えました。細かい比率は四捨五入しています。たとえば、7%とかは、10%に切り上げて、1としてカウントしています。
【辻村深月――行動偏重型】
勝手に、行動偏重型と呼ばせていただきます。
あくまでも、『冷たい校舎の時は止まる(上)』のほんの一部分を調べただけですので、そこはご注意を。
(とはいえ、おそらく、プロの作家さんたちは、最初から最後まで同じ筆致になるように気をつけていると思います)
辻村深月の文章は、行動偏重型です。
主人公の行動描写が比較的多く、細かい。会話文と詳細説明の文は同じくらい。会話文の量も説明の量も多いけど、比率的に、主人公の行動描写が多い。
主人公がどう動いたか。なにを感じたか。なにを考えて、どんな素振りをしたか。とても細かく描かれているのが特徴です。
語彙力というより、人間への理解とか、観察力とかが必要になる書き方だと思います。
すごくリアルな人間がたくさん出てくるので、いいですよね。
僕には、たぶん、真似できない文章だと思います。
【綾辻行人――説明・描写偏重型】
失礼ながら、勝手に、説明・描写偏重型と名付けます。
主人公の行動とか考えとかはあまり気にしておらず、客観的な情報を多く盛り込んでいます。
三人称一視点ではあるけど、三人称寄りの書き方です。
登場人物たちの関係、目的、場所の説明など、説明がやや多め。
会話文もとても多いのに、それに迫る勢いで多くの説明文があります。
作者の語り口調に独特な雰囲気があるので、いいですね。
僕は、この型かもしれないです。
【貴志祐介――会話文偏重型】
勝手ながら、会話文偏重型と名付けます。
貴志祐介の文章は、会話場面での会話文の量が多めです。
会話文と会話文の間に、ときどき、地の文が挟まれているような印象。
重要になってくる情報もすべて会話文で伝達しています。
地の文は補足をするだけ、みたいな。そんな印象です。
とても読みやすくて、いいですね。
僕が最初にはまったのは、貴志祐介でした。
以上。プロ作家の比率を見てきたわけですが、ようやく僕の小説について調べていきます。
いま執筆途中の小説で調べました。
【僕の場合】
僕の小説を調べたら、1:6:3、でした。
そうです。説明が多すぎる。そして、会話文が少ない。
説明偏重型だとは思っていましたが、さすがに多すぎるのではないか。
【言い訳】
しかし、僕の強みは、オリジナリティーのある設定だと思っております。
この強みをよく理解して、制御できるようになれば、いい作品が書けると思うのです。
過去に書いた作品では、トリックとか、キャラクターとかに凝りすぎてしまい、「いや、お前の勝負所はそこじゃないだろ!」という感じでした。
作品世界に独自のルールを導入し、理屈詰めで世界を組み立てるのが、おそらく、僕の強みです。
だから、SFとか、特殊設定ものとかは、向いていると思います。
そういう作品を書こうとしたとき、どうしても説明過多になるのです。
ある種、仕方ない部分でもあります。
【しかし、説明が多いと読みにくいのでは】
おっしゃる通りです。
自分の世界観を維持しつつ、読みやすくなるよう、きちんと会話展開ができるように努力するのも大切だと思います。
そこらへんもある程度、レベルアップしていきたいです。
以上。プロ作家の文体と自分の文体の違いについて気づいた大学生でした。
ともかく、自分の特徴が見えてきたので、よかったです。
説明が多いうえに、会話文が少ない。という僕の特徴。たぶん、ひとつの「」で膨大な説明をしてしまうせいでしょう。登場人物たちのやりとりを増やせるように気をつけます。
自分の特徴を知ることは有益ですね。おススメです。
以上です。お読みいただき、ありがとうございました。