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あなたの感想が聞きたい、それだけです

ちょっとした違和感は、日常に転がっている。それをひとつずつ[プチプチ退治]していくエッセイ集が、松田青子『ロマンティックあげない』。2013年の夏から2年間、yomyom pocketで連載されたエッセイが収められている。

タイトルから察する通り、「本当の勇気を見せたからってロマンティックあげるわけないじゃん」的な観点がちりばめられている。とはいえ、ジェンダー問題ばかりを取り上げているわけではない。小説作品でも扱った「画像はイメージです問題」をはじめ、鋭い筆致は読み手のポジションすら忘れさせてくれるはず。だからこそ、近ごろ「フェミ」という三文字を読んだだけで警戒する人(アンチではなくて、用心する人が増えたと思う)に、素直な感想を聞きたいなと思う。

さんざん「女子としての意見」を求められてきてうんざりなので「男子としての意見」が聞きたいわけじゃない。あなたの率直な感想を、ただ聞いてみたいなと。そんな風に思ってしまう。わたしの場合は、ほぼ「だよね」でしかないのだけど。きっとそうじゃない人がいると思う。その声を、聞きたい。建前でも、虚勢でもなくて、素朴な感想が聞きたい。

エッセイの書きはじめは2013年だ。しかし、2021年の今こそ多くの人に読まれるのを待っているように思う。なぜなら、時代はたいして変わってないからだ。作中でも変わってないというが、まだ変わっていない。あの当時、マグマだまりのように震えて響く声が聞こえないのが不思議だったが、噴火しないとわからないのかもしれない。

じゃあいま、タイムラインで流れてくる泥の投げ合いがベストなのかと言えば……それはちょっと違うけど。

なぜならば、多くの人に遠慮している仕草が増えてきたからだ。女性(特に年下の場合)を目の前にして、本音で話していないことが多い(のが伝わってくる)。ただそれをされると、線を引かれただけのように感じてしまう。本当に仲間だとは思っていないんだなと。こちらは、仲間だと思いたいから同じテーブルにつきたいのに。結局、乗車拒否されたようなもので、むなしさが残る。

それこそ元の木阿弥ということじゃないかな。仮に「原始、女性は太陽であった」としても、歴史の繰り返しになったら、本当にもったいないと思う。

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