「書く」ということ
一年ほど前、自身のオンラインレッスンのプラットフォームを、noteという文章主体のSNSに移した。
それをきっかけに、元々好きだった文章を書くという作業に前より少しだけ力を入れるようになった。
子どもの頃から本の虫。
小学校の給食の時間にも図書館で借りてきた本を読みながら給食を食べていた。
何度も瓶の牛乳をこぼして先生に怒られた。
カトリックの学校に通っていた中高時代には、どうせならばと聖書を読破した。
多分、ずっと帰宅部のわたしは暇だったのだろう。
当時から、書くことが好きで作文コンクールにも何度も応募したし、未だに1番の思考の整理になっていると感じている。
5ヶ月ぶりに復活したvoicyでは徒然なるままに、日々の出来事や趣味の漫画の感想、耳レシピと題したなんて事ない日々のレシピを発信している。そんなことも書くことの原動力になっている。
が、もともと文章のプロではないわたし。人様に読んでもらえる程度の文章を書くまでにまあまあ時間がかかる。
カンボジア観光編と題した原稿にも5時間ほどを費やした(途中、いろんな事を調べつつではあるが)。
そして、少し下世話な話をすると、今の所わたしの文章は大した収益を生み出すものではない。
まあ、つまりは仕事にはなっていない完全なる趣味。
それが少しずつ変わり始めている。
先日、上海にある自費出版の雑誌を作っているリカさんと、オンラインである企画の打ち合わせをした(こちらの企画に関してはまたお知らせをさせてください)。
リカさんは「Koji」と言う雑誌コンテンツを企画し、撮影、ライティング、編集までを行っておられる知的で素敵な女性だ。
なんと、彼女はわたしのnoteを読んで、コラムとレシピを依頼してきてくれたのだそうだ。
有難いことである。
文章と書籍を愛する我々は、オンラインで初対面ながらも、1時間半ほど話し込んだ。
その中でのリカさんの言葉がとても印象的だった。
まさに、まさに。
わたしもそう思っている。
携帯を開けば、視覚的や聴覚的に刺激的で新しいコンテンツは世の中に溢れている。
だが、わたしは文章が持つ力を諦めたくないし、私自身が多少なりと持っている、書くことに対する情熱も持ち続けていきたい。
その影響がいかにスローなスピードで進んでいくにしてもだ。
9月に上海在住のリカさんと東京で会う約束をした。
大好きな本屋さんに一緒に行く約束もした。
国籍を超えても繋がることができる、文章の力を信じたいと思っているし、それもこれもわたしがコツコツと文章を書いてきたおかげだと思っている。
わたしにとって「書く」というのは、そういうことなのだ。
時間がかかっても、知らない誰かと深く繋がれるツールだと思っている。