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東京夜散歩 第二夜「二大タワーを巡る」

前回の深夜散歩から約1ヵ月後、第二回都内深夜散歩が開催された。

今回はどこを歩こうかと友人と思案した結果、渋谷スタートで東京タワーを経由し、最終目的地は東京スカイツリー。

つまりは新旧二台タワーを歩いて巡るのが今回の目的。

やっぱりどうせ散歩するならば何かしらのテーマを持って歩いた方が張り合いがあると言うもの。

そう考えたら今回のテーマは安直に思いついたにしては割と良いテーマでは無いだろうか?



0時03分 渋谷駅

この日はあいにくのお天気だった、ただし土砂降りの雨であれば別の日に延期したのだけれども、天気予報は曇り時々雨で家を出るときには雨は止んでいたので延期はせずに決行することにした。

しかしながら渋谷駅に到着した時には小雨がパラパラと降っており、傘を持っていない私たちはとりあえずコンビニで折りたたみ傘を買おう等とこの後の予定を話しつつ、まずは宮益坂を上り青山方面へ向かった。


後で調べたところ本来であれば東京タワーへの最短ルートは渋谷駅から246号線の方へ向かい、2首都高速に沿って歩いて行くのが正解だった。

つまりは初手から道を間違えてしまっていた。


宮益坂を歩いていると酉の市の提灯が通り沿いに飾られているのが目に入った。

神社の境内もご覧のようにひっそりと静まり返っており、昼間来ていれば何らかの催し物が見られたのだろうけれど、当然現在の時刻は何も行われておらず祭りらしきものは酉の市の提灯以外に何もなかった。

宮益坂を上っている最中にコンビニを発見したのだが、先ほどパラついていた雨は歩いている最中に上がったため、大丈夫かなと思い傘を買う事はしなかった。

しかし

今思えばこの時に傘を買っておくのが正解だった。

宮益坂を進むと国道246号線に突き当たった。ここを左折して青山方面へ向かう。


さすが渋谷青山エリア、おしゃれなテナントがとても多い。

上記の写真は近視ケアクリニック、眼科みたいなものなのだけれどご覧のようなおしゃれなデザインで、テナント名の文字が無ければとても眼科には見えない。

こちらは岡本太郎作の「こどもの樹」

奥の建物は2015年までこどもの城と言う施設だったが現在は工事中のようで閉鎖されていた。

看板もご覧のような感じでテープで雑に隠されていた。

調べてみたところその後東京都が国から525億円でこちらの施設を土地ごと買取り、新たに都民の城として2023年内にオープンする予定だったらしいのだが、コロナ禍等の影響で延期となりその他のいろいろな問題もあるらしくて現在も工事再開及びオープン日は未定なのだとか。


そして子供の城の隣には何やら重厚感のある建物が。


こちらは国際連合大学と言う大学の校舎のようである、何度も同じ表現を使ってしまうのは自分の語彙力のなさを感じて若干恥ずかしいが、そこをあえて再度同じ表現を使わせていただく。

さすが青山

そんな言葉が自然と脳内に浮かんでしまうようなデザインだった。

国際連合大学の道路を挟んで迎えにあるのは、青山学院大学の青山キャンパス。

青山学院大学は神奈川県の相模原市にもキャンパスがあり、私はそちらの校舎には塾講師のバイト募集のチラシ配りで行ったことがある。

しかし渋谷キャンパスには入ったことどころか、前を通りかかるのも多分人生で今回が初めて。

と言うのも、青山エリア自体には主に服を見たりで何度も来た事はあるんだけれども、その場合は大体が渋谷から明治通り沿いを歩いて原宿まで行き、裏原宿のあたりを見て回ってから表参道を歩いて青山エリアに向かうようなルートだったため、この道は全く通ったことがないのだ。

知っているような場所でも、ちょっとルートを変えると全く見たことのないような景色だったりするのは地元でもよくあることじゃないだろうか。

お名前.com等で有名なGMOの看板、そしてマクドナルド。

こういう普段来ないような、そして少し場違い感が否めないような場所で馴染みのあるものを発見するとなんだか少しだけ安心する。


南青山五丁目を右折し骨董通りに入る、ここで渋谷区とはお別れし港区に入る。

0時22分 港区

骨董通りを歩くのは多分人生で初めてだろうか?ここら辺に洋服を見に来たとしても青山エリアにある洋服店は当時の私の経済状況ではとても手が出ない値段で(安い洋服の選択肢が増えた今では余計に手が出ない) 記憶をたどってみても、青山エリアの洋服店で買い物をした記憶は当時1番勢いに乗っていた裏原系ブランド「A BATHING APE」などを取り扱っているBUSYWORKSHOP AOYAMA位。

当時の裏原系ブランドのショップは最盛期だったのもあって人気ショップはほぼ例外なく店員の態度が悪く、エイプもご多聞にもれず店員の態度は良くなかった。

ただ原宿店に比べると青山店の方が場所柄なのだろうが店員の態度はだいぶマシだった気がする。

青山だと原宿店よりも金持ちとかが来る可能性が高くあまりに態度悪くしてるとやってられないからなのかもしれない。

それが理由でエイプを見に行くのは原宿店よりも青山店の方が多かった。

当時あれだけ人気だったのに今はもうすっかり見る影もない。値段だけは強気だけどイオンにも出店するようなブランドになってしまった。

ただ今思えばエイプの渋谷店ができたあたりでもうブランドの価値としてはピークを過ぎていたように思う。

それを考えると90年代半ばぐらいから今に至るまでずっとストリート系のブランドとしてはトップクラスの人気を維持し続けているシュプリームは凄い。

今はどうか知らないけど、当時のシュプリームなんて誇張抜きで義務教育すらまともに終えてないんじゃないかみたいな店員しかいなかったのにも関わらず大盛況だった訳だし。

こちらはフランス初のオーガニック系スーパー「ビオセボン」都内と神奈川のそれなりに所得が高そうな人が住んでいるエリアにのみ出店しているおハイソなお店。

なので当然埼玉には無い。

真夜中でも店舗の明かりがつきっぱなしで目立っていたフルーツ大福のお店。

つけっぱなしなのは防犯の目的もあるだろうが、こうしておけば閉店後に通り掛かった人に宣伝する意味合いもあるのかもしれない。

こちらのお店は、私にとっては思い出の場所の1つであるハワイ初のハンバーガーチェーンクアアイナの青山店。

今でこそ割と店舗数もあり、越谷レイクタウンにも出店しているクアアイナだけど、私が渋谷原宿に頻繁に訪れていた時期にはまだ店舗数も少なく、都内だとここ位にしかなかったと思う。

そして今でこそグルメ系のバーガー店も増えたけど、その手のハンバーグを出してくれるお店のパイオニア的な存在だった。

一般的なファーストフードチェーンで提供されるハンバーガーと違い、圧倒的な肉感が味わえるこちらのお店。

私は初めてここでハンバーガーを食べてからすっかりハマり、渋谷原宿に買い物に来た際にはここでランチを食べるのが定番だった。

そんな事を思い出しつつ、横目で店舗を見ながら通り過ぎる。

主張控えめなセブンイレブン、周りの景観に配慮してるんだろう。

45rpmの路面店。

私が新宿伊勢丹で働いてた時、唯一顔見知りになって少し話すようになったのがこちらの店員さんだった。

いつもピリピリしていて人間関係も悪かった私の勤務先の同僚に比べ、その方はいつもにこやかにしていて会う度に癒された。

昔の事を思い出す度につい文字にしたくなるのって歳食ったからなんだろうね。


ここいらで骨董通りを抜け、首都高速渋谷線沿いの道に出る。

骨董通りの静けさとは違って真夜中でも交通量は多く、人通りもそれなりにある。

通り沿いに設置されていたケンミンの自販機。

焼きビーフンなんて多分10年以上食べてなかったんだけど、この数日後に私はスーパーで焼きビーフンを購入し久しぶりに食べた。

そういう意味でこの自販機は直接的な売上とは別に設置しているだけで立派にプロモーションの役割も果たしているのだ。

西麻布のバス停に到着。

有吉さんが後輩芸人マシンガンズの西堀さんがやってるYouTubeチャンネルに出演して都内を散歩する動画が話題になったのはもう二年位前だが、あの動画のスタート地点が西麻布辺りだった。

そのまま道なりに少し進んでいたのだが、西麻布の交差点でなんとなく気が向いて横断歩道を渡り右折する。

Googleマップはもっと先で右折するようナビしていたのだけど、どこを曲がっても大して距離は変わらないだろうと自分の気分を優先する。

けど、後から調べてみたらこのお陰で遠回りになっていた。

右折して歩いていると程なくして黄色い看板が視界に飛び込んできた。

ラーメン二郎っぽい色味だがこちらは麻布ラーメンと言うお店。どうやら店名の通り西麻布店以外にも麻布十番店等、近隣に数店舗あるようだ。

そろそろ本格的に肌寒くなってきた折、深夜だと言うのに店内はサラリーマンでごった返していた。

みんな〆のラーメンを堪能しているのだろう。

大通りを歩くのに飽きたので、足の向くまま今度は左折してフラリと小道に入る。

さすが西麻布、小道に立ち並ぶ住宅は戸建てだろうと集合住宅だろうと埼玉ではお目にかかれないような雰囲気だ。

謎のお店愛印、後で調べてみたら音楽スタジオだった。

当然ながら志村けんも、北斗の拳も、薬局も全く関係ない。

Googleマップに唯一「お世話になってる仕事場の一つです。」なんてクチコミがあったけど、施設の説明等も一切なく、ただそれだけを投稿していることから察するに、多分その口コミを書いた方は「俺はこんな場所で働いてるんだぞ」と言う自慢をただ単にしたかったのだろう。気持ち悪いね。

その後道なりに歩いていると公園などもあった、しかしこんな時間だと言うのに公園に1人たたずんでいる女性がいたので公園の写真などは取れなかった。

こういうことを言って失礼かもしれないが、今でもちょっとだけ「あの女性はもしかしたら自分たちにしか見えていなかったのではないか?」などと言う考えが頭よぎってしまうのだけれども、おそらくそれは考えすぎだろう。

その後も通り沿いに進んでいくと、先ほどまでの高級住宅街とは大分街並みが変わる。

それに伴い、周囲の空気までもが変わったような感覚を覚えた。


もう少し進むと、都立高校や小学校、幼稚園が併設するように建っていた。深夜の学校はなんとも言えず不気味な雰囲気がある。

普段人で賑わっている場所に人が居ない

それがそんな風に感じさせる理由なのかもしれない。


おそらく近隣のマンションに住んでいるような方々はここの小学校や幼稚園に行くのだろう。中学校だけがないのは土地の問題だろうか。

とはいっても調べてみたところ、ここからわずか数百メートルの距離に港区立六本木中学校がありそんなに離れてはいない。

昭和の香りが少し残るような古めかしい学校の建物と、奥に見えるタワマンの対比はなんとも味がある。


よく見るとこんな時間でもタワマンの状態は電気がついている家が多い。

バスローブ着て片手にブランデーを持ちながら夜景を眺めているお金持ちの姿が脳内に浮かんだのだけれども、さすがにこの令和の現代にそんな暮らしカルな出立ちの方はなかなかいないだろう。

さらに先に進むと繁華街に突き当たった。

大都会東京の中枢と行って差し支えないような地域でもほんの少し通りを変えるだけでこれだけ街並みが変わるのは少し不思議な気分。

ここら辺は地名で言えば麻布十番のあたり、麻布と言えば高級住宅街ではあるが、割と古くからここら辺に住んでいる方も多い。

そのためかこんな庶民的な値段のピザ屋さんもあった。

その後大通りに出た私たちは、道なりに東京タワー方面へ歩いて行く。

通り沿いには飲み屋もあり、この時間だと言うのに…いや、そう感じるのは私がお酒が全く飲めず生来夜通しの見悪なんて文化と一切無限の人生を歩んできたからそう感じるだけで、麻布の飲み屋ともなればこの時間でも賑わっているのは通常の光景なのだろう。


薄暗い店内に人が立っているのかと一瞬ぎょっとした等身大の立て看板。

首都高速一ノ橋ジャンクション下の交差点。

こちらは薬膳カレーが有名な都内にいくつか支店もあるBAR新海。

どこかで見たことある店名だなと記事作成の際に思った、YouTubeのタケヤキ翔さんが、ネカフェか何かに泊まる企画の際、夜食を食べていたお店だった。

この昭和からありそうな佇まいの雑居ビルが雰囲気あって好き。でも前述のように私はお酒が全く飲めないので人生でBARという場所には入ったことすらない。

死ぬまでに一度ぐらいは入ってみたいのだけど、なかなか敷居は高い。

それにしても、先日イオンレイクタウン内で不意にタケヤキ翔さんとすれ違ったときにはびっくりした。

あまりに不意打ちすぎて声もかけられず、私は振り返って2度見する事しかできなかった。

万が一声をかけて本人じゃなかったら恥ずかしいし。

東京の街中には至るところに落書きがあるが、1番下の落書きだけ少々テイストが違うような気がする。

昭和初期生まれのおじいちゃんあたりが酔っ払って書いてしまったのだろうか?

道なりに歩いていたらとても目を引く建物があった、こちらはオークウッドホテル&アパートメンツ麻布と言うらしく、名前の通りにホテルなのだけれども、Google マップの口コミを見てみたところ長期滞在向けのホテルらしく、キッチンには調理器具などが備えられているそうで、だからアパートメントなんて名称もついているのだろう。

ここら辺で大通りを歩くのに少し飽きてしまったので足の向くまま左折して小道を歩いた。

都心部でも1つ通りを入ると雰囲気がガラッと変わってまた違った気分で歩けるから楽しい。

ここが都内でも中心地に属するような場所だと言われても、地元や近郊にお住まいの方じゃなければにわかには信じられないんじゃないだろうか。

ただし通りを入って適当に歩いてしまったせいでさらに少し遠回りをする結果になってしまったが、オリエンテーリングじゃあるまいし散歩なんてそれを楽しむ位がちょうどいい。

適当に歩いていたら赤羽橋駅に着いてしまった。ここらでGoogle マップを開いてみたところ左に曲がるべき場所を右に行ってしまったため東京タワーから遠ざかってしまっていた。

Google マップでルートを確認し、来た道を少し戻って今度こそ東京タワーを目指す。

10分ほど歩いていると東京タワーがだいぶ近くに見えてきた、本日の第一チェックポイントである。

さらに5分ほど歩いてようやく芝公園の麓に到着。

東京タワーへ向うにはこの階段を登らなければならない、見上げていると少しだけ気分が落ち込んだが昇らないなんて選択肢は当然ないので気合を入れて一気に駆け上がる。

1時30分 東京タワー

階段を上り芝公園内に入ると、東京タワーは目と鼻の先だった。

実はこれまでの人生で東京タワーには不思議と縁がなく、こんなに間近に来るのも今回が初めてである。

もっと言えば中にはまだ入ったことがないので本当の意味では未だに東京タワーには行ってない。


深夜の1時半、それも平日だと言うのにさすが観光名所の1つ、東京タワーの下には記念写真を撮っている方々が数組いらっしゃった。

私たちも記念に写真を撮ったのだが、おそらくこういう光景は日常茶飯事なのだろう。年配の警備員さんがそんな私たちの元へ見回りにやってきた。

あまり長居すると彼にとっても迷惑なのだろうと思い結局10分ほどの滞在でそそくさとおいとました。


帰ろうとした私たちの前に1台の軽トラが止まり中から若者が出てきて東京タワー前の広場にかけられていたチェーンを外した。

車は運転して東京タワーの中の方へ走って行った。何らかの業者の方なのだろうがこんな時間に何をされているのだろう。清掃などだろうか?

好奇心が湧いたが当然ながらその答えを私が知る事は不可能である。


東京タワーを後にした私たちは、次なる目的地へと向けて歩き出した。

東京タワーから最終目的地である東京スカイツリーまでは最短ルートで約9.2キロメートル。Google マップによると2時間ちょっと歩けば到着するようだけれど、私たちのペースや途中意図せず回り道をしてしまうことなども含めるときっともう少しかかるだろうとその時は思っていた。


しかし実際には、もう少しどころではなかったのである。


東京プリンスホテルの横歩いて御成門の方へと向かう、途中複数台のバイクがツーリングしている様子と出くわす。

いわゆる暴走族的な感じではなく、アメリカンバイクでのツーリングだった。

そろそろ寒くなってくるのに元気だなぁなどと思いながら、チラリと振り返って彼らのテールランプをほんの数秒眺め再び視線を前に戻す。

そのまま道なりに歩いていると左手の芝公園エリアに目を引く建造物があり、思わず中に入る。

こちらのオブジェクトはこども平和塔。

公式ホームページの記載によると、3人の子供を太平洋戦争で亡くされた田沢鐐二翁の発願により、全国の小中学生が廃品回収を行ったり、小遣いを節約するなどして貯めた費用によって建設されたとのことである。 

公園内には少しレトロ感もある時計台もあった。今でこそ小学生ですらスマホを持ってるような時代だけれど、私が小学生の頃はこの手の公園にあるような時計台や、夕方の放送で流れる音楽などが時間を知るためにはとても重要だった。

現代の日常において時計台の重要性と言うのは薄れてしまっているかもしれない、しかし災害などの有事の際にはこの手の公共物が役立つことも多いにある。

調べてはいないので正確なところはわからないけれど、多分芝公園も避難場所に指定されているだろうし、近隣にお住まいの方の中には何かあったら芝公園の時計台の前に集合みたいな取り決めをされているご家庭ももしかしたらあるかもしれない。

信号待ちをしていたら目の前にコンビニがあったので、休憩がてらに飲み物とおやつを買うことにした。

今回私が購入したのは八天堂のクリームパン、おそらくコンビニ仕様で普通売ってるものとはだいぶ違うのだろうけれど、十分においしかった。

途中レトロな洋食屋を見つけた、なぜ店名がスイスなのだろうか?そもそもスイス料理って何があったっけ?脳内の記憶を必死にたどってみたが、何一つスイス料理らしいものは私のデータベースにはなかった。

それも含めて昼間もし近辺に来ることがあったらぜひこちらのお店に入ってみたい。

その後赤レンガ通りをまっすぐ新橋方面に向かうも、途中で道を間違えて新橋4丁目の交差点に来てしまった。

信号待ちの際に方向間違えているのに気づいて折り返し再び赤レンガ通りの方まで戻って新橋方面へ向かう。

新橋駅が近づくにつれて飲み屋の数や歩いている人の数も増え、飲み屋街に到着すると真夜中だというのが信じられない位にそこら中酔っ払いだらけだった&客引きもものすごい数が立っていた。

つい数年前はコロナ禍などと言われてたのが嘘のようである。

新橋周辺の景色については通行人が確実に映り込んでしまう&ガラの悪い人がそこら中にうろついており私の危機回避能力が発動した為、写真は殆ど撮っていない。

実際キャバクラの女性がキャバクラのオーナーに撲殺された事件や、朝コンビニで因縁をつけられた男性が因縁をつけた男の経営する飲み屋に連れ込まれて亡くなるまで暴行を受けたなんて凄惨な事件もあったりと新橋界隈は都内でもトップクラスに治安がよろしくない地域なのだから用心するに越した事は無い。

ただニュー新橋ビルだけは地方から来たおのぼりさんぽい感じでこんな感じで1枚だけ撮影しておいた。

ちなみにニュー新橋ビルの周りも酔っ払いや客引きでごった返していた。

2時28分 新橋駅

そんな新橋駅前だが、京浜東北線や東海道線の走る線路のガード下を抜けて汐留側に行くとさっきまでの喧騒が嘘だったかのようにひっそりと静まり返っていて、たかだか線路1本挟んだだけでこれほどまでに街の空気が変わるのかとびっくりする。

もちろんゆりかもめの終電なんてとっくに終わっているしこっちの駅前には飲み屋なんてないのだから、逆に人がいる方がおかしいと言えなくもないのだけれど。

新橋駅を過ぎ銀座エリアへ向かう。

銀座博品館前を通過、今からもう20年近く前になるけれども博品館の向かいあたりの高架下にアメリカンブッフェのお店があってお台場に遊びに行くときの昼ご飯は大体そこだった。

確かお店は2階にあり運営は肉のハナマサだったと思う。当時1200円ちょっとでロティサリーチキンやフライドチキン、ローストビーフなどが食べ放題でとても好きなお店だったのだがいつ行ってもわりと空いていた。

案の定、数年後には潰れてしまった。

食後は腹ごなしも兼ねて博品館を覗くのが定番コースだったのだけど、これからお台場へ向かうところだと言うのもあって博品館で何か買い物をするような事はあまりなかったような気がする。


Apple 銀座店前を通過、私がスマホデビューしたのはiPhone 4sの頃で割と後発だった。

当時はガラケーからスマホにするのに割と抵抗があったんだけど、いざスマホにしてみたらなんでもっと早く機種変更をしなかったのかと躊躇していた自分に後悔する位だった。

私の知り合いで1人だけいまだガラケーの方がいるのだが、彼女はいつまでガラケーを使い続けるのだろうか。

1年ほど前に1度スマホにしてみればと勧めてみたけれども、気乗りしない様子だったのでそれ以来何も言っていない。

愛着もあるのだろうから絶対的にスマホにしたほうがいいなどと他人が言うのはおこがましいしね。


どういう層が購入するのかよくわからない洋服店を発見した、とりあえず真夜中に見る能面はとても怖い。

真夜中の銀座はお店自体はどこも閉まっているし、土地柄24時間チェーンなんかもないので一見するとひっそりしているんだけれども、車の往来は割と頻繁にあるし、店内の工事をしているテナントもちらほらとあった。

そして何より驚いたのは深夜の2時半だと言うのに店内のレイアウトをいじっているアパレル店があったこと。

そういえば私が昔働いていたお店もオープンのときにはみんなで徹夜作業をしてそのまま開店から閉店までお店に立っていたなんて聞いたことがあるが、もしかしたら彼女たちもそのまま次の日の勤務をされるのだろうか?

こちらはフェラガモの路面店、私が高校生の頃にはグッチやヴィトンなんかと並んで割と人気のブランドだったと思うんだけれども、今の若い子たちの間にはあまり人気がないような気がする。

とはいってもそもそもこの手のブランドは元々そんなに若い子をターゲットにしていないだろうからあるべき場所に戻ったような感じなのだろう。

逆に高級ブランドを好む富裕層からは若い子が身に付けていないブランドの方が良いのかもしれない、90年代の頃も高校生がブランド物の財布を持っていることにごちゃごちゃ言ってた人はいたわけだし。

こちらはプラダの路面店、私が高校生の時にちょうどキレイめファッションブームみたいのが起きて高校生もハイブランドの財布を持つのが当たり前だったような時期があった。

実際私も時給770円で1ヵ月一生懸命働いて貯めたバイト代でお財布を買ったのだけど、それがプラダの財布だった。

私にとってプラダと言えば高校生の頃の憧れブランドなのである。ちなみにその後私がプラダの製品を身に付ける事は一切なかったし多分これからもない気がする。

2時44分 銀座駅

ここまで雨は降ったり止んだりを繰り返している。

数分軒下で雨足を確認する事は何度かあれど、
幸いにも長い時間雨宿りが必要だったり、傘を買わなければならなかったりと言うような事もなくここまで来れた。

ニッサンのショールームがあり、何やらクラシックな車が展示してあったけど、私は車に疎いので何の車かはわからなかった。

銀座のランドマーク時計台。

一応撮っては見たものの、そもそも銀座自体私のような小市民には縁のない町である為、時計台にも同様に思い入れも無い。

節分の際に豆を口に放り込む時のような気分で、私は無感情に時計台にスマホを向け写真を撮った。

少し進むと銀座三越。

散歩したのは11月下旬だったので、ショーウィンドウはクリスマス一色だった。

ちなみに現在この文章を書いているのは2024年1月下旬、第四回目の夜散歩スタート地点へと向かう途中の電車内。

つまりは2ヶ月後に書いている。

このペースだと第四回目を書くのは4月か5月になるのかもしれない。

銀座三越のライオン。

銀座ライオンと言うビアホールレストランの店名はこれが由来だろうか?

クリスチャンディオールの路面店、華美な外観には私のような人間の入店を阻む効果があるように感じた。

オカルト風に言うならば低級霊のみに効果がある結界、ドラクエ風に言えば二フラム辺りになるかもしれない。

道なりに歩いていくと今度はシャネルの路面店、RPGだったら確実にボスが中で待ってる系の建物である。

こちらは月曜から夜ふかしに出ていたスタッシーさんが女子大生時代に欲しがっていた、ハリーウィンストンの路面店。

警察博物館なんて看板があった、何が展示されているのだろうと色々考えてみたのだけれど、次々と不謹慎な物が頭の中に浮かんできたので、私は考えるのをやめた。

クラムボンっておぼえてる?

と、問いかけるショーウィンドウ。

CDTVの20位台辺りでちょくちょく見かけたアーティストの方が思い浮かんだ。

調べてみたらまだ活動されているようである。

歩いてる私たちを颯爽と追い抜いていったLUUPの電動キックボードを見かけた。

私も前回の夜散歩の際にLUUPに乗った若者を見て興味が沸き、アカウントを作ったたのを思い出した。

まだ利用した事はないが、折角都内に来たのだから後で乗ってみようかと思いつく。

3時11分 日本橋駅

日本橋高島屋に到着。

雨足が本格的に強くなってきた為、高島屋の軒先に避難する。

私達が到着した時、他に自転車の男性も雨宿りしていた。

歴史ある看板を眺めつつ雨足が弱まるのを祈る。

目の前には日本橋駅の入り口もあった。

その後15分ほど待機するも以前雨は降り止まず、時間を無駄に過ごすのに絶えられなくなった私達は、仕方なしに私達は近くのコンビニまで小走りで向かい、折りたたみ傘を購入した。

傘を買って少し歩いていたら、運良くなのか悪くと言うか雨が止んだ。

さっきから降ったり止んだりだったので当たり前ではあるのだけど、少し損した気分になる。

ただそれを見越してビニール傘よりも少し高いけど折り畳み傘にして正解だった。

交通銀行と言う初めて見る謎の銀行、思わず写真を撮る。

自体がなんとなく中国っぽいと思っていたのだが、後に調べてみた所やはり1908年に中国で創業した銀行との事である。

現代だともはや珍しささえ感じる電話ボックス、しかし「FREEWi-Fi」の表記がノスタルジーを打ち消していた。

一本だけポツンと生えていた柳の木、趣きと不気味さの両方を感じる。

日本橋三越に到着、雨や遠回りの影響で予定よりもかなり遅くなってしまい少し焦る私達。

三越前にて友人と二人で少し考えた結果

LUUP使って時短しよう

と言う結論に。

ただし、友人がキックボードは怖いから絶対に嫌だとごねた為、電動自転車タイプのLUUPで行く事に。

幸い現在地から1キロ程の場所に丁度良く電動自転車タイプのLUUPが二台止まっているポートがあり、そちらを目指して歩く。

その後無事ポートに辿り着き、初めてのLUUPレンタルをして自転車にのり出発したのだけれど、操作に戸惑ったりした為、無事にLUUPが借りられた瞬間は安堵と高揚感で写真を撮るのをすっかり忘れてしまっていた。

LUUPにはスマホホルダーが付いていたので即座にそこにスマホをセットしてしまったのも写真を忘れた要因である。

3時56分 浜町公園

本来ならば歩いて辿り着く予定だった公園、LUUPだとあっと言う間だった。

おかげで特に感慨も無く、先を急ぎたい気持ちもあり、もっと言えばLUUPを一時停止して鍵をかけておくやり方を調べずに乗車してしまったのもありその場に置いて離れるのは怖かったのでLUUPから降りることもなく浜町公園を外から少し眺めただけですぐに出発した。

スマホをスマホホルダーにセットしてGoogleマップを見ながら移動してるお陰で道中の写真は殆ど無い。

ちなみにこれを書いている現在、散歩企画は第4回まで行ったところであるが、第二回の失敗を踏まえてその後はLUUPを使用していない。

4時21分 錦糸町駅

浜町公園から25分ほどで錦糸町駅に到着、道中の楽しみはだいぶなくなってしまったけれども、電動自転車ですら25分かかる距離なのだから、今回LUUPを使わずにすべて徒歩だったとしたらおそらく錦糸町駅到着の時点で5時半ぐらいになってたと思われる。

錦糸町まで来ればゴールはもうすぐ、押上駅のすぐそばに返却可能なLUUPのポートがあったので、そちらを目指して進む。

進んでいくとすぐにスカイツリーが見えてきた、上空に雲が出ているのもあり霞がかったスカイツリー上空の様子がなんとも不気味。

RPGゲームだったら確実に何らかのボスと奥で戦闘になるタイプのダンジョンだ。

LUUPの返却も借りる時と同様に多少まごつく事はあった物の難しい手順などは無く無事返却完了した。

45分借りて400円、ちなみに初回30分は本来無料クーポンがあるのだけど、この時の私達はそれを忘れてしまい、帰りの電車内で口惜しさを噛み締めつつ帰宅するハメになってしまった。

もしこれからLUUPを利用してみようとお考えの方がいらっしゃったら、クーポンの使用をお忘れなく。

4時38分 押上駅&東京スカイツリー

先程までは大分時間が押していた筈が、LUUPのお陰でむしろ始発までは少し余裕がある位だった。

しばらく自転車を漕いでたのもありもう少し歩きたい気分だったり、なんか少しズルをしてしまったかのような罪悪感に近い感情だったり、ゴール地点には歩いて到達したかったりと、色んな感情を抱えていた私達。

当初はここでゴールの予定を、少しだけ延長して曳舟駅まで歩く事にした。

歩きながら改めて真夜中、いや正確には早朝のスカイツリーを眺める。

初めてカリン塔を目にした悟空は、この時の私のような気分だったのかもしれない。

スカイツリー周辺は観光地としてだいぶ整備が進んでいるが、少し離れるとすぐに下町感のある本来の押上らしい街並みと変わる。

スカイツリーができた当初にもここら辺に足を運んだことがあるが、当時は今よりもさらに周辺はまだ下町感が残っており、スカイツリーだけが周囲から浮いているような印象だった。

あの頃に比べたら今はだいぶ周りの街並みも馴染んできているようには思う。


曳舟駅に向かって歩いていたら目を惹く店構えのお店を発見して思わず写真を撮ってしまった。

家に帰ってから調べてみたところ、雑貨と植物の販売をされているお店らしい。


店名が雑に塗りつぶされた、スナックなのかスナック跡地なのかよくわからないお店。

こういうところに下町らしさを感じるのだが…


少し遠くに目をやると曳舟駅前にはタワーマンションが数棟立っているのが見え、今自分が目の当たりにしている街並みとの対比がなんとも不思議。

5時00分 曳舟駅

タワマンを眺めつつ数分歩いていたらすぐに曳舟駅へと到着。

早朝ということで空いてる店も全くなく、さらには始発が5時3分ということで駅周辺を見て回ることもなく、もっと言えばゴールの余韻を味わうこともなく即座に電車へと乗り込み、なんともあっけない感じで今回のお散歩は終了。

最も本来のゴールは東京スカイツリー及び、押上駅だったのだから曳舟駅に着いたとで特に達成感がないのも当たり前なのだが。

改めてもう一度振り返らせていただくと、今回は雨の時間でかなりのタイムがあったのと、好奇心から人生初のLUUPの電動自転車にて時間短縮を行ったのだが、自転車に乗ってしまうと、当然写真も撮れずなおかつ楽チンで早い以外の感想が振り返っても思い出せなくなってしまったため、次回以降は基本的に使わないようにしようと誓ったのであった。

第二回を書き終えたけれど、これからもスキマ時間に第三回、第四回の作成を暇を見て行いたいと思っておりますので、そちらに関してもまた完成したらコーヒータイムのお供にでも眺めて頂ければ。

ではまた次回の記事でお会いしましょう。

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