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偏愛日記。(まえがき、のようなもの)

めっきり文章を書かなくなっていた。

書けなくなっていた、というのが正しいのかもしれない。不特定多数の誰かに向けた文章をかれこれ数年書けていない。
『不特定多数の誰かに向けた文章』という回りくどい言い方をしたのは、身近な知人宛の文章はなぜかたくさん書いていたからだ。

限られた、本当に近しい友人だけをフォローしたSNSには日々感じたことをぽつぽつとつぶやいていたし、新型コロナウイルスが流行りだしてからは手紙がマイブームになったので、何か用件を見つけては片っ端から友人に手紙を送っていた。便箋や切手のコレクションはいつのまにかめちゃくちゃ増えていた。
年始からはじめた日記は、日によって『わすれた。』しか書いていないけれどそれもご愛敬。

驚くほどインプットの量も増えたと思う。
社会人になってから好きなものがまた一段と増えた。

それは概念的なものであったり、ひとつの作品であったり、脚本家であったり、本であったり、人であったり、音楽であったり。
何かにのめり込むと芋づる式に複数の『好き』の扉が同時に開いてしまうあの感じは、学生時代の甘酸っぱい記憶に近い。
誰かを好きになったら、その人の聞く音楽や、服の系統や読む本、関連するすべてへアンテナが張られて、いろんなものを吸収していくあの感じ。『ひとつの好き』の後ろには『複数の好き』がいつだって隠れている。

しかし、いざ誰かに自分の好きを共有しようとすると思うように上手く伝わらない。もっと、もっともっと、面白いのに、涙が出るのに、心臓がひやりとするのに!という刹那の感情は言葉にした瞬間にほろほろと崩れて原型を残さない。悔しい気持ちでいつも『伝わらない…!』とこぼすと、友人たちは『いやめちゃくちゃ伝わったよ!』と言ってくれるものの、100%の純度で私の好きが伝わったかというと、おそらくNOだと思う。つらい。伝える力を磨きたい!

そんなリハビリの意味も込めて、不特定多数の誰かに向けた文章を書いてみようと思い立ち、久々にnoteを書いてみた。

We are shaped and fashioned by what we love.


『私たちは自ら愛するものごとによって、形作られる』
ゲーテの、この名言が大好きだ。

私という1人の人間を形作る、たくさんの愛するものたち。
ひとつひとつ噛み締めながら、記録に残していきたいと思う。

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