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求めるもの・嫌なものを言語化すると起こる変化

「自分が求めているものをハッキリさせないと
 願うこともできない」

最近言われて、ガーンと来た言葉、その1。

「ダメなことはハッキリとNOと言った方が
 むしろ選択肢が広がるんだよ」

ガーンと来た言葉、その2。

 私はあいまいさを好んで生きてきた節があるし、今だってそう。それは、平和に生きるための術と思っていたし、可能性を広げるために、あいまいさは大切と思ってた。

 でもいつからだろう。そうやって生きていくと、知らずのうちに大切なものがポロポロと手からこぼれ落ちていく。
 家族、友達、大切な趣味たち…疎遠になったり、部屋の隅で埃をかぶったり。なくしたり、遠くに行ってしまってから「あぁ、私何してたんだろう。」ってふと我に帰る。後悔する。でも時はすでに遅し。

 いいのかなあ、このままでいいのかなあ。そう思っていた時に言われたのが、先の2つだった。
 
 聖書にこんな言葉がある。

「求めなさい、そうすれば与えられます。
 探しなさい、そうすれば見つかります。
 叩きなさい、そうすれば開かれます。
 ー マタイの福音書 7章より」


 祈り求めるならば、与えられる、それが神様の御心なら…という箇所だけど、祈り求める時に「私は何を祈り求めるのか」をハッキリと言語化することになる。自分に今何が必要で、何を求めているのか?それを言語化できる人がどれくらいいるだろうか。

 言語化する時に見えてくるのは、自分の進みたい方向にかすかに輝く「信念」。これは譲ってはいけないな、と心の中にズシンとくるもの。そして、それを揺るがすようなものについては、やっぱり「NO」を言うのが知恵なのだと思う。

 友人の1人に臨床心理士をしている人がいる。彼女は会うたびに「チューニングさせられる」ような感覚がある。石のようにぶれない意志を持った人で、毎日の生活を踊るように楽しんでいて、いつもその様子をキラキラとした目で語ってくれる。(彼女の家には、数匹の爬虫類がいて、休日はその子たちのお世話を一生懸命している。そして一人暮らしなのに、ベランダにはたくさんのお野菜があって、実がなると写真を送ってくれる…好き。笑)

 その彼女が毎日書いている日記帳には「自分が夢に向かって行動したこと」と「自分の夢を邪魔した行動」の2つを必ず記すそうだ。すると不思議なことに「自分の夢を邪魔する行動」は毎日同じで、無意識のうちに繰り返しているそうだ。

 彼女はそうやって、日々の自分の行動を見つめている。夢に向かってやりたいことは、毎日5分でもいいからやる、そして夢への道を阻むものは、人であれ、時には仕事の頼みごとであれ、ちゃんと断る。だけどそんな彼女には全く高圧的なところはなく、むしろ一緒にいるとホッとするのだ。不思議な感じ。
 
 ちなみに日記帳、私もやってみましたが「毎日ひたすら携帯をいじる」か「酒を飲み過ぎる」の2点を毎回後悔してました。面白いものです。


 「イエスマンなんです〜」とヘラヘラしながら生きていくのも、悪くない。そのおかげで、まあまあ楽しいこともあった。特にお酒の場では(笑)でもまあ。28歳、ぼちぼち自分の日々の舵をしっかり握って、堂々としててもいいんじゃないだろうか、と思った。

 そんなこんなで、1番最初に断った案件は、あんまり覚えてない人からの「今度合コンしません?!?!水槽ちゃんの友達紹介してください!!!」でした。(苦笑)

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