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スぺカレ~五濁が進むと~

スぺカレ~仏教ゼミ~ 5月7日
・五濁

五濁とは末の世において人間が直面しなければならない五種類の濁り、汚れた状態をいう。つまりは浄土の反対の意味である。
娑婆の世界は五濁であふれかえってしまっている。

今日はその五濁を紹介していく。

一つ目は劫濁である。
これは時代のけがれや社会の荒廃を意味している。ここには戦争や飢饉、疫病なども含まれている。
まさに現代のことである。ロシアとウクライナの戦争、ガザ地区での軍事衝突。世界では戦争が日常になっている地域もある。
これは時代のけがれ、劫濁といえるだろう。


二つ目は見濁である。
見解、思想のけがれ、邪悪な考え方の萬栄のことを意味している。
これも現代と結びつくものがあるのではないか。

相模原障がい者施設での虐殺事件がまさにこの見濁である。
生産性がない人間は存在する意味がない、だからいなくなってもよい、むしろいない方がよい。といった邪悪な考え方をしてしまい行動してしまった非常に悲しい事件である。

事件と結びつけると心が非常に痛む。
しかし、身近な日常生活にも見濁はあふれかえってしまっている。
阿弥陀様たちの憲法である、四十八願では生産性で人を判断しないと記されている。
現代は資本主義社会のため、生産性を常に求められて生きている。
これは仏教から見れば見濁が進んでいることになっている。

ではどうすればいいのか、大きなものである資本主義社会を変えることは困難でも身近な人を生産性で見ることを辞めたり、生産性で見ることは呪いの一種であることを忘れずに過ごしたりすることが必要である。
そのことで豊かな人間性につながっていく。

三つ目は煩悩濁である。
精神が不安定で欲望、怒り、妬みにあふれてしまっていることをいう。
これは思い当たる節が多いように感じる。

最近の例で挙げるとするならば、SNSでとある母親が息子のために仮面ライダー俳優に力を貸してほしいと呼びかけたツイートに対して「自分の立場を利用していい思いをしようとするな」とネトウヨが集った。
これが煩悩濁。

日本人は特に妬み・僻みが強いと言われている。
だからこそ救いのないところに現れる阿弥陀様のお経である阿弥陀経がはやったのではないかという見解もあるそうだ。

四つ目は衆生濁である。
道徳のけがれ、人間の資質の低下。
心に活気がなく、心身ともに不健康で苦労が多い。

まさに現代である。
月曜日が嫌だ、何もしたくない、何もしないで生きられたらいいのに、自分のことで精一杯…そんな人が多いように感じる現代はまさに衆生濁が進んでいるといっても過言ではないだろう。


最後は命濁である。
精神のけがれ、自他の命が軽んじられる。
生きていることの意義が感じられなくなったり、生きている有難みが感じられなくなったりすることである。

現代では人の命は大切だけど自分なんて…いなくてもどうせ…と思ってしまっている人が多いように感じる。
この考えは非常に危険である。
もし大切な人がこの考えであったら、、と考えるとどうだろうか。
心が痛むのではないだろうか。
自他の命を軽んじることの危険性を強く感じてもらいたい。

ここまで五濁を一つずつ紹介してきたが、こんな世の中でどうしたらいいのか、このまま埋もれてしまうじゃないか。と不安になってしまった人もいるかもしれない。

五濁が進んでいる世間で必要なことは菩提を求めることである。
つまり自利・利他・解脱である
まずは五濁が進んでいることを知り、その濁りから解脱する。
自分の幸せ、ほかの人の幸せを追求し続ける、それこそが生きている中で非常に尊いことであると仏教はといているのである。

生きにくい世の中だからこそ、社会の流れに飲み込まれずに正しい自分の生き方を追求し続けることが必要なのではないか

まとめ)太古から社会はこうなっていく、と仏教でお見通しであったことに驚きを感じるとともにこの生きにくい現状を細かく言語化して理解できたことがとてもスッキリした。
今のこの現状を受け止めながら、
常に自分にできる社会貢献を追求し続けていきたい。

まなちゃる


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