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My journal #4 全盛期と停滞期

全盛期 〜第一次自分のあり方革命〜

ひょうきんで、友達を思いやり、分け隔てなく接する。

そんな態度は友達からも評価され、中学校3年間は毎学期学級委員長を務め、一年生から生徒会役員、二年生では生徒会長になるなど、精力的な中学校生活を送っていました。

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私はハンドボール部に所属していましたが、当時の私の学校はどちらかというと「荒れた」学校でした。学力も決して高い学校ではありませんでした。

しかし、自分自身のあり方、どうあることがみんなにとって良いのか、ある種哲学的な思考をもった中学生だったかもしれません。

自主学習を毎日ノート3ページ、という日課があったのを覚えています。

1年生当時の担任の先生に、「哲学的だね」というコメントをもらったのを覚えています。覚えている、というかノートが実家に眠っていたのを少し前にみたような記憶があります。

そんな祐介少年はこの頃初恋もし、異性との距離感や自分とは違う感覚を持った人間について 思い悩んだり、舞い上がったりする日々もこの時に経験しました。

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地元の少年少女合唱団に入っていたんですね。
当時は声変わり前で“ボーイソプラノ”なんつって、調子こいていた時代でした。

しかし、そういった経験の中で、

「素直に自分を表現する」
「思い切って自分を表現する」
「表現することの感動」

そういった“肌感覚”を体感していました。

私が現在、「やりたいこと」でもあり「できること」として「コーチング」というものに出会い、提供していますが、コーアクティブ ・コーチングでも“体験や経験”、“体で起こったこと”をとても大事にします。

人間の体って“現在”を生きることしかできません。

つまり、今この瞬間に起きていることが体にとってはすべてなのです。

体と心、感情は密接に繋がっています。

だからこそ、今を思いっきり生きることがどれだけ重要か。

今を100%で過ごしているか。

コーチングではそこを問いかけていきます。

子供の頃に、そういった“体の感覚”を音楽を通じて養えていることが、実は今、とても大きな財産になっているんですね。

みなさんの、子供の頃かな流れている、自分の心の財産って何ですか?

軽い挫折とごまかし始めた人生

高校は地元の進学校に入学。中学校の頃から学習塾に通っており、成績は優秀と言って良いレベルでした。とはいえ、中学時代の成績は終ぞ3年間で学年1位を取ることはできず、晩年2位に甘んじていました。
2位を最も多く取った自負はあります。

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美的センスを除けば最強と言ってもよかったでしょう。
性格診断などではよく
「クリエイティブ」
と表されることが多いですが、どうもいまだにしっくりこないのは、私に取って「クリエイティブ」というのは美的なものだという思い込みがあります。
ないね、「くりえいてぃぶ」なんてものは。
大人になって、それもここ最近になって、ようやく
「クリエイティブ」というのは美術だけでは無い、
「発想」という視点もあるのか!
ということに気づいたのは。


常に上位の成績もあって、高校へは推薦入学を取ることができました。
学習塾の塾長からは、なぜ実力で入試を受けないのだ、と叱責を受けました。この時から大事な勝負事に対する心の奥底にある「恐れ」があったのだと思います。

結局、推薦入学で高校に入学したものの、2年生への進級時、選抜クラスに漏れてしまいました。

数学があまり得意ではなかったんですね。

苦手

この頃から苦手意識のあるモノやヒトに対する「小さな逃げ」と「ごまかし」が生まれ始めました。

「中途半端感」がハンパなかった時代です。

なんとなく、閉じた世界で思いっきり生きたふりをする、とでもいいましょうか。周りからは生き生きしている感じがある、と反映されることがあったのですが、本当の自分は決して喜んではいなかった。

もっともっと自分はできるんだ、やれるんだ・・・

思いだけが先行して、みじめな、取り残された自分と折り合いをつけ始める。そんな高校時代でした。

一方で、部活で得た仲間たちとは今でも毎年会う、貴重なつながりをもっています。

弱くても、楽しみながら、つながりを持って、1つのことを目指す。

仲間とのコミュニケーションの張り方、繋がり方はこの頃に身につけたのだと思います。

ただ、軽い挫折から生まれた、ごまかし続ける人生はこの後、自分を苦しめる種になろうとはこの頃は思いもしなかったわけです。

中途半端な学業、ごまかしながらの生活は、ピカイチの優等生というわけにはいきませんでした。中学生から通っていた学習塾で、当時は時代を先取りしていたであろう、東進衛星予備校を導入し始め、ここでも親の苦労子知らずで通い始めました。あらためて両親には感謝ですね。

数学が相変わらず苦手だった私は、高校2年生の時にはすでに私立文系を志向していました。

模擬テストでは得意な世界史と英語だけが点数がよく、現代文が足を引っ張っていました。

「せめて父親と同じレベルの大学に行きたい」

それが唯一の大学選びの指標でした。

自分が何をやりたいかなんかわからなかったし、大学選びもイメージだけが先行していて、中身なんか全くみていませんでした。

父は中央大学の出でしたから、当時で言うところの明青立法中(現:MARCH-G?)しか受験しないと宣言しており、滑り止めという発想は持っていなかったです。持っていない、というか捨てていた、です。

そういったところには頑固な価値観が垣間見えます。

センター試験直後には燃え尽き症候群になってしまい、2月の私立受験までの大切な1ヶ月間は最後の追い込みも手につかず、母親はもう1年の浪人生活を考えていたそうです。 結果としては、2校5学部のうち、唯一、母校となった法政大学に拾ってもらい、運を味方に現役合格していきました。

自分がどんな人生を歩んできたかによって、今が決まる。実はつい最近までそう思い込んでいましたし、そう信じてきた自分がいます。

しかし、別記事でも明らかにしていますが、アドラー心理学やコーアクティブ ・コーチングの視点に立てば、今この瞬間にでも人生は変えられる。
過去の自分に意味づけをしているのは今の自分。

ただ、この時にはそんなことは知る由もなかったわけです。

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