見出し画像

My journal #5 存在意義とは?

運を味方にお調子者の大学生

入学早々、学生証をもらうのに手間取ったのを覚えています。
「高橋祐介」と言う名前はよくある名前で、
この後の新卒入社の会社でも同姓同名が同じ営業部にいる、
ということもあったくらいです。

この時は、事務局まで身分証明書を持って「高橋祐介」を証明して学生証を受け取りました。このときにも同姓同名、同一生年月日の方がいらっしゃって、結局は出身地で私を特定してもらったことがありました。
今思えば、この同姓同名同一生年月日の「タカハシユウスケ」さんとご挨拶くらいしておくべきでした。

「意味のある偶然の一致」いわゆる「シンクロニシティ」をこの時は捕まえられなかったわけです。

語学選択はスペイン語。語学のクラスでは今でも繋がっている友人はいますが、多様な価値観に馴染めていなかった自分がいたと思います。同時に、片田舎から出てきた若者が、洗練された都会の若者に混じったり、同じ境遇の若者と話したり、ということを通じて自分が何を得ていたのか、得ようとしていたのか、そんな意識当時は全くなかったのです。 今思えば、なんとももったいない学生時代の過ごし方です。

ワタシハドコヘムカウノカ?

学生生活も3年目ともなると、先輩の数よりも後輩の数の方が増えてきます。

入ったサークルは割と体育会系に近いノリもあって、2年生までは「自己制限的」であったと思います。 これが3年目になって何かが解放されてしまったんですね。

画像1

画像2

やおら、どうしたんでしょうね。
あなた、17〜18年前はこんなだったんですよ。
自覚してます?と小一時間ほど問い詰めてやりたくなります。

泣き虫ゆうちゃん2

ただ、心の底から自分を解放した、というわけではなく、体良く見られるために「何か」を「部分的に」解放したに過ぎません。

そうやって、自分で自分を解放している、と思えば思うほど、心の奥底にある「恐れ」が次第に大きくなってくことにこの時は気づいてもいませんでした。

一度根付いてしまった「恐れ」は大人になってからもなかなか自分にこびりついて取れません。

そんなもの、自分にしかないものだと思って生きてきましたが、どうもそうでもなさそうです。

今をしっかりと感じ、全身で目の前にいる人の声を聞くと、そこかしこに「何か」を感じるようになってきました。

誰しもが抱える「何か」

ここに目を向けて生き抜いて見ても面白そうじゃないか・・・ そう思えるようになってきたのは、ほんの最近のことなのです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?