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My journal #3 心を作る学童期

ひょうきんで目立ちたがり屋な人見知り

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でましたね、また。
この筋っぽい人は私の父です。
何度でも繰り返しますが、堅気です。
もう私の頭半分はブラックスーツに吸い込まれそうです。
よくみると笑ってるようで引きつってますもの。

小学校に入学すると、少しばかり新しい世界に慣れ始めました。
人見知りな性格はあいも変わらずでしたが、どこかひょうきんで目立ちたがり屋。

1年生から6年生まで毎年学級委員長を務めたりと、活発な一面もありました。

弱いものいじめが嫌いで、みんなの輪が乱れることに強い感情を表すこともありました。

みんなが笑っていることが自分にとって居心地が良く、ひょうきんな行動をよく取っていたことを思い出します。

この頃から「共感性」「調和性」の強みが少しずつ育まれてきたのだと思います。

泣き虫弱虫べそっかきの一面をなんとか克服すべく、母は様々な習い事の場を私に与えてくれました。

火曜日と金曜日の夕方、学校終わりにスイミングスクールに行き、終わった後、違う街の公文式に通う。

水曜日はピアノを習い、日曜日は合唱団で歌う。

今思えばなかなかのスパルタぶりです。

小学校2年生の頃だったと思います。
スイミングスクール主催の1泊2日のキャンプ合宿がありました。

自我が芽生えて母から離れて寝泊まりする体験はこの時がおそらく初めてで、怖くて怖くて仕方がない日々を送っていました。

出発のバスの中からベソをかきながら、暗い気持ちで出発したのを覚えています。

しかし、友達と仲良く、争いを好まず、輪を作りたい私は、人見知りな自分をなんとか手懐けて、夕飯の支度を協力して行います。

私の役割は目玉焼きだったのですが、卵を割る時に失敗して、黄身を割ってしまいます。

どこにも逃げられず、
「目玉焼き、失敗しちゃった、ごめん」
と班のみんなに謝ったところ、班の活発な(ガキ大将的な)友達が、

「食べちゃえばおんなじだよ、下に落っことさなかっただけでもすごいじゃん」

と言ってくれた瞬間、全身に鳥肌がたった感覚を今でも鮮明に覚えています。

嬉しかった。

つながることに感動する。

おそらくこれが私の初めての至高体験だったのかもしれません。

2日目、合宿が終わって母が迎えにきた時、母は私の見違える姿に思わず涙したそうです。

私は覚えていませんでしたがw

人の成長はこんなところにも見ることができる。

こうして自分の人生を振り返ると、今の私が何で構成されているのかの片鱗を垣間見れます。

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