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目からビーム!137 テロと通り魔~そして雑感


八重山日報2023年4月21日付

(追記)
「一億総テロリスト」というのは、もちろん黒い冗談だが、テロの敷居が低くなったというのは誰もが認めるところだろう。テロと通り魔の境界が曖昧になってきたことも。一般に、政治的主張や政治的目的を達成するために行う人的物的攻撃行為をテロリズムと呼ぶ。では、山上某や木村某の犯行が、果たして政治的なそれであったのかは、これも曖昧だ。
 いや、それ以前に、通り魔的テロというのは存在する。たとえば、無差別テロ――、企業爆破やテルアビブ乱射事件の被害者や家族からすれば、突然通り魔に幸せな生活を奪われたのと変わりがない。
 玉川徹という愚か者がテレビの番組で、「将来に対して希望が持てない、自分がいまいるこの場所から抜け出すことからできないんだって絶望してしまったときにですね、その絶望感が人によっては色んなところに向かうんだと思うんですけど、その向かう先がテロに向かってしまう」と、あたかもテロ擁護とも受け取れる発言したそうだが、絶望のはけ口を他社に向けるというのは、まさに通り魔の発想だ。
 深川通り魔事件の犯人・川俣軍司に関しては、覚醒剤中毒の幻覚についてばかりが言及されるが、直接、彼にスイッチを入れたのは、就職を断られての絶望感だった。

 神奈川県相模原市の障碍者施設で、入所者19人を殺害した植松聖は、毎日新聞の取材に対し、知的障害のある人は「生きる意味がない」とし、「社会のためにやらなければならなかった」などと述べていた。「社会のためにやった」――彼の犯罪は、政治的犯罪なのか? しかも彼は犯行の10カ月も前に「意思疎通のとれない障害者を安楽死させるべきだ」という主張を書いた手紙を衆院議長公邸に届けている(当初、総理大臣に手渡そうと計画していたが、警備が厳しく叶わなかった)。

植松が犯行直後にUPしたツイート。田原俊彦にも少し似ている。tatooあり。

 通り魔ではないが、昭和最大の色摩、連続強姦殺人事件の主役・大久保清の父母は熱心な創価学会員だった。つまり、清は宗教二世だったのである。
 せんじ詰めれば、犯罪が政治的か否か、テロか通り魔か、なんて後付けでどうにでもなってしまうのである。その後付けをするのが、マスコミなのだ。
 通り魔事件は被害者に寄りそえ、テロ事件は犯人に寄りそえ、なんておかしな話だ。テロ=かっこいい、通り魔=ダサい、も違う。
 川俣軍司の犯罪を憎むなら、重信房子の犯罪も憎まなくてはいけない。川俣軍司における覚醒剤は、重信房子における共産主義だ。この思想は人を中毒せしめ、数多くの通り魔を世界中にばらまいてきた。
 山上某や木村某に、犯行にいたるまでのドラマがあるなら、大久保清や植松聖にもドラマがあるはずではないか。そんなものを認めてはならないのだ。

白ブリーフ&ハイソックス王子?川俣軍司


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