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ポルノグラフィとしての反日プロパガンダ①~”日本軍蛮行”のエロス

ナヌムの家の奇怪さ

 韓国京畿道広州市退村面源當里に「ナヌムの家」があります。ここは、かつて日本軍の慰安婦であったと主張する老女たちがボランティア・スタッフと共同生活をする施設として、日本のマスコミでもたびたび紹介されているのでご存知の読者も多いことでしょう。
 年間1万人の来訪者があり、うち3000~5000人が日本人なのだそうです。修学旅行で訪れる中高生も多いらしく、敷地内には来訪を記念した「正則高校平和学習旅行団」の小さな立て看板も立てられています。
 同施設は、主に老女たちの居住用建物と併設する歴史資料館(野外展示公演用スペース含む)からなっていて、資料館には日本軍の慰安所も再現されており、陸軍使用のコンドーム(突撃一番)なども資料として展示されているとのことです。日本から来た修学旅行生は、元慰安婦のおばあさんたちと対面後、この資料館を見学させられます。三畳ほどの薄暗いスペースにくくりつけの木のベッド――自分たちを笑顔で迎えてくれたおばあさんたちは、今の自分と同じ年頃のとき、こんな空間に押し込められて強制的に日本軍の性の処理をさせられていたのか――。純粋無垢な中高生ほど、受けるショックは大きいことでしょう。そして、おばあさんたちに対する贖罪と、自分が日本人であることのやりきれなさに胸が押しつぶされるのです。
 百聞は一見にしかずといいます。一枚の絵は百万言にも勝るともいいます。ビジュアル(視覚)を通しての追体験は、確かに、ある種の"学習"に関して実に効果的な結果を発揮するようです。

ナヌムの家に再現された”慰安所”。

 かくいうこの私も、ウブな10代のころに何の予備知識もないままに同所を見学させられていたら、同じような感想をもっていたかもしれません。しかし、さすがにウブでも純粋でもない今の私には、この施設の何とも不純で不自然な部分ばかりが目につくのです。
 繰り返しますが、ナヌムの家は元慰安婦のおばあさんが暮らす施設です。彼女たちの主張によれば、ある日突然、軍人や警察が現れ、平和に暮らしていた彼女たちを強制的に連行し各地の慰安所で売春業務に従事させていたということになります。それが事実であるなら、なるほどおぞましい人権侵害として人類史に記録されるべきものです。
 私は男ですが、もし自分が女性で、そのような境遇に落とされた経験を持つ身であったとしたら、残りの人生をどのような思いで過ごしていただろうかと何度も考えました。答えは見つかりません。少なくとも、死ぬまでその辛い過去について口にすることもないと思うし、できれば記憶からも抹消したいと切に願うことでしょう。実際、自己保存にも影響を与えかねないほどの辛すぎる記憶は意識下に閉じ込められ、忘却状態に置かれることがあるといいます。思い出したくない体験を心の奥にある金庫の中に閉じ込め鍵をかけてしまうのです。これを心理学用語で「抑圧された記憶」といいます。
 ところがです、当のナヌムの家では、わざわざ「おばあさんたちを性奴隷にした」空間を住まいの隣に再現し、その辛く屈辱的なはずの体験を記憶の奥底からプレイバックさせようというのですから、考えようによってはこれほど残酷な仕打ちはありません。しかも入場料(3000~5000ウォン)を取って見世物にしているのです。
日本の政治家や識者が、慰安婦の強制連行問題に懐疑的な立場の発言をすると、韓国のマスコミは「おばあさんたちの傷口に塩を擦り込む行為だ」と一斉に批判しますが、ナヌムの家では、塩どころか酢やタバスコまで毎日毎日、それこそ丁寧に擦り込んでいるといっても差し支えありません。少なくとも冷静な目にはそう映るはずです。
 たとえば、レイプ被害にあった女性に、「あなたのような被害者を二度と出さないよう、この事件を語りつぐためにも、あなたが連れ込まれ強姦された部屋をお宅の隣に再現してみんなに見てもらいましょう」などと持ちかける人間がいたとしたら、あなたはその人間の神経をどう思うでしょうか。

西大門刑務所の謎

 ナヌムの家と並んで韓国における反日教育(日本人修学旅行生にとっては自虐教育)のメッカのひとつとなっているのが、ソウルの西大門刑務所歴史館です。ここは併合時代に建てられた朝鮮半島初の近代的刑務所として知られ、韓国の「歴史認識」によれば、独立運動家を多く収監し、官憲による容赦ない拷問が加えられた場所とされており、同刑務所で非業の死を遂げた独立運動家は50万人に及ぶそうです。
 現在は歴史館として開放され、地階には等身大の人形によって再現された拷問の様子が展示され、水責め、火責め、鞭打ちなど、その凄惨な描写に、中高生の見学者の中には泣き出したり失神する者さえいるとのこと。しかも日本の官憲の人形は顔つきまで憎々しげに造形され、見る者をして日本許すまじの感情がいやが上にも高められるようになっています。
 とはいえ、展示物の中に日本統治時代には使われたことのない李朝時代の拷問器具があったり、この歴史館も冷静な目で分析すれば、怪しいことだらけなのです。同刑務所は戦後も韓国政府に引き継がれ使用されており、軍事政権下では民主運動家が数多く収容されています。日帝の拷問として紹介されている、狭い箱のような個室に閉じ込め常に腰をかがめた状態で生活させるという拷問は実はこの軍事政権下でよくおこなわれたものなのです。李朝時代や軍政時代の非人道的な拷問や処刑までもが、日本の仕業にさせられているですから日本人からすれば、たまったものではありません。

西大門刑務所歴史館。「日本の官憲に拷問を受ける独立運動家の少女」の蝋人形展示。
所変わればなんとやら。北朝鮮の歴史資料館では、拷問を加えているのは米兵となる。蝋人形のクオリティでは、北に軍配。

 そもそも、獄死した独立運動家が50万人というのはどのデータを元にした数字なのでしょうか、わかったものではありません。50万人といえば、大東亜戦争の激戦区でもあったフィリピンでの日本軍の戦死者数と同数です。太平洋戦線でのアメリカ兵の全戦死者は49万5千人強といわれています。それだけの数の獄死者が出た、言葉をかえるなら、それだけの数の、投獄も死もいとわぬ勇敢無比な独立運動志士が当時の朝鮮半島にいたというなら、総督府に対しゲリラ戦どころか、内戦に持ち込むことだって容易だったはずです。たとえ、総督府が軍隊を導入し鎮圧したとしても、それはそれで、国際世論の目が朝鮮半島に向き、日本は立場を失っていたことでしょう。
第一、仲間を不当に収監されたとき、残りの運動家たちは何をやっていたというのか。奪還に向けて一斉蜂起を計画する者は皆無だったのでしょうか。ちなみにフランス革命前夜、バスティーユ牢獄を包囲した群集は2万人でした。当時のパリの全人口は60万人といわれています。

一人の死刑者もいなかった三一事件

 併合時代最大の民衆蜂起はいうまでもなく1919年(大正8年)の三一万歳事件で、のべ205万人がデモに参加しています。この騒乱では、12000人近い朝鮮人が検挙されていますが、そのうち4000人が不起訴になって釈放され、有罪判決を受けた者でも死刑、無期懲役、15年以上の懲役は皆無です。受刑者のうちのほとんども3年以内に仮釈放されています。被疑者全員に弁護士がつき、法に則って厳粛に彼らは裁かれました。崔南善(チェ・ナムソン)ら騒乱の中心人物たちが、後年こぞって親日派となったのは、この総督府の法治精神に感動したからです。三一独立宣言文の起草者である崔は、大東亜戦争が勃発するとこれを「聖戦」とし、1943年(昭和18年)には、朝鮮学徒の出陣をもとめて半島中を遊説しています。
一方、李朝時代では、反体制的な運動をすれば、九族皆殺しが当たり前でした。たとえ死刑は免れても奴婢に落とされるという絶望的な刑が待っていたのです。

崔南善。詩人・ジャーナリスト。定型詩が主流だった朝鮮に新体詩をもたらした。李光洙とともに朝鮮近代文学の父的存在だったが、戦後、ふたりは反民族行為者として逮捕されている(のちに釈放)。崔も李も現実的な思考の持ち主であり、盲目的な親日派ではなかったのだが。
崔南善の独立宣言書。最初に出てくる「朝鮮」がなぜかひっくり返って「鮮朝」になっているのが特徴。

 ちなみに、台湾出身の近現代史家・黄文雄氏が日本統治時代の台湾で政治犯における死刑囚が何人いたか調べたところ、その数は0だったそうです。一番長い刑期を言い渡された者で7年。なんと無政府主義運動家だった氏のお父上だったとか。黄先生からじきじきに伺ったお話です。
 こちらは中国の話ですが、2007年12月、南京大虐殺のプロパガンダ施設である南京大屠殺記念館がリニューアル・オープンしました。全敷地の面積は4・7ヘクタール、改装前が2・2ヘクタールですから2倍以上に拡張されたことになります。ここに最大の呼び物は万人抗(日本兵が民間人を虐殺し、死体を埋めたと中国側が主張する穴)から掘り出したという無数の人骨です。単に大量の人骨を並べただけなら、それが日本軍によってもたらされたものなのか、国民党軍によるものか、はたまた共産党軍によるものか、あるいは大躍進や文革の際の死者の骨なのか、わかったものではありません。最低限、年代測定はしてしかるべきだと思うし、この展示自体、われわれ日本人にとっては死者への冒涜に思えてしまいます。
他に、731部隊の人体実験を再現したという蝋人形や出所のあやしげな死体の山の写真パネル、映像や奇怪なモニュメントといった、来訪者の視覚、あるいは聴覚(うめき声などのSE)に訴えかける展示物が目白押しです。

南京大屠殺記念館に展示されている人骨をかしこまる鳩山由紀夫。中国、韓国にとって、実に使い出のいいバカ。

反日のポルノ作用
 
 われわれはこうした強烈なビジュアルを見せられると、一瞬にして思考停止状態に陥り、相手のプロパガンダを受けやすくなってしまうようです。ショックに目の前が白くなった、まさにその初期化された真っ白い意識のキャンパスの上に、日本兵は残酷だ、酷いことをした、という印象だけがやすやすと上書きされていくのです。そうなると、たとえ、その展示物の隣に「中国の子供や婦人と親しげに笑う日本兵」の写真パネルを置いたとしても、彼の目には止まることはありません。なごやかなものや楽しげなものより、恐怖や生理的不快感の強いものの方が潜在意識に刻印されやすいのです。楽しい夢より怖い夢の方が目覚めたあとよく覚えているのと同じメカニズムです。
 私はこれを、「反日(または自虐)のポルノ作用」と呼ぶことにしています。

『南京大屠殺図録』より。左下の首は、日本兵士のもの。
上の写真を見たあと、この写真を見て、強烈に印象に残るのはどちらだろうか。

 ビジュアル情報によって意識に訴えかけるという手法はまさにポルノグラフィの構造と同じだからです。長年、エロ雑誌の執筆・制作に関わってきた私には、それが体験的によくわかるのです。
 ポルノでいえば当然、目に飛び込んでくるビジュアル(グラビア)は異性の裸体やセクシーな下着姿、その他さまざまなエロティックなシチュエーションであることはいうまでもありません。その裸体、あるいは下着姿の異性に性的刺激を受けた読者は、イメージの中でその異性(モデル)と性行為を行っているはずです。異性とどこで知り合い、どのように口説き、どのようにベッドに誘うか、という現実社会では不可欠なプロセスはすべてすっ飛ばし、いきなり行為におよんでいることでしょう。いってみれば、ポルノとは、読者の「ご都合主義」に支えられたジャンルなのです。
 反日プロパガンダでは、この"裸体"の役目を担うのは、無数の死体や、拷問にうめく朝鮮人、今まさに軍刀で首をはねられようとしている中国人捕虜、トラックの荷台に乗せられた慰安婦、あるいは残忍に笑う憲兵や軍医、などのイメージです。こういったショッキングな(真偽の怪しい)写真(ビジュアル)を目にしたとき、人の脳はある種の興奮状態にあります。その興奮状態においては、「果たして一本の軍刀で百人殺害できるのか」とか「なぜこの慰安婦たちは逃げようとしないの」といった当然の疑問は凍結され、ひたすら「ご都合主義」的な日本軍の残酷ストーリーが頭の中に再構築されるというわけです。
 エロも残酷も、人間にとって本来はひとつのものなのです。おそらく、性的興奮を司る中枢と攻撃性や残酷性の興奮に関わる中枢は隣同士に位置しているのだと思います。繁殖期にメスを巡ってオス同士が闘争するのは、この二つの中枢に流れる電流が刺激し合うためです。勝った者がメスを独占し、より強い種を残す。メスはメスで、より強い種を求めてオス同士の戦いを積極的に誘発する。いずれも地球の生命たちが何億年もの間繰り返してきたいとなみであります。人間のように高度に進化した――生物学的にいえば、奇形的に大脳を肥大させてしまった――動物は、この性に密着した攻撃性をサディズムやマゾヒズムという遊戯(SMプレイ)に転化させることもできるし、逆に理性の干渉によってこれらの衝動を軽減することも可能です。多くの戦場で強姦が発生するのも、この隣り合う二つの中枢の相互作用によるものと思われます。
 何が言いたいのかといえば、異性の裸体も「日本軍の残忍さ」も、われわれは意識下レベルでは同列に感知しているということなのです。女性の悩ましげな裸体にエロティックでグラマラスな空想を描くのと同じく、「日本の軍医に生体解剖される中国人」や「軍刀でハルモニを脅す悪鬼の日本兵」もまた悩ましくグラマラスなイコン(聖像)となりうるということです。

(つづく)

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本稿は『韓国呪術と反日』(青林堂)に収録の「反日のポルノ作用」の完全バージョンである(収録のものは短縮版)。現在、本書は版元にも在庫がなく、また古書価格も高額で、なかなか入手できない状況にある。再版に期待したい。

『韓国呪術と反日』

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