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カタコンブの老紳士~八坂神社事件に思う

 京都の八坂神社で、面白半分に鈴を乱暴に扱い、注意されると食ってかかる外国人観光客の動画が拡散され、良識ある人々の怒りを買っている。
 宗教観の違いはどうであり、祈りの場に来て狼藉を働く者はおよそ文明人とは呼べないし、そもそも他国を旅行する資格はあるまい。
 それにつけて思い出したことがある。もう30年も前の話になるが――。

 カタコンブ・ド・パリはモンパルナス墓地のすぐ近くにある。catacombes(地下共同墓地)は、もともと中世の疫病で亡くなった人たちの人骨を、採掘用の坑道に移し替えたのが始まりで、のちにロベスピエールら、革命の際に断頭台の露となった人たちも多くここに葬られるようになったという。
 長い螺旋階段をどこまでもどこまでも降りていき、ようやく地下に辿りつくと、そこには薄暗くひんやりとした空気が流れていた。そして、迷路のような細い道を歩くのだが、その道の両壁はすべて人骨である。まるで寄せ木細工のように隙間なく積み上げられた壁もあれば、十字架やハート型など装飾的に組んである壁もあった。薄茶色に変色した人骨は、数百年の月日の流れを示していた。
 迷路のような、と書いたが、どこまでも続く骨の道には、ところどころ鉄柵や「立ち入り禁止」の立て札があった。迷い込むと出られなくということだろうか。実際、観光スポットとして整備される前は、お尋ね者などが、ここに逃げ込んだのはいいけれど、結局何年か経って彼もまた骸骨になって発見された、なんてこともよくあったらしい。まさに骨の樹海である。

カタコンブの入り口「止まれ!ここから先は死の帝国だ」
どこへ行っても骨だらけの坑道だから、方向感覚が狂う。

 骨のトンネルをおよそ数キロは歩いたと思う。ようやく地上に出ることができた。入口同様、長い螺旋階段を昇っていく。細かいことは忘れたが、入り口で拝観料を払い半券をもらい、出口で係の人に半券を渡すシステムだったらしい。出口では係員らしい老紳士が僕を待って行った。
 半券を渡し、ゲートを出ようとすると、老紳士は突然、キッとした顔になって僕を呼び留めた。僕のショルダーバッグからカメラが覗いていて、それを見咎めたのだ。
「入口で撮影禁止とあったので、写真は一枚も撮ってませんよ」ということを説明すると、老紳士は「ちょっと、そのカメラを見せなさい」と言うので「構いませんよ」と渡そうとすると、その素直な(?)対応に驚いたようで、僕の顔をもう一度見て、一言、
「アメリケン?」。
 今度は僕が驚いた。なぜか僕は東洋人に見えないらしく、フランス滞在中、シノワ(中国人)とかコレ(韓国人)とか言われたことは一度もない。代わりに一番多く聞かれたのは「エスパニョール(スペイン人)か?」である。まあ、髪や目の色からわからないでもない。しかし、アメリカ人に見られたのはあとにも先にもこれ一度きりだ。
「いえ、日本人です」。すると彼は「オー、ジャポネ…」と噛みしめるようにつぶやき、顔からは厳しい表情は一瞬で消え、おそらく本来のものであろう上品で優し気な口調となった。
「ムシュウ、ジャポネとも知らず、大変失礼なことをしました」
 そのようなことを老紳士は言った。むろん、カメラはそのまま僕の手元て返された。その後つづく、彼の早口のフランス語についていけるほどの語学力を持ち合わせていなかったことを後悔するが、彼が何度も「ジャポネ」と「リュスペクト」という単語を使うので、そこだけはよく聞き取れた。「私は日本人を尊敬している」という意味なのか、「日本人なら死者への敬意があるから(ヘンなことはしないはず)」と言いたいのか、もしかしたら両方なのかもしれない。
 同時に、一部であろうが、アメリカ人の中には坑道の中で羽目をはずして悪ふざけをする者もいるのだろう、と合点した。
Merci beaucoupとだけ言うと僕はカタコンブをあとにした。
 もう、あの老紳士は天に召されていると思うが、あの柔和な色を見せた瞳は今も忘れられない。そして、彼の思いを裏切らぬジャポネであらねば、と思う。

 なお、カタコンブ・ド・パリは、入館者のいたずらが問題になり、2004年に一時入館禁止になったが、現在は入館が再開している。入館制限を設けてあり、場合によっては3時間待ちということもあるらしい。僕のときは、すんなり入館することができたが。撮影に関しても三脚や自撮り棒の使用以外は、認められているらしい。


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