もしもピアノが弾けたなら
もしもピアノが弾けたなら (阿久悠)
もしもピアノが 弾けたなら
思いのすべてを 歌にして 君に伝えることだろう
だけど僕に はピアノがない 君に聴かせる腕もない
心はいつも半開き
伝える言葉が残される
Too Blues (ラングストン・ヒューズ)
いつもの憂鬱(ブルー)に取りつかれ
どこへ 行けばいいのかわからない
誰も気にかけちゃあくれない
何をすりゃあいいんだ 何て言やぁいいんだ
銃(ガン)を取って自分を殺っちゃちまおうか
一発お見舞いすれば充分かな
いや 俺は石頭だからたぶん二発
でも俺には弾丸がない そいつを撃つ銃も
憂鬱すぎちまって そいつを探すのも憂鬱なんだ
なんだ、みんな悩みは一緒か。あいにくピアノも銃もねえんだ、おいらには (但馬オサム)
Langston Hughes(1921~1967)は、ハーレムル・ネッサンスを代表する黒人詩人・作家・戯曲家。ミズリー州ジョプリン生まれで誕生日は但馬と一日違いの2月1日。黒人といっても、両親とも白人(ユダヤ系)の血が少しづつ流れており、ネイティヴアメリカンの血も引く混血である。
とにかく彼の詩は憂鬱(ブルース)に憂鬱。たまらなく憂鬱。
下宿屋 (Boarding House)
墓場は いちばん安上がりな 下宿屋さ
そのうち みんな いつかはそこに 間借りして
金持ち 貧乏人 みんな共同で
俺が行くまで 安い下宿屋であってくれよ
▼Too Blueの原詩(英語)はこちら
僕(但馬)も無性に銃がほしかった時期があった。撃ち方もよく知らないんだけど。こめかみに当てて引き金を引けばいいんだよな。ただぼんやりとした自殺へのいざない。まだそいつを少し引きずってはいる。夜はまだ平気なんだ。酒という心の麻酔薬がどうにか効いている。朝がヤバい。起き抜けにはふさぎの虫がまっている。白い天井に自分の死体を想像してみるが、どれもしっくりこない。それでまだ、安上がりな下宿屋の間借り人にならずに済んでいる。
さて、↓の詩はわずかな希望を詠ったものなのか。
資格証明(Testimoniial)
ぼくがピアノさえもっていたら
ぼくがオルガンさえもっていたら
ぼくが太鼓さえもっていたら
どんなに ぼくは主を 讃めたたえることができたろうか!
だけど ぼくにはピアノは いらない
オルガンもいらない 太鼓もいらない
主を 讃めたたえるためには!
▼Too Bluesに曲をつけたもの。悲観からくる楽観? まさにブルース。
心はいつも半開き 社会の窓も半開き
お嬢さん どうやら弾丸もこれが最後だ。お安くしておくぜ。