わが青春、自販機江口本の世界⑫
連載もこれを含めて残すところ2回となった。連載の第1回目で、自販機江口本業界は、天才、奇才、異才、さまざまな才能がすれ違う人間交差点であると書いたと。今回、ふと思い出して、この人物について書こうかと思う。彼は天才か、はたまた奇才か。
ロス疑惑騒動なるものを憶えている人も多いだろう。1981年、米ロサンジェルスで日本人女性が何者かに銃撃され狙撃され意識不明の重体(のちに死亡)、同行していた雑貨店経営の夫・三浦某も軽症を負うという事件があった。その後、週刊文春が、三浦が妻に多額の保険金をかけていたことをスクープ。以来、マスコミは彼を「保険金殺人の犯人」であることを前提として連日報道を加熱させ、三浦もまたたびたびマスコミに登場しては口八丁ぶりを披露、その特異なキャラクターも相まってすっかり「時の人」となっていた。
三浦が自販機本『土曜漫画』(通称ドマン)の営業&編集員をしていた過去があるという報道があったのはこのころだ。ドマンの編集者に真偽を尋ねると、社内に彼のこと憶えている人はほとんどなく、古参の社員が「そういえば、いたかな」という程度だったという。「でも、テレビ局が来てね、僕も取材を受けましたよ」と、編集者は嬉しそうだった。
三浦は、その後も、映画に自分役で出演したり、週刊誌上で人生相談をやったり、SM嬢に縛られてみたり、生来の出たがり精神を大いに発揮。挙句には、専門誌主催のス〇ッピングパーティに夫婦(妻は後妻)揃って参加したときの写真もリークされたりもした。
その写真を撮ったカメラマンYさんもまた、僕らの業界仲間だった。僕は直接組んだことはないが、よく飲みに連れていってもらった記憶がある。優しい人だった。
そのYさんが、理不尽な少年犯罪に巻き込まれ、母、妻、次女(保育園児)ともに命を奪われたのは99年のことだ。あまりにもむごすぎて、事件の詳細についてここで触れる気がしない。気になる読者は「市川一家4人殺害事件」で検索されたし。
初出・東京スポーツ
(追記)三浦氏とは何度か会ったことがある。というのも、夫妻が経営していた渋谷のカフェバーに、友人がボトルをキープしていて、よく待ち合わせに利用していたからだ。三浦氏の印象は、ワイドショーのあのまんま。口がうまいというか、人たらしというか、よくしゃべる。カーチェイスで取材の車を撒いた話を自慢していた。おやじギャグもよく口にした。
どちらかというと、妻の良枝さんには顔と名前を憶えられ、親切にしてもらった記憶がある。Tシャツのほころびを縫ってもらったこともあった。「縫っている間、私のシャツを着ていてよ」。店員用の更衣室に通され、店のロゴの入った黄色いTシャツを渡された。これが良枝さんのTシャツかと思い、こっそり匂いを嗅いでみたが、どうも違うようだった。夫婦そろって口が達者だなと思った。西洋の格言に、良妻の焼くオムレツは美味しいというのがあるそうだが、良枝さんのオムレツは確かに美味しく人気メニューだった。
Yさんのお通夜の記憶も生々しく蘇ってくる。当然ながら顔みしりの業界人が沢山きていた。一人生き残った中学生の長女が気丈にふるまっていた姿が目に浮かぶ。涙なんか枯れはてていただろう。それにしても、棺が四つ並ぶ光景というものは、いかにすさまじいものであるか。しかも、一つは子供用の小さい棺である。
犯人(当時19才)は死刑になったそうだが、当然である。こういう人の皮を被った外道がいる限り、死刑はなくなってはいけないと強く思う。この外道に更正なんてどだい無理だし、誰も期待なんかしていない。特に今は、選挙権が18歳に引き下げられた、ならば、その年齢から少年法の適用外にすべきだろう。
ただ誤解してほしくないのでいうが、僕は決して頑迷な死刑存続論者ではない。地獄の存在が科学的に立証され、外道どもがその業火に焼かれる姿を肉視できたら、その日のうちに死刑廃止論者になってもいいと思っている。
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