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『鬼子(クィズ)100人を斬りました 』~汚名を着せられた二人の将校


朝刊紙・夕刊紙、全紙そろってケネディ暗殺を報じる中、東京スポーツの一面は「銀髪鬼場外で悶絶」だった。
「血を呼ぶ鉄のつめ」「墓場の使者」……ニックネームだけでゾクゾクしたものだ。イラストは、ぜんぜん似ていないペドロ・モラレス。

 子供のころ、少年誌の図解グラビアには、どれだけ想像力を刺激されたものだろう。怪獣ブームがひと段落すると、グラビアの主役は来たる大坂万博とプロレスに移っていった。ゴジラやレッドキングに変わり、銀髪鬼、黒い魔神、地獄の料理人……海の向こうに生息する生きた怪物たちの活躍に少年たちは胸を躍らせたものである。
「ブラッシーってリング上で対戦相手3人も噛み殺しているんだって」「今度来るコンビクトってやつ、刑務所の脱獄囚らしいよ」。なんて話を半分は(?)本気で信じていたっけ。
 ネットもなく、プロレスマスコミが今よりも発達していなかった時代、なによりもプロレスにファンタジーが許されていた時代の産物である。
 むろん、ブラッシーが殺人罪で、コンビクトが脱走罪で逮捕されたなどというニュースはない。第一、「国籍不明謎の覆面レスラー」がどうやって日本の税関を通過してきたのかよ、という話である。

 

この記事が原因で二人の少尉は銃殺刑に処せられた。この写真を撮った佐藤カメラマンでさえ、記事は「戦争につきもののホラ話」と認めている。

話は変わり、東京日日新聞(現・毎日新聞)の浅海一男記者の筆による、昭和12年12月13日付同紙から始まる、いわいる「百人斬り競争報道」である。上海派遣軍 第16師団歩兵第9連隊第3大隊副官野田毅少尉と同大隊砲兵小隊長向井敏明少尉が敵兵百人斬りをどちらが先に達成するかを競ったというもので、これは戦意高揚を目的とした、単なる戦争講談の類であることは明白だ。いわば、「ブラッシーのレスラー噛み殺し」や「コンビクトの脱獄ばなし」と同質のものといっていい。
 当時、兵隊さんは子供たちの憧れだったし、こういった戦争講談は読み物として好まれたのだろう。
「なあに、シ●兵の100人くらい、たたっ斬ってやりますよ」「おお、でかく出たな。貴様が100人なら俺は200人だ」「お、やるか」。両少尉のこんな冗談話に、浅海記者が乗っかって書いたのが、一連の「百人斬り」報道だったのではないか。
「俺は殺人狂だ。馬場よ、リングがお前の墓場になる。棺桶を用意しておけ」とガイジン・レスラーが記者を前にすごんでみせるのと同じだ。人はこれをリップ・サービスと呼ぶ。
 ふたりは砲兵であり、戦闘の先頭に立って白兵戦を行う立場にない。日本刀で斬り殺せるのは、せいぜい2、3人であり、使用のつど、刃こぼれを点検し、必要においては研ぎ直しをせめばならない、物理的に不可能だろう。100万歩譲って、「百人斬り競争」が事実であっても、ふたりは「シ●兵を斬る競争」といっている。敵兵を斬るなら、それは合法的な戦闘であるはずだ。しかし、いつの間にかふたりは、捕虜や丸腰の民間人を斬り殺したことにされ、戦争犯罪人として処刑されてしまうのである。浅海記者が、一言、あの記事は私が書いたフィクションだといえば、救えたかもしれない命だ。毎日新聞のヨタ記事体質は戦前から変わっていないのである。

 両少尉の処刑は内地にも伝えられたが、戦後の混乱期ということもあり、人々の関心も薄かった。誰もが食べることで精いっぱいだったのである。むしろ、このまま歴史の闇に葬られていたとしたら、遺族たちの苦痛はまだしも軽いものだったかもしれない。
 だが、戦後20数年もたって、この問題が突如、蒸し返されたのである。一冊のほんによって。本多勝一『中国の旅』。

アサヒ者・本多は中国共産党の用意した人物の話を聞いて、彼らのプロパガンダに加担する本を書いた。

 しかもこの本の中で、向井、野田少尉は100人斬り競争は3回繰り返されたことになっている。2本の刀で斬った中国人が600人! おいおい、いくらなんでも強すぎだぞ、日本軍。さらに、●した中国人を万単位で埋めたとする万人坑にいたっては、コールタールのプールでワニと戦わされる悪役レスラー養成機関・虎の穴レベルのお話だ。
 この本がもとで両少尉の遺族は迫害を受け、向井少尉の次女は会ったこともない亡父を非難する夫と口論が絶えず、結局離婚の道を選ぶ。本多は、ふたりの軍人の名誉を踏みにじっただけでは気がすまず、他人の家庭まで壊してしまったのだ。
 本多本の記述に関しては、山本七平をはじめとした多くの識者が反駁を加えている。しかして、卑怯未練な本多は誤りを認めるどころか、見苦しい言い訳を続けるばかりである。
 

『日本鬼子100人を斬りました』。Q逃げ惑う中国人をどうやって斬りましたか?
本多「え、あ、う~ん、添え物斬りにした」「食べ物で誘い出して斬った」「円月殺法を使った(💦)」(ある~ある~)ブブー。

 その後、両少尉の写真入り記事はパネル化され、中国の南大虐●記念館に展示された。ふたりは超一級の日本鬼子(リーベンクィズ=鬼のような日本兵)として、中国人の憎悪の的となっている。このパネルは現在、撤去されているようだが、いつ復活するかはわからない。

 ちなみに1989年(平成元年)に当の毎日新聞(旧日日新聞)が刊行した『昭和史全記録 Chronicle 1926-1989』には、《この記事は当時、前線勇士の武勇伝として華々しく報道され、戦後は南京大虐殺を象徴するものとして非難された。ところがこの記事の百人斬りは事実無根だった。》とある。また同記載によれば、浅海記事掲載時、向井氏は負傷して戦線を離れていという。片方が不在で、どうやって”競争”ができるのだ。「百人斬り」扇動報道の戦犯である毎日新聞がヨタ記事であることを認めているのである。この件はこれで決着がついたといってよかろう。

『中学生にも分かる慰安婦・南京問題』(オークラ出版)
但馬原作のマンガ(作画・ドテ山ススム)『日本鬼子100人を斬りました』掲載。他に但馬は、「映画に見る慰安婦」、「慰安婦『被害』証言の二転三転変遷史」(今井紹介所名義)を執筆。桜林美佐、岩田温、藤岡信勝、すぎやまこういち、田中秀雄、石平ら、豪華執筆陣。

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