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目からビーム!70 左派の内なる沖縄差別~大江健三郎氏を偲んで再録

 本土のテレビメディアに沖縄差別はあるのか、と問われれば、残念ながらYESと答えるほかない。
2007年、沖縄戦における慶良間群島での集団自決に関する歴史教科書の記述を巡っての騒動の渦中、あるワイドショー(番組名失念)で、コメンテーターとして出演していた吉永みち子氏はこう述べたのである。「誰だって死にたくないわけだから。(自決の)軍命令があったのは間違いない」と。僕は耳を疑った。死にたくないなら、よけいに他人の命令などで死ぬわけがあるものか。慶良間の人々は、背中に自爆ボタンを付けた、意思をもたぬロボットだったとでも言うのか。これこそ、沖縄の、慶良間の人々をバカにした発言ではないか。これを差別と呼ばずとしてなんと呼んだらいいのだろうと。
 沖縄についてあれこれ語りたがる左派の論客はこの手の人士がほとんどだ。沖縄を被害者に見立て、その理解者であるかのような顔をしながら、上から目線でしか沖縄を見ていない。その典型的な例が辛淑玉女史だろう
高江の米軍ヘリパット建設問題を取材した2017年1月放映のDHCシアター『ニュース女子』(CS)は、基地反対派の目に余る過激な活動を証言する地元の声を紹介するという画期的な番組だったと思う。少なくとも、沖縄には、基地建設に関して反対の意見だけではないということを本土に伝えた意義は大きい。しかして、辛女史は、これを評して、「むごい」「沖縄の人を使って沖縄の人を批判させる。植民人のやり方だ」と言ったのである。
 つまり、沖縄には多様な意見などあってはならず、基地反対運動に異を唱える者は、権力の操り人形に過ぎないと言うのだ。そもそも沖縄県民が別の沖縄県民を批判することが、なぜ「むごい」のだろう。彼女の発言を僕なりに翻訳すれば、「私の認める沖縄、沖縄人」、「私の活動にとって都合のいい沖縄、沖縄人」以外は沖縄、沖縄人と認めるつもりはない、とも聞こえる。唖然となった。先ほど、差別という言葉を使ったが、この語が言い過ぎならば、「思い上がり」という語がふさわしかろう。
「トランプを支持する黒人は黒人ではない」という言葉を吐いたのは米民主党の大統領候補バイデンだが、この思い上がった態度への審判が下されのももうすぐである。

初出・八重山日報

(追記)
 大江健三郎氏が亡くなった。大江氏といえば、自著『沖縄ノート』(岩波書店)の中で、戦中、慶良間諸島で起こった島民の集団自決事件について、碌な取材、調査もせず、軍命令によるものと断言、渡嘉敷島に展開していた第三挺進隊の司令官である赤松嘉次大尉を「屠✖者」「罪の巨塊」となじった。結局、大江氏の口や筆からはそのことについて謝罪はおろか訂正すらなかった。僕は大江氏の生前、さまざまな媒体で大江氏と『沖縄ノート』について批判をしてきたが、もとよりこんな不良ライターの言葉は、ノーベル賞作家の耳にはとどくこともないとまかっただろうが。
 大江健三郎氏に関しては、3月24日発売の八重山日報のコラム「目からビーム!」(135)で書かせてもらうことにする。
とりあえず、本日のところは、大江健三郎先生のご冥福を祈ります。


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