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目からビーム!164 私が死刑廃止論者になるまで

 能登半島地震の影にすっかり隠れてしまったが、今年1月ふたつの死刑判決があったことを読者諸氏は憶えているだろうか。京都アニメーション放火殺人事件と甲府市の殺人放火事件、それぞれの被告人に対してのものである。
 片や妄想から死者36人、重軽傷者33人という日本犯罪史上最悪の犠牲者を生んだ凶悪事件。片や交際を断られたことを逆恨みし、その両親を殺害、家に放火するという、これまた身勝手極まる理不尽な事件だ。被害者と遺族の無念はいかほどだろう。
 よく「更正の余地」などという言葉を聞くが、更正とはあくまで血の通った人間に許される猶予に過ぎず、この二名のような「人の皮を被った外道」には、命でもって償わせるのが妥当というか、それがむしろ慈悲といえるだろう。
 もちろん、法律も人間が作るもので完璧ではありえない。死刑制度にも問題はあることは百も承知だ。冤罪はいかなることがあっても避けなくてはいけない。また、時折涌いて出てくる「死刑になりたかったから人を殺しました」なる宇宙人の類にはいかに対処すべきか。死刑があるから犯罪が起るという倒錯した論理を許してはなるまい。岩田温氏は、そのためにも「死刑よりも過酷な刑罰」が必要だと語る。なかなかブンガク的だ。
 僕は死刑制度やむなしの立場ではあるが、頑迷な死刑存続論者でもないつもりだ。「地獄」というものの存在が科学的に立証され、罪人が業火に焼かれる姿が可視化されるようになったら、その日のうちに死刑廃止論者に転向してもいいとさえ思っている。
 ブラックホールでさえその存在を確認されたのだ、地獄の発見も遠い未来でもないかもしれぬ。その上で、地獄の様子を刑務所にいる外道どもに毎日見せ続けさせればいい。臓腑を焼かれ、血の池に沈み、針の山に肉を裂かれる亡者の終わりなき阿鼻叫喚を見せつけ、「お前の行く場所だよ」と言い聞かせてやるのだ。これこそがまさに「死刑よりも過酷な刑罰」ではないか。冤罪もなくなるし、いや、凶悪犯罪自体が激減するだろう。
 おっと、死刑を語ると、ついブンガク的になってしまうようである。もっとも、理科系頭脳を持ち合わせていない僕にとって、ブラックホールの存在さえ充分にブンガク的ではあるが。

初出・八重山日報

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