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『韓国呪術と反日』番外編プリミティブ・コリア~防人の島・対馬を襲う韓国人旅行客の特異行動

対馬を襲った韓国呪術団
 
 このほど私・但馬は『韓国呪術と反日』を上梓させていただきました。
 本書は、日本人には不可解きわまる韓国人特有の情念的な「反日」をエロス、リピドーといったキーワードで分析を試みた、これまでにない日韓本であると自負しています。よく、「反日思想」などといいますが、韓国人の反日はおよそ思想と呼べるほど成熟したものではありません。今言ったように、情念であり、生理的反応、ある種の能動的退行現象から来る彼らなりの生の躍動であると思うのです。タイトルにある「呪術」とは、いってみれば、その象徴的に表わす言葉であると思ってください。
 本の宣伝といってはなんですが、紙面の都合上、泣く泣く割愛せざるをえなかった部分をアウト・テイクとして今回紹介させていただきます。

 韓国の呪術文化をまざまざと見せ付けてくれるこんな事件もありました。
 2013年(平成25年)3月、仏像盗難騒ぎで揺れる長崎県対馬に韓国の呪術団(巫堂)約200名が上陸、自然公園を占拠して祭壇を設けて鐘や太鼓を打ち鳴らしての怪しげな祈祷の儀式(クッ)を行ったニュース、まだ記憶に新しいことかと思います。その模様をTVで観て怒りより先に、薄気味の悪さを感じた人も多かったはずです。
 呪術団(大韓敬神協会)の団長は「仏像が無くなったために島に何か厄災が起こるかもしれない。そのための鎮魂の儀式だ」と言い放っていましたが、余計なお世話以前の問題で、まずは仏像を返せ! です。韓国人にデリカシーとか恥じらいを求めるのは砂漠で海水浴場を探すようなものであることを思い知らされました。

報道では、祈祷師、占い師となっているが、要は巫堂(シャーマン)である。韓国は呪術と巫覡の国だ。これを理解しないと韓国も韓国人も理解できない。

 対馬仏像盗難事件について簡単に説明すると、この前年(02年)、同島の3つの神社・寺院から国の需要文化財に指定されている「銅造如来立像」(統一新羅時代)、観音寺の長崎県指定有形文化財の「銅造観世音菩薩坐像」(高麗時代)の2体の仏像の他、経典などが韓国窃盗団に盗み出され、韓国に渡った事件です。窃盗団は逮捕されましたが、韓国曹渓宗の浮石寺が、仏像は14世紀に倭寇によって日本に持ち出されたもので、所有権は同寺にあると主張、韓国の司法(大田地裁)もこれを全面的に認め、対馬への返却を拒否したまま今日(2014年12月現在)にいたっています。

仏像を返すまで韓国人の入島を禁じたらどうだ。その代わり全国の中高校の修学旅行を招致する。元寇の役、日本海大海戦など歴史を学ぶにもってこいの島だ。

 ちなみに曹渓宗は韓国の禅宗で、あの元慰安婦収容施設「ナヌムの家」の運営母体でもあります。同施設の初代院長であった慧眞(ヘジン)僧侶は2001年、元女性職員からセクハラ(性行為の強要)を告発され院長を辞任を余儀なくされたという生臭さ破廉恥漢。しかも、この慧眞、辞任の3ヶ月前(つまりセクハラ中)にはVAWW―NET主催の茶番劇「女性国際戦犯法廷」に出席、昭和天皇を「人類の歴史上もっとも非道な戦争犯罪人」と"断罪"しているというのですから、その厚顔もまさに後光が差すほどで、この域に達するまでには、さぞや苦しい修行があったかと察します。
 さらにいえば、同宗の智冠(ジグァン)元総務院長は08年7月、韓昇洙(ハン・スンス)国務総理との対談で「独島(竹島)はむろんのこと、沖縄も対馬島(テマド)も本来はわが国の領土であり、取り返さなければいけない」と発言した人物です。この智冠和尚、自殺した盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の墓碑に揮毫したことでも話題になりましたが、故人の名前の「盧」の字が間違えて彫られていたことが後日わかり、慌てて彫り直すというご愛嬌もありました。
 その他、賭博、買春、暴力沙汰、あるいは総務院長を巡る血の抗争と、なんでもござれの生臭集団がこの曹渓宗なのです。
 智冠発言に呼応したわけではないでしょうが、同じ08年7月、韓国の退役軍人20人が対馬市役所前に押しかけ、自らの指を食いちぎり(自傷)、韓国国旗に血をしたたらせて「対馬は我が領土!」と雄たけびを上げたこともありました。他人の土地に土足で上がりこみ、勝手に流血して「わが領土」と叫ぶ、これを彼らの「文化」というなら、異文化交流、多文化共生など根本的に無理であると断言していいでしょう。
 韓国では近年、対馬を韓国領土だと主張する声が高まっています。2005年(平成17年)にはなんと、韓国・馬山市(昌原市)議会が「対馬は慶尚南道に属する韓国領土」とする条令を制定しているのです。

マーキングにいそしむ観光客

 彼らのこの暴挙狼藉ともいえる態度は、対馬市が韓国からの観光誘致を積極化した90年代後半から、じょじょに顕在化していきました。島に氾濫するハングル文字の案内板、アリラン祭りや対馬ちんぐ音楽祭(チングは韓国語で友だちの意味)などの呼称、朝鮮通信使イベントなどの韓国色は、訪れる韓国人の目には歓迎と映るよりも「もともと韓国の領土であったことを島民も認めているではないか」と認知されるようです。
 これは拙著『韓国呪術と反日』の中で何度も述べたことですが、韓国との間には対等の友好関係は成立しません。彼らが友好を主張するときは、上下の関係か、あるいはパンツまで共有する小児的な同化を求めているのに他ならないのです。どちらにしろ、彼らに呑み込まれることを意味します。
 そもそも、韓国からのお客様を迎えるのに、なぜ日本や対馬を味わってもらおうとせず、韓国色でお出迎えするのか、これからして理解できません。やってくる韓国人観光客も同じで、彼らは韓国人の経営するホテルや民宿に泊まり、島中どこの食堂や居酒屋へ行ってもキムチを持ち込みマッコリを呑むのです。
 ならばわざわざ外国である対馬に来る必要があるのかと思います。私はパリやナポリに行ってまで、納豆や沢庵を食べたいとは思いませんし、まして、レストランに持ち込むといったことなど発想だにしたこともありません。ミラノやニースの街並みに日本語の看板が乱立していたら、嬉しいどころか、むしろ興ざめです。
 その他、飲食店での食い逃げやタクシーの乗り逃げを初め、――禁止されている撒き餌を使って高級魚を密漁する、高価な薬草を根こそぎ摂る、神社や墓地で脱糞する、奉納された他人の絵馬に「対馬は韓国領」とハングルで落書きする、商店では会計が済む前に袋を開けて菓子などを貪り食う、注意すると逆ギレする、など対馬を訪れる韓国人観光客の傍若無人ぶりは目にあまるものがあります。

 さすがに、食い逃げ、乗り逃げは韓国でも犯罪行為のようですが、飲食店への持ち込みや会計前の開封は、韓国の田舎などでは普通に行われていることだそうです。韓国人の名誉のためにいいますが、東京や大阪を訪れる韓国人観光客には、これら日本人の眉をひそめさせるような行動は見られません。ということは、韓国スタイルを押し通す韓国人観光客は対馬限定ということになります。

 これは何を意味するかといえば、彼らは対馬を自国の延長、要するに自国領であると思っている、少なくとも暗にそう主張しているのです。どこへ行ってもキムチを広げたり、絵馬にハングルで落書きしたり、あるいは脱糞したりの一連の行為は、動物の臭い付け行動に近い衝動と見れば理解しやすいかと思います。自分の縄張りを主張して行うマーキング行為(スプレー)です。韓国人の行動原理は実にプリミティヴといえます。
 韓国が対馬に送り込んだ呪術団も根本は同じです。彼らの行った奇怪な儀式は、一種の霊的な臭い付け行動と解釈すればいいでしょう。公園の敷地に「われわれ(韓国)の土地」という念を打ち込んだのです。
非科学的と笑うのはたやすいことですが、自分の家の軒下で丑の刻参りをされて気分のいい人はいません。不幸の手紙、いや、無言電話の類もそうです。そういった嫌がらせの意味も充分含まれていることでしょう。とはいっても正面切ってケンカを売りたいのではなく、コミュニケーション障害児にありがちな未分化な愛情表現と理解してください。好きだから意地悪したい、かまってほしいというアレです。
 嫌がらせというならば、そもそも盗んだ仏像を返さないことこそ嫌がらせの最たるものといえます。彼らが歴史的、文化的な意味から仏像を手元に置きたいのだとは日本人の誰もが思ってはいないでしょう。「日本人が大切にしている」仏像だから彼らは欲しいのです。 李朝時代の極端な崇儒廃仏政策で韓国仏教は死に体にありました。対馬の仏像も日本に持ち出されていなければ、破壊か焼却の憂き目にあっていたことでしょう。対馬のお寺に安置されたからこそ、島民の方々に大事に拝まれていたのです。仏像の文化的価値を云々するのならば、むしろ浮石寺は対馬島民に感謝すべきだと思います。

朝鮮の廃仏の爪痕。首のない石仏。日本も明治の初年、廃仏毀釈があったが、李朝のそれはより徹底していた。寺は破壊され僧侶は賎業とされた。

 仏像返却を拒む韓国人の心理を分析するならば、物置で埃を被っていた壷に骨董屋が存外の高値をつけたので売り渋る田舎大尽のそれに近いと思います。これに加え、日本人の困る顔が見たいという屈折した感情が微妙にブレンドされているのです。
 韓国は儒教の国だそうですが、彼らの読む論語には「己所不欲勿施於人」(己の欲せざる所は人に施すこと勿れ)の語はありません。
 

朝鮮通信使とは何だったのか

 対馬市は韓国大田地裁の仏像返還拒否判決を受けて、毎年行われていた「対馬アリラン祭り」から「アリラン」の呼称を削除、2013年度から「対馬厳原港まつり」に名称変更し、恒例だった朝鮮通信使パレードも中止しています。しかし、最近になってまた、これらを復活させる動きもあると聞きました。こういった譲歩や歩み寄りは、彼らに「対馬は屈服した」という間違ったサインを送りかねません。犬の世界と同じで、尻尾を垂れ耳を伏せて見せたほうが負けなのです。仏像返還はさらに遠のいたと見ていいでしょう。
 対馬市のHPによると、アリラン祭りには韓国から通信使コスプレイヤーの他、朝鮮舞踊団も招聘するのだそうです。朝鮮舞踊の踊り手は多くの場合、シャーマンを兼ねます。彼らが呪術団の任を受けて島にやってくるのではないことを祈るばかりです。
 現在、日韓友好の名のもと、朝鮮通信使の行列を再現するコスプレ・パレードなどの行事を行っている自治体は、対馬市を初め、私がざっと調べただけでも、広島市、瀬戸内市(岡山県)、清水市(静岡県)、川越市(埼玉県)など10を数えます。
先に、韓国に関しては対等の友好関係は成立しないと書きましたが、通信使関連行事ほど彼らの対日優越意識を刺激し、日本に対する優位性を再確認させるイベントはありません。

復活した対馬の通信使イベント。こういう行事は、彼らの”臭い付け”にお墨付きえを与えるだけで、決して「友好」にはならないと思うが。

朝鮮通信使について韓国の教科書では、こう教えています。
《壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)をきっかけに朝鮮と日本の外交関係は断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。ために戦乱後成立した日本の徳川幕府は先進文物を受け入れるために、対馬島主をとおして交渉を許可するように朝鮮に懇請した。(中略)また日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、国賓として待遇を受けた。日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を倭奴(日本)に伝播する役割も果たした》。 
 また、通信使が行くところ、日本の儒者が書を求めて群がり、通信使は彼らに質問攻めにあったなどということもたびたび韓国人の自慢話に登場します。
 しかし、通信使の派遣が将軍の代替わりに際して行われたことを考えても実態は限りなく朝貢に近い祝賀使節団といったところが妥当でしょう。朝鮮との断行が経済的困難を生んだというのもまったく根拠がありません。当時の屏風画などを見ても、二階家からもの珍しげに通信使の行列を見下ろしている庶民が描かれていたり、少なくとも彼らを先進国から来た文化使節団とは認識していなかったことのは明白です。実際、町人の飼っていた鶏を盗んだり、宿屋から布団を持ち出そうとしたり、ろうそくを食べ物と勘違いして食べてしまったり(ということは当時、朝鮮にはろうそくがなかったということになります)と、彼らのやりたい放題ぶりは対馬の現状を彷彿させるものがあります。両班であった彼ら通信使からしてみれば、卑しい倭人相手には何をしてもかまわないという優越意識があっての行動でしょう。いうまでもなく、本当の意味での高貴な人間はそのような振る舞いはしないものです。

『朝鮮通信来朝図』。江戸の庶民は、通信使をありがたがっているというより、物珍しそうに見物しているように見えるが。中央奥にそびえる富士山はなにやら象徴的。

 第11次通信使・金仁謙(キム・インギョム)の日本旅行記『日東壮遊歌』を読む限り大阪、京、名古屋、江戸の町並みの豪華壮麗さに一行が驚き、羨望し、もの欲しそうにきょろきょろとしている様子が伺えてホホ笑ましい限りです。たとえば、大阪では淀川の両岸に連なる漆喰の塀に囲まれた人家が連なる様子を「仙人の住む金闕銀台」とも表現しています。また、金仁謙通信使の、日本女性に対する好色な目線は、お恥ずかしながら同性として共感を覚えるにやぶさかではありません。
 日本の儒者が通信使の元を訪れ質問攻めにしたというのは事実のようです。金仁謙通信使も日本人が引っ切りなしに漢詩を持参し、返詩をもとめられたと記しています。英会話を齧った中学生が外国人旅行者を見つけて腕試しに話しかけてみるそんな無邪気な図が浮かびそうです。
 しかし、当時すでに、朱子学を卒業し陽明学、さらにそこから発展させ独自の儒学=国学を生み出そうとしていた日本の儒学の徒からすれば、四書五経の素読を第一義としドグマ化した儒教から一歩も出ようとしない朝鮮の士大夫たちの形式主義、頭の硬さには失望すること大だったでしょう。「論語読みの論語知らず」とはいわれますが、実は、日本はアジアでもっとも論語が読まれていた国なのです。山本七平氏によれば、江戸時代、農民も農閑期には庄屋さんの元に集まって論語の読書会を開くことなど珍しいことではなかったといいます。庶民の子供が通う寺子屋の読み書きのテキストは論語でした。どんな無学な人でも学而の「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」(有朋自遠方来不亦楽乎)の一節くらいは諳んじているのが日本です。
一方、朝鮮での儒教はあくまで支配階級のものであり、「由らしむべし知らしむべからず」を地でいっていました。日本と朝鮮ではこの時点で、学問の裾野が大きく違っていたのです。
 シェイクスピア時代のイギリス語しか認めないという頑迷な老教授にマザー・グースやルイス・キャロルについての講義を求めても詮ないのと一緒です。その証拠に、朝鮮通信使を江戸まで呼ぶのは費用の無駄、対馬に留め置くべきだと御上に進言したのは儒学者でもあった新井白石でした
 朝鮮通信使が友好使節団としてある一定の役割を果たしたのは確かなことと思います。とはいえ、友好を強調するあまり、現代の通信使パレードが、韓国人の文化的優越性の喧伝行事になったのでは困ります。穿った見方かもしれませんが、韓国の文化的臭い付け行動(マーキング)に、日本の自治体がお墨付き与えてしまわないか、ひとこと警告申し上げておく次第です。

(初出)『ジャパニズム』

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